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【ショートショート】ハートのジャック

「本当に綺麗な指だね」
そう言いたいのをぐっとこらえて、薫は目の前に集中する。落ち着いた雰囲気でも、ダイニングレストランは賑わっていた。

「…では、この中から好きなカードを1枚引いて下さい」
薫は、迷うことなく真ん中のカードを引いて渡す。
「はい、あなたが選んだカードはハートのジャックですね?」
「はい」
「では、このカードに魔法をかけます!」
佐藤君は、カードを裏返し大げさに念力を込める。
「ではカードを裏返してください」
薫がカードを裏返すと、カードはスペードの9に変わっていた。
得意げに笑う佐藤君を前に、薫はあっけにとられる。
「いつの間に?ずっと見てたのに」
佐藤君は、顔中で笑いながら、鮮やかな手捌きでまたトランプを操り始めた。


佐藤君とは、会社のイベントで出会った。
毎月会社が開催しているイベントは、地域の学生と参画する、地域の文化祭のようなものだ。
「K大学奇術研究部の、佐藤です!」

最初に会った時は、こんな元気なマジシャンいるんだと思わず笑ってしまった。大学生の男子なんて、すれた子も多い中、佐藤君は信じられないほど純粋だ。そして、話してみると共通の趣味が多く、よくしゃべるようになった。

元気なキャラクターとは裏腹に、マジックの時のカード捌きはとても繊細で、いつも見とれてしまう。
見とれてしまうのには、もう一つ理由がある。
彼の指だ。それ程大きくないけれど、細長く透明感がある。でも、カードを操る時は男性らしい節が目立って、うかつにもドキッとしてしまう。
そして、観客を魅了する演技。
「たくさん練習したんだろうな」
好きな事を一途に追い求める姿は、30才も過ぎ大人になった薫には、眩しく見えた。

「薫さん、ご飯食べに行きませんか」
佐藤君にそう誘われたのは、1週間前のことだ。
毎月仕事で会っていたけどそんな誘いを受けるのは初めてで、薫は面食らったが承諾した。

「この店、美味しかったですね」
「そうだね。マジックも見せてくれてありがとう、楽しかった」
そう言うと、佐藤君はまた笑う。

店を出て、一緒に駅へ向かう。すごい人混みだ。
「僕、来月からイベント出ないんですよ」
思わず息を飲む。
「…どうして?」
「大学院に行くんで、勉強に本腰入れようと思って」
「そっか…佐藤君理系だもんね。がんばって。じゃあ、私こっちだから」
いつの間にか、分かれ道の横断歩道まで来ていた。

なんだかショックで身を翻えそうとしたその時。左腕にあの美しい指の感触を感じた。その指は火が出そうな程熱い。佐藤君は、今までに見たことがない真剣な顔をしていた。
「薫さん、僕、」
その言葉を遮るように、薫は叫んだ。
「わたし!結婚するの。来月イギリスに行く」
薫の腕から、指が離れていく。佐藤君の顔は、真っ青だった。
「…そうなんですね。おめでとうございます。お元気で」
一瞬でまた顔中を笑顔にする。

横断歩道を渡り、人混みの中から、後ろを振り返る。
佐藤君は、まだこっちを見ていた。

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