引用日記①

 九〇年代は、〈少年〉と〈少女〉の価値観の戦いだった。〈少年〉の価値観は世界の終末を夢見る。八〇年代の『アキラ』や『マッドマックス』に始まる核戦争後の廃墟を、少年たちが跳梁するイメージである。何も変わらない日常は、少年たちにとって息苦しいばかりの地獄だ。やがてそれは世界破壊の衝動を育む。リセットしたい。すべてチャラにしたい。世界を終わらせてしまいたい。オウム真理教信者のハルマゲドン待望は、現実に地下鉄サリン事件を引き起こす事態へと至る。「みんな死んじゃえばいいんだ!」と『エヴァンゲリオン』の碇シンジ少年は叫んだ。世界と自己を直結させた"酒鬼薔薇聖斗"以後の少年犯罪の主役たちは、世界破壊を自己破壊の衝動へと転化させて自らの周辺にナイフを向ける。やがてそれは今日のアニメやライトノベルの分野で〈セカイ系〉とも呼ばれる感性に発展/拡散を遂げてゆくことになるだろう。
 対する〈少女〉の価値観――。「世界なんて終わるわけないじゃん!」。援助交際でもして今をまったりと生きること。オウム信者の〈純白〉のサマナ服や、酒鬼薔薇聖斗の〈透明〉な存在に憧憬を抱いたりしない。この不透明な現実を受け入れ、適度に薄汚れながら、でも決して傷つくことなくゆるやかに日常をやりすごすこと。ブルセラ・コギャル・援助交際〈少女〉らが知らずと身につけた、そんな「終わりなき日常」を生きる智恵を、今こそ我々は積極的に学ぶべきではないか。それはやがて宮台真司によって「まったり革命」とも名づけられることになるだろう。
 
中森明夫「宮台真司の"転向"」『制服少女たちの選択 After 10 Years』(宮台真司、朝日文庫、2006年)解説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?