見出し画像

オンライン授業で使えるサービス

大学は場所ではなく時間になる

 2020年度から、大学の授業はほぼ全てオンラインに移行した。教職に就いて30年近くなるが、近年は教育のデジタル化やオンライン授業の可能性などについて感じてはいたが、実際に自分自身も含め、全世界でそういった環境に移行することになるとは思ってもいなかった。

 個人的な感想であり、必ずしも全ての教員がそう感じているわけではないとは思うが、大学の授業とオンラインとの親和性は非常に高いと思っている。あえて断言してしまうが、授業を提供する側は、既にデジタルベースに移行している。まず手書きでレジュメを作る教員は殆どいないと思うし、板書のみで授業を進めるケースもレアであろう。とは思ってはいるのだが、実は、人文系の講師控室では、レジュメを切り貼りしている教員をよく目にするし、実際にオンライン授業で、学生にノートテイクを手書きでさせて、写メ(死語かも…)ってアップさせているというケースなどを見聞きする。ちょっと理解ができないが、オンライン授業のために自宅にホワイトボードを買ったとかいう教員の武勇伝を聞くと、そういった愚行も多々あるのだろうなとも思う。

 デジタルで資料を作り、デジタルで授業を展開する準備は既に出来てはいるのだが、問題は受講する学生にある。筆者の授業では、学内のLMS(学習管理システム:Learning Management System)の他、SNSやCMS(コンテンツ管理システム:Contents Management System)など様々なサービスを使って授業資料を公開して来ているが、殆どの学生は資料を紙で配布することを求めてくる。どうせデジタルで資料を作成しているわけだから、そのまま受け取って、データを加工すればいいのにとは思うのだが、何より学生たちは授業にPCを使わない。スマホでスクリーンを写メるなら、最初からデジタルファイルで授業を受ければいいのに。
 手書きのノートの方が、確実に身に付くと主張する教員も多い。しかし最終試験が終わると、手書きのノートをゴミ箱に捨てていく学生も、確実にいる。全て覚えたから、もう要らないってことか?そもそも大学の学びって、「身に付ける」類のものなのか?
 デジタルとアナログでの、優劣は語れない。ただ、授業を情報伝達行為と考えれば、デジタルで生まれたもの(born digital)は、デジタルのまま扱った方が、効率的なのは間違いがないだろう。

 言うまでもないが、オンライン授業には、リアルタイムとオンデマンド形式の二種類がある。筆者の関係する複数の学校で言えば、オンデマンドが推奨されている。

画像2

 オンラインでは、特にオンデマンド形式では、時間と空間を超えて情報を伝達することが出来る。確かに、映像や資料をアップしておけば、学生達はどこにいても、いつでもそれを使って学ぶことは可能である。
 結局オンライン環境の元では、校舎という設備は不要になるわけだから、大学生たちが設備費の返還を求めるのは当たり前だろう。いろんな学校で、それに対する学長らの弁明があるが、今の学生に対して余り説得力はない気がするのは、自分だけだろうか。

 あくまで一例でしかないが、この大学は非常に丁寧に説明している方だろう。要するに2020年度は、あくまでも特殊な例で、在学期間である4年以内に元に戻るから、そのための設備費用だということだろう。
 しかし4年以内に、何も無かったように元に戻るのだろうか。何より、ここまで試行錯誤して来たオンライン授業はもう終わりにして、また体面型の退屈な教室に戻るのだろうか。新入生が学校に来たがっているのは、しばしば耳にする。友達がいないだの、大学生らしい活動がしたいだの。友達って大学の設備が無ければ作れないのか?大学生は、そんなに長い時間、キャンパスにいたか?そんなに学校に来るのは楽しかったか?

 今、自分が都市部の大学生だったら、自分の部屋になんかいないだろう。多分、徳島県とか宮崎県とかの海の近い場所で、バイトしたりサーフィンしたりしながら、オンラインで授業を受けていると思う。天気のいい日に、教室の中に詰め込まれていなくても、自分の大学の授業が履修出来て、さらに単位まで付与されるって、こんな素敵なことは無いんじゃないか?学校に行かなくても、大学生やれるんだぜ?

 全ての問題は、オンラインか対面かではなく、オンラインで行われる授業の形式にある。オンデマンド形式の場合、もう既存の学校そのものである必要はなくなってしまう。既に先駆者として放送大学という存在があるし、内容に偏りはあるが、UDEMYのようなオンライン教育専門のサービスがある。それこそ、Youtubeを見れば、事足りてしまうだろう。

 オンデマンドの授業を基本として開講するならば、大学は場所だけではなく時間も捨ててしまうことになってしまうだろう。少なくとも、教育機関、教育サービスを標榜するならば、物理的な場所が無くても、最低限、時間の共有だけはしなければならない。リアルタイム授業を開講することで、学生と教員が時間を共有する。学校が物理的な場所を捨て去るならば、時間軸の中にこそ、存在する必要があるだろう。

 幸い、リアルタイムなオンラインツールとして、安定した機能を持った、ZoomやTeamsが存在している。これらは元々テレビ会議ツールではあったが、こと画面共有機能が、講義形式には非常に相性が良かった。

 筆者は女子大に所属しているため、学生達の顔出しなどを強要できなかったので、一方的に感じていただけなのかも知れない。確かに、繋ぎっぱなしで別なことしてたり、どっかに行っちゃう学生もいることは、Twitterで目にしている。そんなのは、教室でも同じことだ。寝ている、おしゃべりをしている、スマホを見ている…、大して変わらないだろう。
 実は、今年度の最終レポートや試験のレベルの高さは、かつてなかったほどだ。非常勤先の共学校では、例えば運動部の学生達が態度だけはキリっとして授業を受けるのに、レポート、試験はぼろぼろというケースが多かった。情報リテラシー系の授業なのに、手書きでレポート出してくるやつもいたんだよ、実際。しかし今年は、一回も顔を合わせることは無かった学生達ではあるが、本当にちゃんとしたレポートを書いてきた。一年間、完全オンラインで開講して、スキル系の科目であるがゆえに、成長度合いがはっきり分かった。
 おそらく科目にも拠るのであろうが、オンラインと大学の授業は相性がいいのは間違いない。但し、リアルタイムを保証することは大前提だが、さらにその他に、いくつかの条件がある。

教室内のコミュニケーションはマルチチャンネル

 Zoomを、会議形式ではなく、ウェビナー形式で使っていると、とても戸惑うことがある。それは、自分の声だけが、Zoomからは聞こえないということだ。おそらくZoomのホストを経験しないとわからないだろうが、これは相当やりにくい。学生側の反応を聞くために、ホストもスピーカーやイヤホンを使うのだが、そこからは自分の声は流れてこない。喋るという行為は、口があればいいというわけではないんだと痛感する。そのため、ホストとは別に、ゲストとして全音声と画面をモニタリングするために、もう一つZoomミーテイングにログインをしている。ホスト側は、ゲストの観点から情報発信を見ていくことも必要だろう。

 Zoomの想定するコミュニケーションの形は、実際に授業を行うには、相当物足りないように思える。一見すると、映像と音声さえあれば、授業としては成立しているように思える。しかし実際の教室では、とてつもなく様々なコミュニケーションが成り立っていることに気づく。喋っているのは教師だけではなく、履修している学生も、おしゃべりという名の議論をしたり、関連することを考えたり、本を開いて眺めたり、最近では、スマホを使って調べたり、いろいろな形でコミュニケーション行為を行っている。体面授業は、実はリッチなコミュニケーションなのだ。授業は、学生側が黙って座って講義を聞きながら、ひたすらノートを取る行為だけではなかった。オンライン授業が物足りないという意見は、畢竟こういうことだったのではないだろうか。

 これらを全て、テレビ会議システムであるZoomで賄うのは無理だろう。Zoomには、映像、音声通信と画面共有の他に、チャットの機能もあるが、実際に授業を実施する上では、チャット機能は、正直言えば使えない。チャットの宛先にいろいろな種類があり、しばしば間違えてしまうし、何より、講義をしていて、同時にチャットをするのは不可能に近い。

 Zoomは、リアルタイムコミュニケーションのインフラでしかない、と言うよりも、コミュニケーションツールとしては十分である。端的に言えば、学生と教員が時間を共有するためのツールだと割り切ってしまおう。
そのインフラの上で、様々な単機能のコミュニケーションツールを平行して動かすことで、オンラインの世界で教室内以上の多様なコミュニケーションが出来ることがわかってきた。

 Zoomと平行してオンライン授業に使えそうなコミュニケーションツールを列挙すると、リアルタイムの文字コミュニケーションとして、CommentScreen、リアルタイム音声コミュニケーションとしては、昨今話題のClubhouse、ライブ配信はFacebookかYoutubeで、さらに映像のオンデマンド公開にはYoutube、授業資料はCMSサービスのnote、おそらくこれらを組み合わせて使うのが、現状では最も労力が少なく、効果も大きいものになると考えている。

画像1

 まずZoomの機能の補完として、リアルタイム文字コミュニケーションであるCommntScreenがある。これは、ニコ動のように、画面の中に文字コメントが流れていく形式のもので、匿名で発信できるので、学生達の発言のハードルを下げるようである。荒れるといって抵抗を感じる学生もいるようではあるが、そうしたコメントは無視すればいいだけの話である。思わぬ学生の本音も聞けるので、講師側としては貴重なコミュニケーションとなる。実際に授業で使った経験では、通信の問題からZoomが落ちてしまった学生が、待機室にいることをこれを通して伝えてくれることなどもあった。そうした場合では、Zoomのチャットが使えないのは言うまでもない。

 Zoomは、接続状態が悪いと、映像がフリーズしたり音声が途切れることがある。こちら側の通信環境だけではなく、受け手側の通信状態も関係するので、なかなか悩ましい問題ではある。最近話題になっている音声SNSであるClubhouseが、こうした問題には使えそうだ。登場したばかりのSNSで、招待制とか著名人が使い始めているなどで話題になっているが、音声だけのコミュニケーション手段であり、さらに内容を録音したり口外することは出来ないなどの規約がある。現時点では、学生側も利用者が余り多くはないため詳細には検証はしていないが、こうした性質は特に演習科目などには適合性が高いように思える。何より映像が元から無いため、おしゃべり感覚で使えそうである。

 Zoomは、一度落ちてしまうと、再び入室をするために、ホストの許可を得る必要がある。そのため、通信環境の悪い場所にいる学生のために、Zoomの機能を用いて、同時にライブ配信を行っている。Zoomの場合、FacebookかYoutubeを配信先に選ぶことができるが、筆者の場合、元々授業の履修者のために、Facebookの非公開グループを使っており、そちらに配信をすることが多かった。ライブ配信の場合、ブラウザだけで視聴できるし、少々通信環境が悪くても問題なく授業を受けることができる。
 Facebookの非公開グループを使って授業資料や連絡をすることは、既に6,7年ほど行っている。当初は、学内のLMSだけで十分という意見も多かったし、実名を標榜しているFacebookに抵抗を覚えるという学生も多かった。
まず学内のLMSは、1年しか学習データが保存されない。これは学びにとって致命的だと考えている。4年間なにを学んで来たのか、それをエビデンスとして残しておくのは、とても大事なことだと思う。さらに本学のLMSは、夜2時から数時間バックアップのために停止する。Facebookは無料ではあるが、まず落ちたということは聞かない。もちろんその代償に個人情報を売り渡していると言われればそれまでではあるが。学内のLMSは、所詮事務システムであり、教員や学生のための学びのシステムとしては設計されていない、少なくとも本学ではそうである。

画像4

 しばしばFacebookは「オジサン向き」と言われているが、確かに社会活動を中心的に行っていない学生には、発信すべきコンテンツが無いため、積極的に利用する理由はないだろう。そのくせ、発信するとなると律義に学歴から交際相手まで書いている学生もいたりする。「適切」にやるという文化は無いのか?とか言いたくなる。
 今は、誰もが情報機器に依存しているが、それこそ携帯電話のスイッチを入れただけで、自分の位置情報は少なくともキャリアには伝えてしまうことになる。自分で発信しなくても、誰かに自分のことが取り上げられてしまう可能性だって無いわけではない。だったら、自分から発信してしまったほうがいいのではないか、それが授業にFacebookを使っている理由である。出したくない情報は書かなければいいだけの話である。君の交際相手が誰なのか、少なくとも君が書かない限り、あるいは君が誰かに喋らない限り、誰もネットには載せないから。

 授業の映像は、Zoomのレコーディング機能を使って保存しておき、それを若干編集を掛けて、オンデマンドデータとしてYoutubeで公開をしている。一科目、90分の授業を半期15回分、年度を通すと相当数の映像が自分のYoutubeチャンネルに蓄積している。授業は学費に基づいて開講されているため、限定公開にしかしていないが、大学の教員はそこらのYoutuberより数多くのコンテンツをコンスタントに作成しているということを痛感する。学生のアンケートやレスポンスからも、こうしたオンデマンドデータなどが相当活用されていることが伺える。確かに対面だとその場で消え去ってしまうような授業内容が、こうやって記録され、いつでもどこでも視聴することができるのは、高い学習効果に繋がって行くだろう。
定年を迎えて本務校と縁が切れたら、全部公開にしてYoutuberになるんだ、自分…。

画像4

 さてここまでで多くのシステムを使っているわけだが、実は一回のZoomのウェビナー講義を行っているだけなのである。Zoomを起動しているPCから、同時にライブ配信とレコーディングを行い、傍らにiPhneを置いてClubhouseを繋げておく、そして終了後レコーディングデータをYoutubeにアップする。これらのシステムは、新たな手間を掛けることなく、多くのコンテンツを同時に作成してくれることになる。そして授業関連の資料は、noteのマガジン機能を使ってレジュメ化をしておくことにする。例えば、こんな感じ。

 誰もが知るある感染症のお陰で、人が動かない、集まらない、出会わない時代になった。授業どころか、大学祭もオンラインになるというケースも耳にする。その中で強行された共通試験や入試には驚かされたが、これは明らかに時代の変わり目であろう。
 長い時間を掛けて人類が作り上げてきた学校教育というシステムが、今目の前で崩壊しつつあるわけである。いいとか悪いとかではなく、「乗るしかない、このビッグウェーブに」と考えるしかないだろう。少なくとも、僕らはそれに間に合ったわけだし、21世紀に入ってからのICTの驚異的な進歩は、Zoomをはじめ数多のツールを提供してくれた。1990年代のInternetの民間開放から始まる、いや1957(昭和32)年のスプートニクショックから始まると言っていいかもしれないが(注)、分散型ネットワーク技術の進歩は、まさにこのためにあったと、大げさではなく思っている。
注:詳しくは以下(宣伝)

オンライン授業のポータルサイトを作ります

 2021年度の演習科目の履修予定者に、こうした試みを伝えたところ、意外にもネガティブな反応が返って来た。

Clubhouseは使ったことがないので使い慣れていないというのもありますが、授業関連のツールが多くなると管理が大変そうなので、個人的には、できれば現状維持で、ZoomやFacebook等を活用していく形が良いと思っています。

 しばしば若者のことをデジタルネイティブと呼び、若い人の新しい感性とか言って、外部の人が誉めそやすのを目撃するが、それ完全にステレオタイプですから。一般の学生たちは、決してイノベーターでもアーリーアダプターでもないということを知っておいた方がいい。
授業関連のツールが多くなると管理が大変そう、これはまさにその通りだろう。教員側からすれば、自分の担当科目数コマの問題だろうが、履修する学生側から見れば、半期の履修科目数十コマの問題でもある。

 2021年度も、最低限前期はオンライン中心になるのはほぼ既定事項である。蓄積が増えてくると、教える側も管理が大変になってくるのは目に見えている。そこで、オンライン授業に特化した、教員と学生のためのポータルサイトを開発することにした。簡単な認証機能を持った、担当科目、履修科目のオンライン情報等のリンク集を想定している。現状では、各大学内のシラバスに様々な科目に関する情報が記載されるが、正直言えば読みにくさが極まりないし、オンライン情報はシラバスには記載されない。原則シラバスは公開情報だからである。簡潔に科目情報を集めたオープンシラバスをベースに、オンライン情報を個々のユーザが管理できれば、もっと効果的にオンラインで授業が展開できると思っている。

画像6

オンライン授業のためのポータルサイトには、どういう情報が必要なのか、いろいろ意見を頂ければありがたい。2021年の4月には、オープンしたいと思っている。学校がやらないんだから、自分でやるしなかない。ビッグウェーブだぜ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?