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YouTubeと思い出で綴る在りし日の北陸線

14年住んでいた我が故郷滋賀県長浜市。ここを通る唯一の鉄道路線がJR北陸本線。2021年現在は新快速が4種類と681系、683系8000番台による特急「しらさぎ」、そして、3色あるEF510による貨物列車。プラス、強風のときに迂回してくる特急「サンダーバード」も。
今の列車たちももちろん好きな僕だが、幼い頃走っていた古い列車は時々ノスタルジーに浸りたくなるほどより好きだったりする。そんな在りし日の北陸線を僕の思い出、YouTubeの貴重な映像とともに綴る。

419系

まずは幼き日の僕が何度もお世話になったこちらの電車。寝台特急縮小などで余剰になった583系を大胆にも普通電車として再生させた電車。北陸向けで交直両用の419系と東北、九州向けで交流専用の715系に分けられている。ラッシュ時に不向きな狭い間口と2ヶ所ドア故に後者はJR化後早くに淘汰されたが、前者は交直両用電車のコスト高さから2010年まで生き残った。しかし、敦賀以南では新快速乗り入れで早くに撤退している。

この電車に乗って、旧長浜市域に行ったり、父に連れられ琵琶湖一周、小2で行った敦賀への校外学習、ビバシティに行くときなどで乗った他、実家の目の前の道から踏切が見えるほど線路が近く、寝る前の夜10時ごろに駆け抜けていく419系、475系などのモーターは一種のASMRのようだった。それほど生活に身近な電車だった。

特に印象的だったのはこのシーン。交流電源と直流電源の境目では電気を切り替えるために一度ブレーカーを落とすようなイベントがある。419系ではオレンジ色の常夜灯だけが光って数秒間真っ暗になった後、再び電気が戻る。特に、母方の祖母に会いに行った帰り道、夜の帳が下りる頃に米原から芦原温泉行きの電車に乗り込んで長浜駅を過ぎるとこのイベントを僕は密かに楽しみにしていた。一瞬だけ光る常夜灯は僕の脳みそをとろけさせるような、不思議な感覚がした。突然暗くはなるが、何も嫌な思いをしなかった。
しかし、新快速乗り入れの障壁となっていたこの場所は敦賀駅の北側に移設された上に技術が進んだJR形の電車では非常用電源でのバックアップがついて、こういうイベントは減少傾向にあるそう。人によってはびっくりするからこういうのは安心感があるが、僕にとってはどこか寂しい面もある。

485系『しらさぎ』

続いて、この動画のサムネにある電車の思い出を綴る。2003年までの長きにわたって、この485系が特急「しらさぎ」として走っていた。2001年には赤とクリームの国鉄色から白地に紺とオレンジを纏った新カラーになり、富山、名古屋側先頭車が「スーパー雷鳥」から移籍し、前面展望が楽しめるパノラマグリーン車となってグレードアップした。

大阪の北摂から高月町(当時)に引っ越してきた3歳のとき、引っ越し作業してるトラックの後ろに立って、線路の方角を眺めていると、この電車が走って行ったのが記憶に焼き付いている。物心つく前の頃だったが、御堂筋線、北大阪急行きっかけで既に電車好きになっていた僕にとっては、見慣れないカラー、見慣れない形の電車が衝撃的なぐらい記憶されているのだと思う。5歳の頃にも何度か見た記憶があるが、気がつけば過渡期を経て淘汰されていた。それでもこの新型車両の真っ白でピッカピカなボディには目を輝かせていて、淘汰されることに微塵の後悔もなかったのかも。
↓こちらがその「新型車両」こと683系2000番台
 2021年現在は装い新たに近畿北部と和歌山方面の特急、新大阪〜姫路間の通勤特急「らくラクはりま」で活躍中。

復路の北びわこ号

先日、運行終了が発表された「北びわこ号」。いろんな思い出は以前綴った通り。そんな北びわこ号は基本的に米原発木ノ本行き往路のみ。帰りは追いかけてきた電気機関車と連結して、エスコートされる形で米原に戻っていた。この形態ができたのは2003年からで、それ以前は復路も営業運転していた。転車台はないため、SLは反対に入れ換えて、炭水車が先頭となる形で客車に連結し、木ノ本から米原まで運転された。僕が物心ついた5歳頃になんとなくこれを見た記憶があって、違和感ある雰囲気だったのを覚えている。
ただ、この形態だとMAXスピードの半分しか出せず、後続列車への影響が大きく出ることもあって、2003年に復路は廃止され、DD51形ディーゼル機関車による回送で復路を走ることとなった。そして、架線電流が交流→直流に変わった後の2007年からはEF65形電気機関車に交代し、最後までこのスタイルとなった。

ということで、個人的な鉄道のノスタルジーを綴ってきました。せいぜいファンか地元民向けのネタですが、誰だってノスタルジーに浸りたいことってあるかと思います。古き良き思い出や幼き日の楽しかったことetc…。今では見られなくなってしまった思い出も、今ではYouTubeという強いツールで見ることができる良い時代。疲れたときとかふとしたときにこうやってノスタルジーに浸ってもいいんじゃない?って思ったりします。

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