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女神様のおしゃもじ

いじの悪いひねくれ者の女神様がいきなり泉の中から姿を現わし
「お前はこれから先の一生を永遠におしゃもじとして生きてゆくのです」と言うので
わたしは「それは困る。そんな風におしゃもじになって熱い炊き立てご飯の中に頭を突っ込まれたり、他人のご飯ばっかりよそい続け、自分はいつも乾いてカリカリになったご飯粒まみれでいるなんてそれはあんまりひどすぎる」
などと懸命に苦情を言い立てて、何とかおしゃもじにされることだけは勘弁してもらったのだけれど、その代わりにいじの悪い女神様はわたしの目と耳を半透明の膜みたいなもので覆ってしまいどうやらそれ以来、わたしの目は今そこにあるものをそのままに見るだけ、聞こえる音をただそのままに聞くだけになってしまったらしい。
なんだか心に響かない。

 
物や人をじっと見つめる癖があったんだ。あの子の剣道の練習を見学しながらなぜだか唐突にそんなことに思い至る。そんな癖に自身無意識な層のどこかで気づいていたはずなのに。
今の今まで不思議なことに、こうして意識の上にのぼることはなかった。
そうだわたしは小さな頃からいつも何かをじっと見つめていた。ある人はそれを好意と、ある人はそれを悪意と、ある人はそれを放心と感じた。

だけどわたしが見ていたのは本当は見つめてたその物でもその人でもない、ずっとその向こうにぽんと放り出されていた自分の心の在りかだったのかもしれない。違うのかもしれない。
なににしろ今はもう誰かのことを無意味にじっと見つめたりするべきじゃないことをきちんと知っているし、そういうぶしつけなことはしない。少なくとも自分の意識の上に自分がきちんといる間だけは、っていうことだけど。

すぐとなりの中級者のグループの子供たちに稽古をつけている勇ましい女剣士をいつの間にかじっと見つめ続けている自分を見つめている自分が右斜め上方からこっそりささやく。「そう、癖」

出来の悪い気泡だらけの濁ったビー玉みたいな目玉がうまく正しい像を結べるように、カチカチに固まった目玉が粘膜の柔らかさを取り戻せるように、生ぬるい涙でもいいから暖かさがこみ上げ沁み込んでいってくれたらいい

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