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余計なお世話だ。と関係に終止符が打たれた話

『余計なお世話だ』と一つの縁が切れた。

相手との出会いも、私の《余計なお世話》から始まったものだった
当時お付き合いしていた彼氏の妹の友人が困っている。
その子と私の悩みの種が似ていたことから、力になれないか?と話を振られ、私で役に立てるなら。と初めて顔を合わせた

年はいくつか離れていたものの、関係は至って良好だったように思う。
もちろん向こうがどう感じていたかは、今となっては知る由もないが…
ふと相談LINEが飛んできたり、たまにお茶をしたりするような程よい距離感のお友達だと私は感じていた。

彼女のツイートがどうにも引っかかった事から、話は急展開する。

詳しくは書かないが、私が《余計なお世話》で紹介した制度を利用していた彼女が、制度について愚痴を溢していたのがどうにも気になった。
制度を紹介した身として、また、同じ制度を利用している者として、看過できない発言だった為、比較的人当たりは温厚(だと思っている)な私だが《余計なお世話》な言葉を送りつけてしまった。

そして『余計なお世話だ』と、Xをブロ解され今に至る。


どちらかというと世話焼きな方だと自分のことを認識している。
困っている人が周りに居たら放っては置けないし、頼まれ事も可能な限り力になりたい。そういう性分だ。
それを厄介に感じる人も居るのだと思う。相手の様子を見ながら、なるべく上手に立ち回るのが理想ではあるが…

そもそも、私から《余計なお世話》を省いたら、えらく淡白な人間になるような気がする。
もちろんその子とも出会っていないし、今の人脈や友人関係も築けてはいないだろう。

また、甘やかすだけが人付き合いではない。とも思っている。
耳障りの良い言葉を贈ることは簡単だ。
しかし、なぁなぁで構築された当たり障りのない人間関係は脆い。

件のツイートをスルーするのが大人な対応だったのだろう。
それでも結局、見てしまったからには今まで通りに接することは出来なかったのではないかと思う。

《余計なお世話》という言葉がその日からずっと引っかかっていたのだが、よくよく考えたら《余計なお世話》から始まった関係で、それがなければ成り立っていない間柄だった。
そして今の私は《余計なお世話》を積み重ねた上に立っている。

来る者拒まず、去る者追わず。
私は自分らしくこれからも《余計なお世話》を続けるのだろう。


そういえば、9ヶ月前にも似たような記事を書いていました。笑

物好きの投げ銭で甘いものを食べたい。