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惰性の好奇心

何となくふと思い出したこと。

僕が中学生の時のことだ。3年間のうちに何度か、若い先生が新任や異動でやってきたことがあった。皆さんにもきっと覚えがあるのではないかと思う。
新しくて若い先生というのはどうやっても生徒の興味を集めるものだった。自分たちと歳も近く、感性にもどこか似通ったところがあって親近感が湧く。僕も例に漏れず新しい先生には興味があった。
最初の自己紹介で、答えられる範囲でなんでも質問していいよタイムなるものを設ける先生も多かったし、そんな時間をわざわざ作らなくとも授業の合間に気になったことを色々聞く生徒というのは多かれ少なかれどのクラスにもいた。

「先生何歳ですかー!?」
「先生何部だったんですかー!?」
「先生結婚してるんですかー!?」
「彼氏(彼女)いるのー!?」

今思えば別にそういうことを知りたかったわけではないような気がする。
「なんでも聞いていいよ」と言われた時、つい聞きたくなることはどれも大したことではなかったような気がする。特別強く知りたいわけじゃないけど聞いておきたい、答えてくれるのなら聞いとこう、という無料サービスに群がるような惰性の好奇心が、あの頃の子供たちの間にはあった、と今になって思う。

大人も同じかもしれないよな。
別に特に知りたいわけじゃないけど、教えてもらえるんなら聞いとこう的な、これがなくても生きていけるしあっても得はしないけど、もらえるならもらっとくか的な、惰性で欲しがったり惰性で知りたがったりしている時は確かにある。

別に悪いことではないんだろう。
そうやって他人の情報を聞き出すスキルというのは役に立つ。
何を聞けば相手のことをよく知れるか、相手を不快にしない聞き方の言い回しや質問の順番、聞いた情報をもとに会話をどう広げるか、こういった目線で見ると、いずれ誰かについて深く知ることが必要になった時(生涯を共にする相手を選ぶ時や仕事の駆け引きとか)にたとえ惰性でも何かに興味を持って情報を集めておく能力には有用性がある。子供はこうやって成長するのかもしれない。

それはそれとして聞かれる側の先生はたまったもんじゃなかっただろうな。彼氏(彼女)がいたとて生徒には関係ないし、無為にからかわれるネタを増やすだけだしね。子供は無邪気で想像力に欠けるから平気で心に踏み込んで傷つけてくる。そういった残酷なところも含めて子供というのは愛しく、憎らしく、見守るべき存在なのだろうなと、大人に片足突っ込んだばかりの僕は思うのだった。

なんの話がしたかったのかと言うと、よく分かりません。

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