鞦韆は漕ぐべし、(タピオカは)底に沈むべし

1、日記を再開す

最近、暇になってきたので、日記を再開する。
日記を書きはじめて、だいたい1ヶ月くらいすると忙しくなって終了するので、今回もきっとそれくらいで終わるような気がするが、しばらくはよろしく。

2、タピオカは底に沈むもの

何も考えずにタピオカを飲んでいたら、タピオカだけが底に沈んで残ってしまい途方に暮れた。
「タピオカ 底」でTwitterで検索したら「タピオカ飲むのが、下手すぎて底にたまった」というツイートが山ほどでてきて、それだけだった。
最近、タピオカを飲んでる人がたくさんいるけど、いかにタピオカを底に残さず飲みきるかバトルしているのかもしれない。

3、ゼロではないギリセーフ

なんかひさしぶりにいい曲みつけたなーと思ったので紹介。
神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まない」を彷彿とさせる青春ポップ。
昔は、こういう若さ満点の曲、自分が若いから好きなのかと思ったけど、そこそこ歳いっても好きなので、若さは関係ないようで、単純に趣味なようだ。
あとはまあ歳はとったら、とったで、未熟さが浮き立つからかもしれぬ。

4、目的や手段より動機

前に回りから「家清は目的より手段を選ぶ人間」だと言われたことがあった。
確かにわたしは簡単に目的を達成できる手段があったとしても、その手段が気に入らないと何がなんでもその手段を使うことはないので、そんなもんかなと思っていたけど、よく考えてみると別に目的を蔑ろにしているわけではなく、その手段のリスクが高いので遠回りしているだけであって、別に目的と手段を天秤にかけたりしていないことに気づいた。

目的や手段より大切にしてるのは、むしろ動機で、なんで自分はその目的を目指すのか、とか、なんでその手段を選ぶに至ったのか、という個人的な体験がめちゃくちゃ重要らしい。

というのも、わたしは文章を書くとき、だいたい動機から書き始めるからだ。
さっきも自分がなぜ日記を再開するのかとか、なぜタピオカを飲むのか、というのを延々を書き連ねたあと、やべえ、全然おもしろくない!と思い、ばっさりと削除したが、本当はそのばっさり削除した動機が部分すべてだったりする。

だから、この日記は、その動機を削除してしまっているので、まったく意味不明な手段(タピオカとか音楽とか)と目的(日記を書き続ける)だけが残っている謎の文章になっている。

わたしは他人からみて謎なことに情熱を注ぐし、たまにそういう人をみかけて感心するけど、そういう人も、他人へは伝達しきれない動機というものがあって、それが故、突き動かされているのかもしれぬという発見をした。

そんな発見があるのだから、やはり日記を書くのは楽しい。





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