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コロナ時代に長崎に1人で飛んでみて学んだこと

中3。コロナ時代に長崎に1人で飛んでみて学んだこと
「生き方の問い」を作る旅 in 長崎

私は今、機内の全てのサービスが停止、全員がマスクをつけ、CAはゴム手袋を装着、厳しい検疫(行きは緩かった…)によってコロナへの厳戒態勢体制を強いられている空の上でこの文章を書き始めました。

いつも上空から思うのですが、狭いエリアの中に無数の光の点が溢れ、混在する。そんな世界に自分は生きているんだなぁと。

でも、その点の中に入ると自分と同じ人間が話をしていたり、コーヒーを飲んだり、ぼぉーとしていたり、せかせかと仕事をしていたり、1人1人が意思を持って必死に今に追われ、今を生きている。

そんな時、ふと感じるんです。今を生きれてるって思える瞬間が与えられる素晴らしさを。

今にどれだけ価値を置くかを選択できる自由が与えられている素晴らしさを。

人間誰もが「今」を平等に与えられている。もしその価値を示すバロメーターがあるのであれば、単位も数値も自分次第で決められると思う。

笑顔に縛りはないし、喜びや幸せを感じられないと決めつけられる事もない。

ただ価値の基準を「経験」にフォーカスするのであれば話は変わってくる。与えられた環境によってその価値は大きく変わってくると思うからだ。

チャンスを掴み取るプロセスは皆平等だがチャンスを掴もうとするまでには様々な経験により、スキルや目的、問題意識、あるいは怒りなどの感情を自分の中に落とし込む必要があると思う。それを踏まえた上で自分について考える余裕があるかが最大の鍵になってくるのだろうと思う。

正直、今回の旅行は様々な方面から賛否両論があった。シンガポール留学が都市のロックダウンにより中止になってしまった。どうしようか考えていた時、ふと頭の中に浮かんだのが「長崎」だった。知り合いや友達も多く、平和とは何かを考えたり、自らがクリスチャンということもあり、自分のアイデンティティーについて深く関心があった。そして鍵となったのがTwitterでたまたま見つけたHafHという施設にどうしても行きたいという謎の感情が自分の足を推し進めた。

その日のうちに企画書を両親に提出した。「生き方の問い」を見つける旅。長崎本土での感染者がいない事や6ページに及ぶコロナへの対策(ありったけの資料から引っ張り出した)を見て、父は「気を付けて行ってきな」と言ってくれた。速攻で自分のマイルでチケットを買った。次の日、事態は変わった。父が行かない方が良いと言った。会社の立場の問題もあり、もしもの時の責任が重いとの事だった。ただそれも全て承知の上で、その責任を感じながら今の自分を変えたい。ただそれだけの思いを突き通した。父は宿泊のためのお金を出してくれた。次の日から旅は始まった。

ただ思うのは「もしこのお金で家に篭り、マスクを買えない人のためにマスクを買っていた自分がいたらどうだったのだろうかと」

もしそうしていたらいっときの喜びを感じたのかもしれない。ただそこにいるのは「自分」ではないと感じた。

僕は喜びを求めすぎて幸せを忘れていた。

もし目の前にひと欠けらのチャンスが落ちているのであれば、その経験を全力で実行する。そして「今」と「自分」を感じ、得させてもらった経験を全力で社会に還元していく。

持続的な自分の喜びによって社会の笑顔を増やす事こそが自分の使命であって幸せなのかもしれないと思うことができた。

だからこそ今回の旅は全力で自分と心を揺さぶってみた。原爆資料館に2回足を運び、平和についてひたすら学び、様々な場所で祈り、稲佐山で最高の夜景を見て、夕日に心を癒され、あたたかい長崎の方やHafHの方と交流し、地元の中高生とひたすら交流し、朝は海で朝日を見て過ごし、テレワークで東京での仕事をこなし、今を全力で生きてみた。

この3日間は自信持って「自分生きてたなぁ」って言えます。そして,今の自分なら平和の大切さと素晴らしさを心を大にして叫べるなって思う。

大自然と向き合って、人と心を通わせる経験を積んで出てきた本題である「生き方の問い」は『己の今の価値をいかに高める事ができるか』。

こんなに長くまで読んでくださる方は少ないかなと思いますが、読んでくださった方はここまでお付き合い頂きありがとうございます!支えてくださった両親を始め、長崎の皆さん!本当にありがとうございました!

長崎よかです

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