見出し画像

『東京都同情塔』

書籍情報

ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。

上記リンク先より

なぜ読んだか

芥川賞を受賞したことをニュースで知り、文学作品ってあまり読まないなと思い読んで見ることにした。
また、文章の5%が生成AIによって書かれたというのも知り興味がでた。

内容

「同情塔」という題材

本書では、ある教授が犯罪者をホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)であると言う。これはつまり、犯罪者も犯罪者になりたかったわけではなく、むしろ悲しい/虐げられた境遇があり、犯罪者にならざるを得なかったのだということ。そのため、犯罪を犯した責任は犯罪者自身になるのではなく、その環境にあるのであり犯罪者も被害者であるということ。
そして、この東京都同情塔という東京都のど真ん中に建設された超巨大高級ビルを、このホモ・ミゼラビリスの居場所として与えること。
つまり、犯罪者に超一等地での住まいをあたえその費用を国民の税金で賄うという話。
東京の人々はその高いタワーを目にするたびに犯罪者を思い出し、同情を押し付けられるのである。

AIとのやりとり

この小説の中では、AI-builtという名前でchat-GPTのようなAI chat botと主人公のやりとりがでてくる。おそらく実際の生成AIも利用しつつ作られた文章のように思え、作者も展開を予想しきれないAIからの回答を受けて、それに対してリアクティブに文章を紡いだ感じも受けた。

東京だけど少しズレた世界線

時事ネタとしてもジャニーズ問題やコロナ禍でのオリンピックの話題にもふれる一方、その世界線ではザハ・ハディドの国立競技場が建設されている。
この設定が、自分に身近な今の東京という存在を少しミステリアスにするとともに、改めてザハ・ハディドが考案していたスタジアムが建設されていればと思いを馳せさせられてしまう気持ちにする。

感想

まずもって私は文学作品を読むことに慣れていない。
慣れていないということが、うまく楽しめないと同義かはわからない。
ただ、意図的にくせがつけられていたり、ウィットが効かせられていたりするような文章に対して、通常の文章と違いなぜよいかなどをうまく言語化することがうまくできない。それでも感想を書いてみる。

犯罪者の捉え方は、確かに一理ある、というか同じようなことは考えていたことはある。人の行動には理由やそう行動するようになった背景がある。そして犯罪が起きたときにその原因を遡っていったときに、「その人せいだ」といえる要素はなんなのだろう。両親に虐待を受けていたせいかもしれないし、経済的に困窮している家庭で生まれたせいかもしれない。そうでないのであるなら「心が弱い」からなのか?「遺伝子が良くなかった」からなのか?それらは「その人のせい」なのか。

また、あわせて思い出したのが『Humankind 希望の歴史』で触れられていた刑務所にいれられた人の再犯率の話。(上巻か下巻かは忘れた)

待遇の良い刑務所に訪問する話が書かれてある。
通常の刑務所だと服役者は雑に扱われ、恨みが増え、刑期完了後にまた犯罪に走るケースが多い。一方で待遇の良い刑務所(普通のホテルみたいな設備で普通の人としてまっとうに扱われる)ではその再犯率はグッと下がるといういう。直感的には「犯罪者に税金を使ってなぜそんな待遇良くしないといけないのか」と思えるが、彼らもまた世の中に出ていくとすると、刑務所に入ってまでまた過酷な思いをして世の中への怒りを増幅させるより、良い待遇で更生の思いを強められるほうがよいという話。

このあたりの「論理的正しさ」と「直観的な違和感」みたいなのがあり、このあたりは人間らしさなのかもしれない。
本書の生成AIとのやり取りも、それを通して逆に人間にしか書けないような文章を描かれている。(実際に、そういうやりとりが本書ででていた。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?