依存症のこと
友だちが、アルコール依存症の回復のための看護を専門に研究していた。
過去形なのは、今の彼女の研究の中心がアルコール依存症だけにとどまっているのかどうか、知らないないからだ。
10年以上前、彼女の研究テーマを聞いて、ずっと気になっていたことを聞いてみた。春近い、まだ寒い小石川植物園だった。
「依存症って、もしかして本人はその依存対象を好きだから、じゃないんじゃない?
依存対象の後ろに隠れていたい・直面したくない何かがあるっていうのが問題なんじゃないの?」
彼女は頷いた。
「そこなのよ。アルコール依存症は体を壊してそこで初めて治療に入れるけれど、その時には家族との関係が壊れていて戻るところがない。
戻るところがないから、治すための心の力がなくなっているの」
「そもそも、家族と向き合わなければいけないと患者さんもわかっているのよ。
でもできなかった。できないからお酒を飲んで、『酔ったから向き合えなかった』ことにしちゃうの
そうやっているうちに家族が壊れていくの。向き合ってくれない人と家族でいるのはつらいから。配偶者もこどももここからいなくなってしまうの。」
「患者さんの中には、アルコールは大嫌いっていう人もいるの。
おいしいから飲んでたんじゃないの。
考えなきゃならないこと・思い出してしまうことを『なかったことにするために』飲んでいる人もいるのよ。
時には自分を罰するために飲み続ける人もいるのよ
患者さんの中には、本当にいい人もいるのよ。
今だったらこの患者さん、家族とやり直せるんじゃないかな? って思ってそう言ったこともあるわ。私もまだ若かったのね。そしたら
『もう誰もいないんですよ、家族』
って。もう連絡も取れない、連絡しようとしても、拒否されてしまう。そうなるまで何年も、家族と向き合わないでいた。それが『アルコールで家族関係を壊してしまった』っていうことなのね。
私がお手伝いに行くところの患者さんはそういう人が多いの。」
薬草を一つ一つ眺めながら歩いた。学名を声を出して読み上げたり、芽しか出ていない草の写真を撮りながら。
「もちろん家族がまだ、持ちこたえている状態で治療に来ている人もいる。
家族のケアもしている。
ご家族と話してると、『(患者さんは配偶者である)私と向き合おうと努力してくれているけれど、耐えられなくなって別のものに走っちゃう』って。例えばネットとかに」
ネットしている間は、そっちに集中しているからっていうことで家族と話さなくてもいいものね。と私が言う。彼女が頷く。
買い物依存症の作家さんのお話が取り上げられるようになっていたころから、そのことが気になっていたのだ。
依存症は、依存対象がアルコールであれ買い物であれ薬物であれ、同じなのだ。その後ろに回り込むことで、近しい人や自分の抱えている問題と自分の間に遮蔽物を作ることが出来る。
今すぐ考えなければいけないことを、先延ばしにできる。
アルコール依存症で家族が壊れるのは、そこにアルコールがあるからではなくて、家族と向き合わない(向き合えない)から。向き合わないために利用するのがアルコール。だから「アルコール依存症」というのであって、家族と向き合わないために利用するのがネットなら「ネット依存症」なのだ。
そしてずっと疑っていたことを、恐る恐る聞いてみる。
「ねぇ、それってもしかして、依存対象が仕事でも、同じだよね?」
「そうよ。
っていうか仕事が一番やっかいよ。
だってアルコールと違ってやればやるほど、外から見たら家族思いで真面目な良い人という評価を得てしまうもの。
家族との対話や、こどもの成長や家族のものがたりと向き合うべき時に、それから逃げていることには変わりないのに。
家族も、何かおかしいと思いながら、何年も何年もそのまま暮らしていて、どんどん関係が悪化しているの。治療に入っても治すべきものだと思えるまで時間がかかるし。
アルコールや買い物と違って経済破綻も肝機能障害も起きないから、治療にたどり着くまで時間がかかるのよ」
やっぱりそうか。
高い壁ぞいに入口に戻りながら、私はため息をついた。
「でも向き合うって簡単じゃないよね。
そもそも日本人はその習慣というか、向き合うということがなにをすることなのか明確に考えないで成人してしまうことが多いだろうし」
「そうね」
薬物の摘発があると、その時の会話を思い出す。
この人も、自分が向き合うべき問題から、自分の心を隠そうとしたんだろうか。
治療が進んだら、向き合えるようになるんだろうか。
帰るべき場所、心のよりどころが、まだあるんだろうか。
間に合っていたらいいな。間に合っていますように、と、名前のない神様に小さくお祈りする。
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