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写真家・フォトグラファー・カメラマンの肩書

よくある肩書問題、、カメラマン、フォトグラファー、写真家という肩書がいっしょに並ぶのはおかしいという問いだった。

例えば、ペインターは、ペイントする人で描く人。同じ括りでいうと、写真家は写真をとる人という言い方になる。

この問いに対して思ったのは、フォトグラファーとか写真家は、なにをしているかの自覚が希薄では?ということである。

なんとなくはじめてみたけど、その輪郭がはっきりしないときに、言語を通して見える化できることがある。

今回も、だれが、なにを、どうする、なぜ? を通して言語化し、なにを、どうする、なぜ から”だれ”を明らかにしていく。

1,なにを?(写真家はなにをしている人?)

写真の場合、何を?を聞かれると被写体(うつるもの)を指示する場合がほとんどだが、なにを取り扱う人かを考える。つまり、写真家にとっては、写真とは?だし、ペインターにとっては、ペイントとは? という言い換えになる。いづれにもしても、imageやpictureを取り扱うことは共通項である。

pictureは「像 / 画 / 絵」と訳してもいいのかもしれませんが、写真も含めてあらゆるimageを含みます。文字ではないものと考えてもいいかもしれません。drawing(スケッチ)、painting(絵画)、photograph(写真)、computer generated image(CG)、mental image(心の中の情景)など広範囲のものが含まれます。graph(グラフ)なども数値などをわかりやすくするために作られたpictureの一種だと考えることができます。
pictureは意味が広く「実態、事実、状況、事態」といった意味でも使われます。
基本的には写真や図を指して使う場合にはimageとpictureは同じ意味なので置き換えても問題ないケースが多いです。

類義語であるグラフィックまで拡張して考えてみると、

graph「絵画的」、graphy「書物、~の学問」、gram「文字、文法」

まとめてみると、

なにを

2,どうする?(写真家はなにをしている人?)

ここまで対象は明らかになったが、それをどう取り扱うかによって、動詞は変わるように思える。ここにきて、paitingと同義に扱われるdrawingについても調べてみた。ここにみえる共通項は、make image であり、イメージを明らかにすることである。paitingだけでなく、graphicに通ずるところがある。

「paint」という単語には二つの使い方があります。まずは”名詞”として使うと「ペンキ」や「絵具」という意味になります。つまり、壁に塗る「ペンキ」、絵を描く際に使う「絵具」などは同じ「paint」になります。
「draw」は「絵を描く」際にしか使わない動詞になります。ペンや鉛筆で出来た作品は「drawing」と言いますが、「drawingを描く人」は「drawer」になりません。

どうする

写真家の肩書には別の問題がある。

写真家とカメラマンの区別についてだが、オンラインの辞書で調べた限りだと、カメラマンの1つとして写真家がある。興味があるのは、カメラマンは撮影する人、写真家は専門また趣味とする人と定義ある。
なお、フォトグラファーは写真かと同義で取り扱う

〘名〙 (cameraman) 職業として写真、映画などを撮影する人。
(イ) 芸術写真や報道写真をとることを専門とする人。いわゆる写真屋、写真師とは区別される。写真家。
(ロ) 映画、テレビなどの撮影技師。
〘名〙 写真撮影を専門の仕事とする人。カメラマン。
報道・芸術などのための、写真を撮ることを専門または趣味とする人。

3,カメラマンと写真家の違いは、doingに対する思考の型の違い =なぜ? を考えるとわかる

「being(あり方)」や「doing(やり方)」や手段の話です。

beingとは
beingとは、beという動詞にingを付けて名詞化したものです。beには、「ある」「いる」「存在する」「起こる」などの意味があるので、beingには、「あり方」や「存在」という意味があります。
doingとは
doingとは、doという動詞にingを付けて名詞化したものです。doには、「する」「行う」「果たす」「遂行する(やり遂げる)」などの意味があるので、doingには、「行い」や「行動」という意味があります。
havingとは
havingとは、haveという動詞にingを付けて名詞化したものです。haveには、「持っている」「所有する」「与えられている」などの意味があるので、havingには、「持ち物」や「所有」という意味があります。

つまり、being、doing、havingは、doingの動機付けとしての位置の問題と解釈でき、言い換えるとなぜ写真をとるのか?ということである。
being:目的(どうありたいか?=なにを実現?) →フォトグラファー
having:手段(どの手段で活動する?=なにを獲得?) →カメラマン

4,肩書問題=なにを、どうする、なぜ?が伝わらない(語り口の名詞を動詞にすること)

組織における役職の兼務も同じで、名刺みて肩書が多すぎてわけのわからない人がそれなりにいる。複数の役割が同じ名前を重複・反復にしているにすぎず、よくわからない状態である。

大概そういう人は、肩書の説明しかしてくれなくて”なにを、どうする、なぜ?”が伝わってこないがある。聞き手として、鑑賞者としてmake image ができない。

そこにあるものを解釈、定義することは、その対象を取り扱うこと同義であり、そこに働きかけて関係性をつくることである。つまり、名詞を動詞に帰ることだと解釈できる。

リンクの記事は、アーテイストがつくったものは作品か?制作物か?という問いから来てるものだが、”作品=制作物を解釈することで生成されるもの”は、作品(名詞)を make image(動詞) に変化させることである。

作品とはなにか?という問いだが、2019年にAIRに参加してルーシーの骨の60%というタイトルで活動にて深堀してきた。その結果、制作物を(名前をつける等の)解釈をすること を突き止めた。
”作品=制作物を解釈することで生成されるもの”


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