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自分を知るって難しい。



自分を知るって難しい。
自分の軸ってなんだろう?

「noteを書く」という事を始めたわけですが、これが「自分とは?」「自分はどう思った?」という自分を知っていく作業でもあるんですね!

そんな事、周知の事だと笑われそうですが、私、やっと気がつきました。お恥ずかしい。

noteを始める前に、
「死ぬまでにやりたい事100個」
ノートに書いてみた。

100なんて書けないっっっ!
20くらいかな、書けたの。
でも、その中に「いつかnoteを書く」と書いた。


私は、ずんの飯尾さんのギャグみたいに
「あっちにごろごろ、こっちにごろごろ〜」
考え方や気持ちが変わるところがあるようだ。

やってみたい事。
行きたい所。

あるのに…

今は、まだいいか。もう少ししたら、にしよう。推し活も出来るし、一人の時間も好きだし、いいかと、切り替えたりする。もしかしたら、現実逃避かもしれないが。


ポジティブなんだかネガティブなんだか…。


現実と空想
先日、知り合いの子供たちの野球観戦をした。久しぶりに『声援もOK、観戦者の制限無し』。
試合終了後、「おめでとう!やったね!」「応援ありがとう。ヒヤヒヤしたー」などみんな少しテンション高めに会話をした。


会話は、それほど長い時間ではなかったし、至極普通のこの会話なんだけれど、「やっぱりコレだよね」とその時思った。
応援しているチームが勝ったから、知っている子が活躍したから というのもあるかもしれない。それだけではなくて、その事について隣で会話する『リアル』感がとてもいいなぁと感じたのです。

すると、「推し活」が急に虚しく感じた自分にも気がついてしまった。
推し活は、空想の世界なんだな。


私、本来、人とお話するのが好きなんだと思う。

でも、大人数よりも二人三人くらいの方がいい。
なんともワガママ。
じっくりお話できるから。聞きたいという方が勝るかもしれないな。
noteやブログを読むのが好きなのも、トーク番組が好きなのも、同じ理由だな!

その時は、創作するっておもしろそうだなぁ〜くらいの気持ちだったように思う。いざ、やり始めてみたら上手くなんて書けないけれど、やっぱり意外に楽しい。



一年ほど前の下書き記事です。
振り返ると、少し、進歩している自分に気がつきました。

運動を始めました。
『思い立ったが吉日』とばかりに、その日のうちにフィットネスクラブに体験に行き入会しました。

①身体の不調が続く
②今後が心配になる
③いつ何があってもおかしくない と身に染みる
④あれをやっておけばよかった と亡くなる時に思いたくない
⑤思ったらすぐ行動

という思考プロセスだったように記憶しています。