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オンラインでのフィールドワーク(可能性と限界)

背景

 2020年からの世界的なある事情で、集まる、移動するといった営みが、原則できなくなった。これは既存の様々な経済活動には大きな打撃だが、幸いなことに、オンラインという手段を21世紀の人類は有しており、思いがけずにリモートワークが一般化をして行った。おそらく数十年以上もかかるであろう、地球規模でのデジタル化、オンライン化への移行が、高々1年で行われてしまったのである。これは、人類史に確実に残ることであろう。感染症が、ではなく、デジタルへの移行が、である。

 教育もその例外ではなく、特に高等教育は2020年初頭より、文科省の要請もあり、オンライン授業に対応するように求められた。結果として、高等教育は新たなフェーズに入ったのではないかと考えている。少なくとも、設備産業としての大学はもう終わりを告げたと言っていいだろう。大教室に何百人もの学生がすし詰めになる授業は、もう開講されないと思う。今、対面授業とオンライン授業の良し悪しを議論しているのは、単にパソコンスキルの低い教員、学生でしかないと、個人的は思っている。こうした事情で、自分の全授業もオンライン化して行った。特にコミュニケーションのインフラとして使ったZoomの画面共有機能と、PPTや動画などデジタルデータを使った授業の相性は良く、どの授業も予想以上にレベルの高い内容になったのではないかと思っている。

 実際、進捗で言えば、対面よりも約1割程度は進んでいるし、学生からのレスポンスも、高い理解度を示すものが多く含まれるようになって来ている。オンラインでの過剰な課題と友人と会えないことなどで、批判的だった意見が多かったのも2020年度のことで、1年以上の経験を積んだ現在では、科目の性質にもよるだろうが、対面とオンラインの併用を実施しても、オンラインを選択する学生の方が、明らかに多くなってきている。
 大学の施設設備費に関する問題は、早晩考えねばならないことだろう。多くの大学は、何事も無かったように、元の姿に戻そうとするだろうが、果たしてそれでいいのか、大学の現場にいる立場としては、大きな疑問が残る。 確かに、オンラインでは完結出来ない形の学びも存在する。中でも経験的な要素を含むものなどは、その筆頭だろう。物理的に移動したり、実際に何かを扱ったりするような行為を手法として含む場合は、オンラインで完遂することは難しい。

 筆者は情報技術、情報化社会論を専攻するが、特に科学技術と市民の間の関係性に関心があり、戦後、高度成長期からの大きな社会変化を、特に科学技術の観点から研究をしている。近年は、その派生的な問題として、地方と都市部の間の関係性に高い関心がある、戦災による都市部の荒廃によって、都市部から地方に引き上げていた多くの人々が、昭和30年代以降の高度成長期における復興と発展により、次々と都市部に集中して来たその延長線上に、現在の日本が抱える大きな課題があると言っても過言ではないだろう。現在から未来に至る基本的な社会像である「産業資本主義」の基本的な構造が成立して行ったのが、この高度成長期であり、その前後の社会の姿、在り方を理解して行くのは、現在の学生にとって、重要な学びだと考えている。
 実は現在の大学生は、驚くほど現代史に纏わる知識を持っていない。受験には出ないということもあるだろうし、教える側も戦後史はイデオロギーなどいろいろ難しい点もあり、避ける傾向にあるのだろう。産業資本主義社会においては科学技術が、社会変化を生み出していく。学生達が迎えるであろう未来社会は、そうしたメカニズムの元にあるわけであり、その成立の起源や経緯を知っておく必要があるのは間違いない。

 本研究室は、特に戦後社会を理解するために、当時の記憶を持つ高齢者との対話によって、彼らの記憶や記録を引き出し、アーカイブズ化をする実践活動を行っている。

 特に、都市部の学生にとって、人口集中の結果としての都市の姿だけではなく、それらの裏側としての人口減少が起こっている地方の実体を知ることは重要であり、地方創生のブームもあって、戦後社会の理解の一環として、過疎地や限界集落と呼ばれている地域そのものを、教育、研究の対象としている。こうした点から、正規科目や演習科目、研究などの機会を見つけながら、学生と様々な地域に出向き、地域の観察をしながら、住民や特に地域の高齢者などと対話をして、その成果を纏めるというスタイルの実践活動を展開して来た。本研究室は、都市政策や町づくり、あるいは民俗学など文化研究を専門としているわけではなく、あくまで戦後社会の理解の題材の素材としての、地方、地域である。そのため、現地で観察する対象は、特定の建物や資源だけではなく、人や政策、高齢者など、多くの観察対象を含んでいる。
 このように、現地に実際に訪れて調査をしていく手法を、フィールドワークと総称する。

ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。

 本研究室では特定の地域や研究対象を持つわけではないので、広く日本の自治体を対象にして行くわけだが、実際に学生と足を運ぶとなると、交通費を含めた費用の問題と、それなりの時間の捻出が必要になって来る。そのため、主に研究対象として来たのは、辛うじて通勤圏内でもある、首都圏から100キロ圏内までの、いわゆる近郊都市と呼ばれる地域が中心だった。それらの地域は、わかりやすい「田舎」ではないため、地方創生の文脈ではフォーカスが当たることが少ないが、相当な割合で過疎地指定がなされるなど、現代の地方課題も併せ持っている地域が多い。つまりは「会いに行ける過疎」なのであって、フィールドワークとしても最適な地域であったのである。

 このように筆者が行っているフィールドワークでは、地方への移動と、高齢者と大学生との対話という要素を含んでいるが、感染症が懸念される昨今では、どちらも自粛せざるを得ない行動であるのは間違いがない。
 こうした事情から、2020年度に予定していた教育、研究の内容は、全て見直さざるを得なくなった。しかし前述のように、オンラインを用いることで、予想以上に効果の高い授業が実現できているため、試行錯誤ではあったが、オンラインでフィールドワークをすることはできないだろうかと考えたのが、その経緯である。
 幸い、Google EarthやStreetViewなどの地図系サービスの他にも、Youtubeには、地域の公式サイトやユーザによる映像なども存在しているため、これらを用いて、疑似的な、あるいは仮想的なフィールドワークを行おうと試みたのである。

フィールドワークでやっていること

 どうせオンラインを使うなら、実際にはなかなか行けない場所を学んでみようと考えた。今回対象としたのは、徳島県海部郡美波町である。元々、ちょっとしたご縁があったことと、地方創生の取り組みでは、比較的広く知られた地域だからである。

 地域を理解するためには、最低限、基礎データが必要である。例えば総務省統計局から公開されている、国勢調査のデータは、特定の地域をプロファイリングするためのコーホート分析などに用いることが可能であり、これだけでも、ある地域を地史を含め、概要の把握は十分にできる。こうした事前のリサーチを行った上で、フィールドワークの計画を立てて、実際に足を運び、仮説の検証や実証データを収集するわけである。

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 この図に示すように、地域を理解するための手法には複数あり、まず国勢調査を中心とした公開データを用いることと、地政的な環境を見ることで、その地域の客観的な理解をすることができると考えている。主にこの2つは、地域分析のための机上の手法であるが、フィールドワークは、現地に足を運ぶことで、主に感覚的な把握をする方法である。

 実際にフィールドワークをする場合には、3つほどの観点から地域を眺めることになる。①距離感覚の体感、②地勢環境の理解、そして③人々の生活感、文化環境である。

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 ①は、その地域が都市圏からどのくらいの距離があるのか、距離感を体感するのは、地域の感覚的な理解のために重要である。②は、移動途中で検証することになるが、対象地域がどういった地勢環境にあるのか、実はそれがその地域を形成している大きな要因でもあり、地域理解のためには重要なポイントとなる。例えば今回の対象地域である、徳島県美波町は、地図上から言えば、徳島県の西方面であり、直線距離で言えば、高知県の方が近いかもしれない。しかし徳島駅から汽車で向かっていくと、四国山地が接近した四国平野の様子が体感できるのであるが、明らかに、山脈の切れ目にある平野部に各駅が設けられているのがわかる。要するに四国は山間部が大半を占めており、川や海岸線に沿って平野部が存在しており、そこに集落が生まれてきたということが、現地に行く過程で把握できる。徳島県で言えば、野根川沿いの平野部が県境で、あとは山脈が走っているため、高知県側からのアクセスは不可能だということもわかる。

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 ③は、地域住民との対話で実現される。そのために、地域の行政担当者などの協力が必要である。概ね、フィールドワークにおいては、こうした観点から地域を眺めて行く。要するに、事前調査として、国勢調査などのデータを用いて、人口動態や産業別の人口などを把握し、町史などを元に、地域のここまでの流れを机上で理解したうえで、それらを感覚的に把握するために、現地に赴くというのが、フィールドワークの大体の内容である。

 しかし、ことはそんなに上手くは行くわけではない。筆者の経験では、現地に降り立った時点で、そこまで机上で準備して来た諸々が、全て雲散霧消してしまうということもしばしばある。要するに、その場に行くことで圧倒されてしまうと言うか、百聞は一見に如かずということであろう。様々なデータを元に、批判的に見て来たことが、いい意味でも悪い意味でも、どうでもよくなってしまうのである。

 例えば、徳島県と高知県の県境の中山間部にある、海陽町久尾という地域には、3人のゼミ生と共に、2015年に初めて訪れた。トップの画像は、その集落に4期目に行った時のものである。同地は、いわゆる限界集落という地域であり、当時住民が25人ほど、高齢化率が8割近かったと記憶する。
 当時はまだ地方創生という言葉もそれほど馴染みが無く、空港から何時間もかけて訪れた同集落は、都市部の学生に、強烈な印象を与えたのは間違いがない。限界集落という言葉は知っているが、実際に立ち入ったことがある人はごくわずかであろう。そもそもそういう場所と地縁を結ぶということは難しいからでもある。自分自身、初めて足を踏み入れる四国だったが、最初に訪れた場所が、この限界集落だった。

 当初は国勢調査のデータを使って、小地域分析をしていたが、社会増減、自然増減を含め、人の増減が殆ど無い地域であり、特に21世紀に入ってからは大きな変化がない地域だと想像した。そのため、緩やかに自然減が起こって行き、いつしか廃村になって行く集落を想像したわけである。
 実際に、この久尾という地域を含む、徳島県海部郡の中山間部の農林業を中心とした集落の、平成22年と27年の人口、世帯数のデータは以下である。

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 どの地域も人口が緩やかに減少してきているが、特に久尾の人口減少は目に付く。典型的な限界集落と言えるだろう。そういった地域は、高齢者が住民の殆どで、細々と山の中の耕作地を耕している、そんな光景をイメージするだろう。実際にその場所に足を踏み入れていると、確かにその通りの集落だったのだが、地域住民自体が都市部の高齢者とは全く違う。山道を普通に農機具を持って歩き、普通に畑を耕し、川から鮎を採ってきて集落のみんなで食べる。元気なおじいちゃんおばあちゃんということではなく、普通に生活をしている人々だった。要するに、老人という括りではなく、現役の生活者だったのである。
 ただし、その地域には住民の多様性が全くなかった。若者も子供も壮年も、学生もホワイトカラーも一切存在せず、地域の高齢者だけなのである。そのため、話してみるとある種の諦念のようなものを、強く感じるのである。いつかは自分も集落も消えて行くだろうといったことを、何回か聞いたことがある。
 限界集落とは、老い先短い高齢者が覇気なく暮らしている町と思いがちなのであるが、実際には長い年月を生き残った、ポテンシャルの高い集落だということが、現地に行って初めて分かった。住民の方々はほぼ忘れてしまったようだったが、かつては林業で栄えた集落であり、豊かな自然を生業の糧にしているため、この集落は自給自足で生き延びることが出来たのである。
 集落が、基幹となる産業基盤を失った場合、例えば鉱業の場合、閉山などしてしまえば、人が去りすぐさま廃村になってしまう。しかし限界化した集落は、廃村にもならずに生き延びてきた集落だということである。例えば、久尾のように、林業が基幹産業の場合、閉山という概念が無く、さらに元々が植物を対象にする仕事であるため、農耕のノウハウも多く、開墾して自給することができる地域だった。そのため、廃村にはならず、細々ながらも存続して来た、いわばサバイバル能力が高い地域だったのである。
 こうした集落の経緯や現在の状況などは、少なくとも人口データだけからは、一切わからないだろう。こうした意味で、フィールドワークが必要なのである。

 しかし、実際に現地に赴き、住民と対話をし、集落の中を歩き、農作業の手伝いをし、住人と同じものを食べることで、観察者である学生たちは、この集落に思い入れをするようになって行ってしまう。高齢化し、いつか廃村となる未来をも見据えている住民の人々の思いを共有するようになってしまうのである。このことの良し悪しを云々する気は無いのだが、その時点で、その地域を客観視できなくなってしまうことも否定はできない。その意味で、フィールドワークは、危険なのである。フィールドワークでは、こうした実際の地域の持つ圧倒的な存在感を如何に消化するか、そして思い入れを排除するかに力点を置くことになる。

フィールドワークをオンライン化する

 オンラインでその地に行く経験は、こうした過剰な思い入れを完全に排除することになる。例えばStreetViewは、どこの地域だろうが、何の意図も感情も無く、公道からの景観を撮影したものでしかない。どんな場所であれ、均質に眺めることが可能である。
 そのためオンラインでのフィールドワークでは、現実のフィールドワークで得られる、特に感覚的な側面をどのように実現し、把握するかが重要なポイントとなると考えた。それこそ、早朝に羽田空港に集合し、半日掛けて公共交通機関で現地までたどりつくといった疑似体験を、多くの映像をもとに実現することを行った。

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 幸い、Youtubeには空港の映像から、飛行機の離着陸、リムジンバス、そして鉄道の全面映像まで多くのリソースが用意されている。

 現地の様子は、Google Earth、StreetViewで、ほぼ観ることは出来る。StreetViewは、360度画像がシームレスに連なったものであって、映像ではない。ある程度の感覚的な慣れが必要かもしれないが、公道を移動して行く視点を保つ限り、現地に行って街歩きをしていることの疑似的な経験としては十分だろう。それこそZoomの画面共有を通してStreetViewの映像を観ていくことで、学生達と現地を訪れる経験はできるのである。例えば50人以上の学生達と、徳島県の美波町に現地調査に行くなどということは、現実には絶対無理だろう。費用と時間の捻出、滞在先、宿泊先の確保、そして日時の調整、航空券の手配など、考えるだけでうんざりである。そして当日、体調が悪くなっただの、交通機関が遅れただの、チケットを忘れただの…。

結局は、オンラインによるフィールドワークは、フィールドワークの疑似体験ではなく、新しいリサーチ手法なのであろう。これを終えたうえで、本来のフィールドワークをすることで、より多くのものが得られるように思われる。

路地を曲がる体験について

 オンラインフィールドワークのベースとして用いたStreetViewは、いくつか制約がある。最も大きな点は、公道を中心とした移動に限られているという事であろう。但しカメラの高さは、2メートル強なので、まずまず人間が目視する景観は再現されている。360度画像だが、地面と空をずっと直視することは無いだろうから、端的に言えば情報量が多すぎるとは言え、人が現地で見えるものは、ほぼカバーされてはいる。

 例えば以下は、美波町の繁華街である桜町通りを、薬王寺に向かって行く様子である。右手には「さくら庵」という看板が出ている古民家がある。この地域は、こうした古民家が連なり、近年はリノベーションなどされている。風情のあるいい場所である。この通りを、StreetViewで歩いてみると、おおよその様子はわかると思うのだが、何か物足りなくないだろうか。

 StreetViewでこの通りを何回か往来した上で、以下の映像を観て欲しい。現地の方のご協力で、同じ場所の最新の姿を撮影してもらったものを抜粋したものである。

シーンAは、このさくら庵という場所に入って行く、そしてシーンBは、その手前にある路地に進んでいく。StreetVewを見慣れた目から、特にシーンBは、感激ものだった。見えるだけで、そこには行けない場所に、カメラが、つまりは歩行者が進んでいく。これだけは、絶対にStreetViewでは実現できない光景である。初めてこの映像を観たとき、卑近な言い方ではあるが、大変に感動した。StreetVewを見る限り、仮想は仮想のままなのである。要するに、写真集とかInstagramで見るような、単なる画像でしかないのだが、同じ景観を移動し、入れない所に入って行く、路地を曲がって行くという映像が付加することで、現実と仮想が初めて繋がったように思えた。

 StreetViewは、とてつもなく素晴らしいサービスであるのは間違いない。人里離れた場所でも、危険なスラムでも、どこでも光景を見ることが出来る。しかしそれだけでは、現地に行くことの代わりにはならないのも間違いない。であるがゆえに、他のメディアと統合することで、より高度なオンラインフィールドワークをすることは出来そうである。そのカギは「路地を曲がる体験」だと言えよう。

今回のオンラインフィールドワークにお付き合いいただいた、徳島県美波町の政策推進課の方々に、感謝申し上げます。

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