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10-FEET「ブラインドマン」の歌詞と宮城リョータ考察

10-FEETさんの楽曲「ブラインドマン」の歌詞について、映画『THE FIRST SLAM DUNK』および漫画『ピアス』の内容から考察していきます。

10-FEETさんのアルバム「コリンズ」には、『THE FIRST SLAM DUNK』の主題歌候補として制作された楽曲が4曲収録されています。「SLAM」「第ゼロ感」「ブラインドマン」「深海魚」は、どれも映画とリンクした名曲です。

今回はこの中から「ブラインドマン」の歌詞の内容を考察します。この曲は、『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公・宮城リョータについて描かれたものと解釈しています。

※以下の考察には、映画『THE FIRST SLAM DUNK』と読切漫画『ピアス』のネタバレが含まれますのでご注意ください。
また、曲の解釈は聴いた人の数だけありますので、あくまで一個人の感想としてお読みいただけると幸いです。


①概要

映画『THE FIRST SLAM DUNK』#CHARACTER より

「ブラインドマン」の歌詞の解釈を簡単にまとめると、宮城リョータが中学1年生のときに沖縄から神奈川へ移住し、孤独を感じていたなかで、三井寿と出会った日の出来事が描かれています。

そして亡くなった兄を思い出し、未来が見えなくなりながらも、兄との最期の別れの記憶を何度もくり返し夢に見るリョータの様子が歌われています。

リョータは三井と1ON1をしたあとどうなったのか?日々のなかで、兄・ソータのことをどのように思い返していたのか?といった、映画では直接描写されなかった場面が描かれた、エモーショナルな名曲です。

前提のあらすじ

映画『THE FIRST SLAM DUNK』#PROLOGUE より

「ブラインドマン」の歌詞を解釈する前に、その前提となる映画のストーリーを簡単にまとめます。

沖縄で生まれ育った宮城リョータは、小学3年生のときに、兄・ソータを海の事故で亡くしてしまいました。兄の死から立ち直るため、遺品を捨て無理にでも前に進もうとする母と、リョータは衝突し、次第にすれ違っていきます。

リョータが中学1年生のとき、一家は神奈川へ移住します。しかし、リョータは転校先で友達もできず、一人でバスケの練習だけを生きる支えにして過ごす日々を送っていました。

ここから先が「ブラインドマン」の歌詞のストーリーになります。

②歌詞考察

1番の歌詞

いつの間にか 響かない日も
眠れない日も 気にも止めなくなって

https://youtu.be/VhE4wNQwYrg

ここでは兄の死や、母とのすれ違い、転校後の孤独によって、リョータは心に何も「響かない日」「眠れない日」が、気にも留めなくなるほど日常的になってしまった、という悲しい様子が描かれています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

次に、「いつの間にか」が具体的にはいつからなのかを考えます。このあとに出てくるフレーズからわかるのですが、1番の歌詞の「当日」は、中学1年のリョータが三井寿と出会った日です。

なので、中1を基準とすると、リョータの兄が帰らぬ人となった小学3年時(4年前)、もしくは母と衝突した小学5年時(2年前)から、「響かない日」や「眠れない日」があったかもしれません。

そして、決定的につらい状況になったのが、沖縄から神奈川への転校後です。リョータが転校した日には、冬服の学ランを着用しているので、その時点は中1の4〜5月。三井と出会うシーンでは、蝉の鳴き声が聞こえているので、7〜8月頃と思われます。

よって、リョータの「響かない日」「眠れない日」が続いているのは、少なくとも2〜4ヶ月間。長い場合2~4年間続いていたと考えられます。小3〜中1ほどの子供が、それだけの期間孤独を耐えていたと思うと胸が痛みます…。

意味さえも無いでしょ? 浮き足立ってるだけ
そんな夜に君を思い出して

そんなつらい状況の中、ある日「浮き足立つ(=期待で浮かれた気持ちになり、そわそわする)ような良いことが起こります。それは、リョータがバスケコートで一人練習をしていたところに「三井寿」がやってきて、1ON1に誘ってくれたこと

映画『THE FIRST SLAM DUNK』#CHARACTER より

この曲は、兄が亡くなってから、立ち直れずにいた時期のリョータの孤独を描いたものです。映画内で、この期間の「浮き足立つ」といえるような出来事は、三井との1ON1と、赤木に「宮城はパスができます」と言われたことの2つです。

赤木の言葉を「意味さえも無い」とリョータが思うとは考えられないので、ここは三井とのシーンを指しているとわかります。

「浮き足立ってる」と自覚していることから、数ヶ月間一人ぼっちでバスケをしていたリョータにとって、三井との1ON1はとても嬉しい出来事だった様子が表されています。

しかし、素直に嬉しいと言わずに「意味さえも無いでしょ? 浮き足立ってるだけ」と否定的なリョータ。
ここでは、「三井にとって、自分とバスケをしたことは、なんの意味も無いでしょ?今の自分は、ちょっと浮かれてるだけ。意味も無いような1ON1に喜んでるわけじゃない」といったような、強がった心情が読み取れます。

おそらくリョータは、三井はたまたま1ON1をしただけで、特別な意味などないだろうと思っており、それを自分だけが喜ぶのはカッコ悪いし恥ずかしい、期待をしてはいけない、といった気持ちから斜に構えている、という複雑な心境なのだろうと想像されます。

また、孤独な状況のなかで、他人に心を開かず自分から壁をつくることで、自らを守っているような様子もうかがえます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

「そんな夜に君を思い出して」は、三井と1ON1をした日の夜に、「君」=亡くなった兄・ソータを思い出すリョータの様子。

リョータは沖縄から移住した際に、亡き兄の思い出も置き去りにし、普段は兄を思い出さないようにしていたと思われます。

しかし、年上で背の高い三井との1ON1が、かつての兄の姿と重なり、記憶がフラッシュバックします。三井をきっかけに、リョータは夜になって、兄のことを深く思い出していきます。

“ずっと一人でいいよ”
なんて今夜はもう
進む事も 振り返る事も

「“ずっと一人でいいよ”」は、リョータが孤独を感じながらも、そのつらさを出さないように、兄に教わった「めいっぱい平気なフリをする」ことを実行して、一人でいいというフリをしている様子と思われます。
映画の重要なセリフに基づいているので、「“」で強調されていると考えられます。

具体的には、リョータがバスケコートの少年たちに「近寄んなオーラ出てる」と言われていた、他人を寄せ付けない様子や、三井の「またやろうぜ」という誘いを「うっせ(うるさい)」と断ったこと。

リョータは本当に一人を望んでいるわけではなく、一緒にバスケをしていた兄はもういないし、転校して友達もいないため、一人でいいと強がることしかできない。

せっかくの三井の好意に対しても、亡き兄の記憶がよみがえってつらくなり、結局は拒絶してしまいました。そのことを「今夜」になって思い返し、やりきれない気持ちを抱えているようです。

「“ずっと一人でいいよ” なんて今夜はもう」は、「一人でいいよ」なんて態度をとって三井を拒絶してしまった今夜は、あるいは「ずっと一人でいい」なんてフリをして強がっても今夜はもう平気じゃない、といったような意味合いだと思います。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

「進む事も 振り返る事も」=兄の死から前に進む事もできないし、兄の思い出を振り返る事もできない。

リョータの母は、前に進むために、兄の思い出を振り切らなくてはとの思いがあり、一家で沖縄から離れたばかりです。

リョータも本心では嫌だったけれど、おそらく母に応える形で、兄の遺品を置いて神奈川に引っ越してきたと思われます。なので、今は兄の死を「振り返る事」はできない。

しかし、そうして兄の死と向き合わずにいるため、心の整理がつけられず、悲しみや喪失感にとらわれたままで前に「進む事」もできない。一歩も踏み出せず、どうしようもないつらさを感じている様子です。

まだ僕には今よりも大切なこの先なんて
ぼんやりとしか見えないから

まだ「僕」=リョータには、「今よりも大切なこの先」=未来なんて、「ぼんやりとしか見えない」。

このサビの歌詞では、タイトルの通り「見えない=ブラインド」な状態になり、未来や目標を見失ってしまったリョータの苦しさが表現されています。

過去を振り返ることもできず、未来への希望ももてないので、「今」のことしか見えなくなってしまっている様子です。

『SLAM DUNK』の名言に、桜木花道の「オレは今なんだよ!」というセリフがありますが、その力強いポジティブな意味とはとは全く違う、リョータの今しか見えないという苦脳が描かれています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

同じ夢が昨日飲み込むから“さよなら”だよ
夜は終わりだってさ

ここではまず、リョータがくり返し「同じ夢」を見ていることがわかります。
「同じ夢が昨日飲み込む」とは、いつもと同じ夢がはじまり、昨日という日が終わっていく様子。毎回同じだから、見る前から今夜も「同じ夢」なんだとわかっています。

リョータがなかなか寝つけずにいるうち、日付が変わる頃になり、「今日」が「昨日」に変わっていく。眠れそうになると、また「同じ夢」がはじまるんだと思う。そうして否応なしに夢に飲み込まれて、一日が終わっていくという様子です。

「“さよなら”だよ」は、先ほど思い出していた「君」に対しての言葉と捉えてしまうと、リョータが自分で思い出している記憶の中のソータに対して言っていることになり、「振り返る事も(できない)という描写に沿わない気がします。

なので、「“さよなら”だよ」は、「同じ夢」に対してのものと解釈したいと思います。
そうすると、「同じ夢」とは「さよなら」と別れる内容ということになるので、リョータが亡き兄・ソータと最期に別れた場面の記憶を夢に見ているものと考えられます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』#PROLOGUE より

兄が船に乗り、リョータは約束した1ON1ができなくなった寂しさから「もう帰ってくるな」と言ってしまった。そして自分の言葉どおり、二度と兄が帰って来なかった。
という過去の記憶を、リョータは「同じ夢」というほどに、何度もくり返し夢に見ているということです。

よって「“さよなら”だよ」は、これから見る「同じ夢」の中で、兄との永遠の別れの場面になるとわかっているので、眠る前に、「また夢の中でソーちゃんと“さよなら”だよ」といった意味で言っているものと思われます。

ここはちょっと拡大解釈なのですが、単に「さよならだよ」ではなく「“さよなら”だよ」と引用符で強調がついていることから、「もう帰ってくるな」ではなく、「さよなら」と言って別れたい、あの言葉を取り消したいんだという、リョータの願望を感じ取ることもできるかもしれません。

「夜は終わりだってさ」は、リョータの意志とは関係なく、夜という時間が終わっていく様子。夢がはじまれば、安らげる「夜」は終わっていき、望まなくても次の朝(リョータにとってつらい日常)になっていきます。

2番の歌詞

待ち焦がれた一人きりさ
灰色の太陽を背負って

一夜明け、翌日の様子です。昨日「ずっと一人でいいよ」という態度をとったので、リョータは「待ち焦がれた一人きり」になります。当然、三井もいないし、日中は思い出の中の兄もいません。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

本当は待ち焦がれたどころか、孤独はつらいと感じているはずですが、一人ぼっちの現状を、これは待ち焦がれたものなんだと、自分に無理やり言い聞かせている様子が切ないです。

「灰色の太陽」とは、このとき真夏(7~8月)で、日中の時間帯なので、実際はビビッドに色づいているはずですが、リョータの目には世界の色が失われて、灰色にしか感じられていない様子です。

薄っぺらな聖者の様に
目隠しして盲目になって

ここでは「聖者の様に 盲目になって」という表現から、自ら「盲目」になることによって、リョータが贖罪をしようとしている様子が読み取れます。
何を自分の罪だと感じているかというと、最期の別れの場面で、兄に「もう帰ってくるな」と言ってしまったことだと考えられます。

ここの解釈のヒントになるのは、読切漫画『ピアス』です。『THE FIRST SLAM DUNK』のリョータとパラレルな存在である「りょうた」は、兄に同様の発言をし、「あの時いったことをとり消したい…」と後悔する場面が描かれています。

THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』収録「ピアス」より

映画のリョータも、直接描写されてはいませんが、「もう帰ってくるな」を後悔していないはずはないですし、このほかに、中学1年の時点で贖罪をしなくてはいけないほどの行いは見当たらないので、この発言によって自分を責めていると思われます。

兄の死は不慮の事故で、当然ですがリョータのせいではなく、発言を取り消せたとしても、兄が帰ってくるわけでもありません。

しかし、「同じ夢」で見る彼の記憶では、事故に遭う様子を全く知らないので、兄が船に乗り「もう帰ってくるな」と言ってしまったあと、二度と帰って来なかった。
その夢が何度もくり返されるうち、なんであんなことを言ってしまったんだろう、という後悔ばかりが募っていったと想像されます。

「ブラインド」には、「事実に基づかない、やみくもな」という意味があり、まさにその状態であるといえます。
兄の死だけでもつらいのに、リョータはそこに自分の罪を感じ、自らを責めてしまっていたという深い苦悩が描かれています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 より

『ピアス』のりょうたは、ヒロインのあやこに「もう帰ってくるな」と言ってしまったことを打ち明けます。しかし、そのような相手がいないリョータは、誰にも言えず自分を責め続け、罪を償いたいという気持ちを抱くに至ったのだろうと思います。

「目隠しして盲目になって」とは、自ら目を塞ぎ、現実から目を背ける様子。そうすることによって、1番の歌詞にもあるように、嬉しさや喜びといった感情を抱くことすら遠ざけようとしているかのようです。

「贖罪」とは、犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと(特にキリスト教で、キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為)。

沖縄の実家のお仏壇を見る限り、宮城家はキリスト教ではないと見受けられますし、リョータが「聖者の様に」罪をあがなおうとしても、それは真似事にすぎない「薄っぺら」な行為だと、自分自身でも感じています。
それでも、盲目になるという贖罪をせずにはいられないという、リョータの思いつめた心情が感じられます。

“ずっと一人でいいよ”
なんて今夜はもう
進む事も 振り返る事も

「今夜」=2日目の夜です。
昨日「一人でいいよ」と言っていたとおりに「待ち焦がれた一人きり」になったにもかかわらず、今夜も「進む事も 振り返る事も」できずに思い悩んでしまっています。

なので、「ずっと一人でいいよ」とは、本心ではないことがわかります。甘えられる相手や、心を許せる相手が誰もいないので、その孤独による寂しさを「一人でいい」と言うことによって飲み込もうとしている不器用な心が感じられます。

先述したように、「“ずっと一人でいいよ”」は兄に教わった平気なフリを実行して、一人でいいというフリをしている様子と思われます。

三井に出会った昨日と違い、孤独に過ごしたリョータが一日を終え、「“ずっと一人でいいよ”」なんて平気なフリをしても、やはり本当はつらく、夜になり前にも進めず、兄の記憶を振り返ることもできない苦しさを感じているという様子が描かれています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』CM15秒 より

歌詞全体を見ると、冒頭を除くAメロとBメロの各1行目は、リョータが虚勢を張り、「めいっぱい平気なフリをする」様子が描かれた構成になっています。

「意味さえも無いでしょ? 浮き足立ってるだけ」
「“ずっと一人でいいよ”」
「待ち焦がれた一人きりさ」
「薄っぺらな聖者の様に」

これらはどれも本心ではなく、言葉の裏には、
「(三井にとって1ON1に)意味があったらいいのに。嬉しかった」
「もう一人でいたくない」
「一人きりなんていやだ」
「(自分への罰として盲目になるというのは建前で)本当は、ただつらい現実から目を背けたい」
といった本音が隠されていると考えられます。

この詞の描写が、実にすごいです。ストレートに湿っぽく本音を書いてしまってはリョータらしくないですし、平気なフリをしている様子を描くことで、映画に沿ったリョータの姿を浮かび上がらせる。

さらにそれによって、つらい中でこうしてソータの教えを守ることで、精一杯やっていこうとするリョータの健気さが伝わってきます。
一見ドライな言葉に乗せて、心の奥までも表現されているところが、本当に素晴らしい歌詞だなと思います。

まだ僕には今よりも大切なこの先なんて
ぼんやりとしか見えないから
同じ夢が昨日飲み込むから“さよなら”だよ
夜は終わりだってさ

この2番のサビも、1番と全く同じフレーズが繰り返されることによって、「ブラインド=出口から抜け出せない」という状況が効果的に表現されています。

昨日もよく眠れなかったのに、また今夜もなかなか眠れない。「この先なんてぼんやりとしか見えない」
兄を喪った悲しみから抜け出し、未来へ進んでいく方法が、このときのリョータには全くわからない、その苦悩が伝わります。

そしてまた、昨日と「同じ夢」。兄が船に乗って行き、置いて行かれる自分。「もう帰ってくるな」と言ってしまい、兄は二度と帰ってこない。
リョータの一日は、兄との別れの夢に飲み込まれていってしまいます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 より

「夜は終わりだってさ」から、リョータは夜が終わってほしくないのに、終わってしまう、という心情が感じられます。
つらい現実の世界よりも、「夜」=兄の思い出の夢を見る時間、のほうがリョータにとっては安らげることがわかります。

まだ僕には今よりも大切なこの先なんて
ぼんやりとしか見えないから
同じ夢が昨日飲み込むから“さよなら”だよ
夜は終わりだってさ

もう一度サビのフレーズが繰り返され、3日目の夜もまた「同じ夢」を見るリョータの姿が描かれています。
間奏の後なので、必ずしも連続した3日目とは限らず、同じ夢を見る、このあとのいつかの夜の情景とも捉えられます。

リョータがこの未来の見えない「ブラインド」の状態を脱するのは、高2になったころ沖縄に里帰りをして、兄の思い出と向き合うときなので、それまであと4年ほどは、このような夜が続いていくと思われます。

なので、この構成によって、これからも眠れない夜がくり返されていく、リョータの長い年月の苦悩が想像されるようです。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

③タイトルの意味

改めて、「ブラインドマン」というタイトルの意味をまとめます。「ブラインド=blind」に込められた意味は大きく3つあると考えます。

まず1つに、「目の見えない、盲目の」という意味。これは、「この先なんてぼんやりとしか見えない」という未来が見えない様子や、「目隠しして盲目になって」と現実から目を背け、周りが見えなくなってしまっている様子が表されています。

現実に対し目隠しをして、未来がぼんやりとしか見えないなかで、盲目的に(他のものが目に入らずに)「同じ夢」ばかりを見続けている、というリョータ。

2つめに、「疑いを抱かない、事実に基づかない、やみくもな」という意味があります。これは、兄の事故はリョータが「もう帰ってくるな」と言ったせいではないのに、そのことに罪を感じ続けている様子と重なります。

そして3つめに、「出口のない、行き場のない」という意味。こちらも「進む事も 振り返る事も」できない孤独なリョータの、兄のいない世界で、どうしたら暗闇から抜け出せるのかわからないという苦しい状況がよく表されています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』CM15秒 より

また、この「ブラインド」という状態は、10-FEETさんの楽曲「深海魚」で描かれているリョータの母・カオルの心情ともリンクしています。

光の届かない深海にいる魚は、視力をもたない。そのように、ソータの死にとらわれ、目が塞がれてしまっている母も、「ブラインドマン」のリョータと同じく「目が見えない」状態にあることが示されています。

宮城家の中で、母とリョータは共にソータの死を悲しみ続けているのに、二人はその気持ちを共有して分かりあうことができずにいるわけです。それはどちらも「ブラインド」になっていて、お互いの姿が見えなくなってしまっているからなんですね。

2曲とも、詞の着想が本当に素晴らしいと思います。TAKUMAさんの表現力といい、ワードセンスといい、さすがだなと感じます。

④「第ゼロ感」との関連

「ブラインドマン」「第ゼロ感」の関連性について考察します。「第ゼロ感」はリョータの小学3年生〜高校2年生までの半生全体を描いたもので、「ブラインドマン」は特に中学1年の頃にフォーカスした内容です。

「ブラインドマン」のサビで「夜」が歌われていますが、「第ゼロ感」のサビにも「約束の夜」とあり、個人的にはどちらもほぼ同じような情景ではないかと考えています。

(一応、「第ゼロ感」考察記事も読んでいただくと、わかりやすいと思いますので、もしお時間がありましたら、ご一読いただけると幸いです)

「第ゼロ感」の記事では、《「約束の夜に」はリョータが、兄との約束を想う夜には、不確かな夢を叶えると決心していた。毎晩のように夢を叶えると自分自身で固く誓っていた様子》と簡単に書いていました。

しかし、「ブラインドマン」で描かれているように、リョータが孤独に耐えながら乗り越えてきた「夜」なのではないかなと思い至りました。

「約束」とは、「母ちゃんを頼むぞ。俺がキャプテンでお前が副キャプテンだ」と誓いあい、兄弟で拳を突き合わせていた様子。

兄が最期に、船に乗る直前に出した拳に対し、リョータは拳を合わせられず、そのまま永遠の別れになってしまいました(映像には映っていないのですが、音声ガイドでは、拳を振り払うといった表現がされていました)。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

とすると、「約束の夜」とは、「約束」の拳を合わせられなかった最期の別れを、リョータが後悔しながら思い返す「夜」、またはその光景を夢に見る「夜」という意味にもとれます。

10-FEETさんのインタビュー記事で、TAKUMAさんが「夜」という言葉がお好きだとは拝見したのですが、2曲のサビがどちらも「夜」の情景なのは、やはり特別な意味があるように感じます。

元々「第ゼロ感」がかなり緻密に『THE FIRST SLAM DUNK』の脚本の内容と合致しているのに、1番のサビの「約束の夜・静寂の朝」のシーンだけが映画にないことが不思議だなと思っていました。

なので、完全に想像になってしまいますが、もしかしたら製作段階ではそのような「夜」のシーンがあったのでは?という気もします(スタッフさんのインタビューでも、リョータの回想シーンがカットされたとのお話がありましたので)。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

それから、「第ゼロ感」のタイトルの意味は、「五感の手前にある心や想い」とのことですが、「ブラインドマン」は「五感のうちの視覚を失った状態」です。
2曲とも、宮城リョータについて描かれ、そして彼の五感に着目されたタイトルであることが共通しています。

兄の死にとらわれた「ブラインド」状態を脱し、五感よりもっと深い心の「第ゼロ感」に研ぎ澄まされた、リョータの「感性」がイメージされているわけですね。

この2曲を通して、TAKUMAさんの詞には、『THE FIRST SLAM DUNK』や宮城リョータに対する理解がすごくしっかりされていて、論理性の高いところが、とても良いです。
もちろん、詞的な表現のための言葉の飛躍の度合いも絶妙で、センスも言うまでもなくめちゃめちゃ高いですよね。本当に、最高の映画に最高の楽曲だと思います。

⑤「贖罪」についての補足 

リョータの「贖罪」について、私見を追記しておきます。

「帰ってくるな」という言葉に罪悪感を抱いているのは、映画を観ればわかるのですが、そう言ったからといって、「盲目になって」とまで贖罪をしようとする「ブラインドマン」の様子は、なかなか普通ではないですよね。

リョータが、自らに盲目になるという罰を与えて罪を償う、とまで自分を責めているのは、あの発言が兄の死を招いたという罪の意識からではないかと考えられます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

『ピアス』のりょうたは、「もう帰ってくるな」と言ったことに対し、「あんなことを言わなければよかった」や「謝りたい」ではなく、「とり消したい」と後悔しています。
そう望んでいるのは、「もう帰ってくるな」と言わなかったら、兄は帰ってきたかもしれない、という気持ちがあるのだろうと感じます。

つまり、自分が「帰ってくるな」と言ってしまったせいで兄が帰ってこなかったと考えているということで、おそらく、リョータも同じような気持ちを抱いているものと思います。

常識的に考えたら、リョータのせいなわけがないという話なのですが、この思考というのは、リョータが兄を亡くした小学3年生当時の、子供のころ抱いたままのものという気がします。

勝手な想像になりますが、兄が事故に遭い、船外の最後の目撃者であるリョータは、母や警察に事情を聞かれたはずです。その際、友達と船に乗って行ったとは答えられても、自分が「うそつき!ばかソータ!もう帰ってくるな!」と言ってしまったとは、とても話せなかったんではないでしょうか。

そのようにして「もう帰ってくるな」と言ったことを、誰にも話せなかったこと自体に罪悪感を覚えたかもしれませんし、
「なんでソーちゃんが帰って来ないの?」と、毎日毎日兄を探し、帰りを待ち続け、疲弊し、あのとき自分が「もう帰ってくるな」なんて言わなかったら、ソーちゃんは帰ってきたのかも…というような考えに至った、子供のころの思いが、続いていたのかなと想像しました。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

映画を観た限りでは、リョータは「兄と違って母を支えられずに怒らせてばかり」という理由で、「生きてるのが俺ですみません」と感じているのだと解釈していましたが、
「自分が帰ってくるなと言ったせいで、ソーちゃんが帰ってこなかったのに、生きてるのが俺ですみません」といった気持ちだったのかもしれないと思いました。

つまり、リョータがあの手紙に書きかけたのは、『ピアス』でりょうたがあやこに懺悔をするように、母に長年誰にも言えなかった過去の罪悪感を告白したかったのではないかという解釈もできるかもということです。

リョータは、兄の死が自分のせいだと思っていた。そうすると、ソータがいなくなって悲しんでいる母を苦しめているのは、間接的に自分だということになります。
「帰ってくるな」と言ってしまったことを告白できない限り、母に対し後ろめたさを感じ続けていて、それがすれ違いの一因になっていたのではないかとも感じます。

母は、リョータがそんなことを言ったとは全く知らないし、知ったところで、発言と事故に因果関係があるはずもないわけですから、リョータの気持ち(罪悪感)なんて、わかりようがないですよね。

しかし結局、リョータは「生きてるのが俺ですみません」とは手紙に書かなかったことから、自力で本当はそうではないと気付くことができ、過去の罪悪感から脱せたはずだと思うので、そこは本当によかったなと感じます。

⑥感想

インタビュー記事で、「ブラインドマン」は「疾走感のあるギターロック」と解説されていましたが、映画の山王戦前夜に、一人で不安を振り切ろうと走り込むシーンのように、未来が見えない暗闇の中ガムシャラに走るようなリョータのイメージを感じる名曲だと感じます。

先日10-FEETさんのライブに行かせていただき、生でこの曲を聴くことができたのですが、音源でのアンニュイな雰囲気とはまた全然印象が変わるほど、さらに熱くてものすごくかっこよくて、本当にすごかったです。めちゃめちゃ感動しました。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV30秒 より

「ブラインドマン」の歌詞で、実際映画に出てくるシーンの描写は、実はほんのわずかなのですが、TAKUMAさんが脚本をご覧になって、そこからインスピレーションを得られて楽曲制作をなさったことは間違いありません。
なので逆に、この曲の存在が、映画にあったかもしれない幻のシーンの痕跡を読み取れる貴重な手がかりでもあります。

リョータは、ミニバスの試合に負けた日、中1で三井と出会った日、バイクで暴走した日、折に触れソータの記憶を思い出しますが、それ以外の日も、毎晩のようにソータの記憶を夢に見ていたという様子が、この曲では描かれています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

何度もくり返される、兄との永遠の別れの夢というのは、普通ならかなりつらいものだと思うのですが、リョータは夜が終わらないでほしいといった様子で、「さよならだよ」「夜は終わりだってさ」と語りかけているような印象もあり、ソータを慕う気持ちの深さが感じられる気がします。

「ブラインド」なリョータの様子はとてもつらいですが、それを脱する転機となった沖縄への里帰り。そのきっかけはバイク事故であり、さらにその原因は三井との喧嘩であることに、因果を感じます。

この曲で、つらい時期の唯一良い出来事として描かれている三井が、リョータを傷つけながらも、「同じ夢」にとらわれ盲目になっていた状態を打ち破る契機を与えたこと。『THE FIRST SLAM DUNK』のストーリーのすごさを改めて思います。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

リョータが、つらくても淡々と自分一人で耐え続け、内に秘めた苦しみを誰にも見せてこなかった日々を、この曲で歌い上げてくださったことに、有り難みを感じます。素晴らしい名曲を作ってくださった10-FEETさんに心から感謝です。

書いてあることをそのまま解釈するように心がけていますが、ほぼ映画にないシーンの考察なので、個人的な解釈が多くなってしまったかもしれません。長くなってしまいましたが、読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました!

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