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何も言わない、怒られる。

僕は基本的に面と向かって本音は言わない。
どんな親しい相手でも、大事なことほど言わない。

今日サムネの空を見ながら、そんなことを1人で考えると、こんな背景が浮かんだ。

  • 否定されたら自分がどうなるのか分からない。

  • 自分の考えは世間一般からズレているのではないか。

  • 考え過ぎだと言われ、自己否定に陥った過去。

数々、落ちぶれては「うつ病」寸前まで追い詰められた僕。ここでもし否定されたらと思うと、言うことに対してリスクが大きく感じる。特に僕は友達付き合いが年に数回程度。旧友なんて存在はなく、年に1回あるかないかで飲みに誘われる程度。ない年もザラじゃない。

自分の考えを聞いて相手が判断するわけだが、僕の場合はいい反応がなかった、あるいは悪い反応しか記憶にない。実際僕は「天然ボケ」が多いことも自覚している。これもズレていると感じる。

過去に悲しい感情に陥ると「考え過ぎ」だと言われることがあった。これを聞いていると自分の考え過ぎる性格に嫌気が差す。ズレていると感じる上に、これを受け入れられた過去はない。

仕事場では何をしてほしいかなんて基本的に言わない。いつも怒ってくるリーダーに対してはもちろんのこと、優しくしてくれる人にも本音は言わないようブレーキをかけている。

副部長との面談で「言いやすい人は〇〇さん」と言ったとて、相談したことは皆無。

相談しぃや

と言われても、

  • 何を言えばいいか分からない

  • どんなふうに言えばベストなのか

  • 邪魔にならないタイミングはいつか

  • ベストでなければ落ち込んでしまう

どうしても、完璧を求めてしまう。極端と言えるぐらいに気を遣ってしまう。過去の経験がそうさせている。

こういうことが、何考えているのか分からない原因になっている。そりゃ怒られて当然なんだと思う。でも、改善の糸口が見つからない。

ここで変わらなければ誰からも見捨てられるという未来は見えている。実際そんなニュアンスは言われてきたし、反応を見てもよくわかっているはず。でも、行動起こしたらどんな反応されるか分からない。「二度あることは三度ある」的にネガティブに思われたらどうしよう。

怒られている=期待されている

ということをどこかのネット記事で見ていた。でも、本当にそうなのか疑ってやまない僕。怒られて何が変わったかが未だ分からないことが多い。それ以前にこんな思考がこびりつく。

怒られている=嫌われている、攻撃されている

完全にそうだったかは全てではない。でも、僕は基本的にそうやって怒られることを避け続けてきた。中学校の頃には先生に怒られることがなかったために比較的自己肯定感が高かった。初恋していて舞い上がってたこともあったけども。

昔は何も言わなくても良かったことは社会的には受け入れられない対象なのだろう。それに強く警戒される、何を考えているか分からないと言われるし、ズバリ吠えられてしまう。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。