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ステークホルダーとちゃんと喧嘩をするために〜ミックスフライ定食を作ろう〜

この記事はGoodpatch Anywhere アドベントカレンダー3日目の記事です。

まえおき


自分のこと

こんにちは、えりざです。
Goodpatch Anywhereにjoinして「このアプリここが素敵〜!ここは微妙かも〜!こうしたらもっと良くなるかも〜!」みたいな評価をしたり、「これこの書き方でユーザーさん意味わかるかなあ、このデザインでユーザーさんわかるかなあ」って真剣に悩んだり、「デザインはこれがいいんだけど既存の実装を鑑みるとこれ実装いけんのか!?本当にか!?」って気を揉んだりしています。あとワークショップを設計したり、読み物を書いたり、楽しく泳がせてもらっています。

日常としてはお仕事を複数やったり、専門学校や履修証明プログラムを修了したりしながら数少ない余暇をオーケストラで楽器を弾いたりイラストを描いたりとそれはそれで回遊魚みたいな活動をしています。

余談ですが、当方の仕事を説明するときにUXデザイナーという肩書きをいただいたりUXリサーチャーという肩書きをいただいたり、はたまたUIデザイナーという肩書きをいただいたりみたいな話があります。が、「UX」とか「UI」って言ってもなんだかふんわりしてるなあと思われたり、「デザイナー」っていう肩書きが「絵を描く人?デザイン?」って思われることが少なくないので、こんなことをしていますって話をするときに具体の話をすることが多い環境で働くことが多いです。
本稿ではいろんな立場を反復横跳びすることが多い中での学びをちょっとだけでもお裾分けできればなと思っています。

本題


不意に現れるおさかなメンチ

このタイトルにした理由、それは「会話」はできるからです。
会話自体はある程度言葉の定義が違っても成り立ちます。
例えば「揚げ物=アジフライ」である人と「揚げ物=コロッケ」の人で揚げ物の会話をする時、
「小麦粉をはたいて卵をつけ、パン粉をまぶすよね」
「油はたくさん必要だよね」
「きつねいろになるまでしっかり揚げなきゃね」
「ソースが合うよね」
「タルタルソースもいいよね」
なんて感じである程度話はできてしまいます。これがトンカツだとしても、タルタルソース……?となるくらいで意外と違和感がないことが多いのです。また、なんとなく違うかしらと思っていてもそこをわざわざ指摘してややこしいことにしないことも少なくないと思います。うっかり我々は大人なので。

ところが、これが「最高の揚げ物を提供するために議論する」みたいなことになってくるとちょっと話が変わってきます。
「あつあつを提供しよう」
「キャベツも添えてあげよう」
みたいな話ができているうちは平和です。
「材料はもちろん魚屋で仕入れるよね?」「え?」
「あつあつのうちに潰す必要があるよね?」「は?」
そしてなぜか頑張って議論して作っていたはずなのに運が悪ければなんだかパン粉が多いおさかなハンバーグが出来上がってしまうのです。運が良くてもおさかなメンチになってしまうでしょう。おさかなメンチも美味しいですが、多分二人が思っていたものとはちょっと違うはずです。
つまり、「喧嘩をする」≒「議論をする」、そしてそのためにはいわゆる「目線を合わせる必要がある」よね、というお話です。

知ってる意味が意味じゃない

ここまで読んでいただいた人の中で「まーたディスコミュニケーションの話か」って思った人、おそらく2割くらいいるでしょう。賢い。
でもディスコミュニケーションってやったことある人しかその実際の大変さとか、どんな言葉で蹴つまずいたかがわからないし、思ってもない言葉で顔面から転ぶことは少なくないので、この問題は色々と大変です。
最初に私のお仕事の話で書いた「デザイン」だって、定義を知っている人がどれだけいることか。そして人間普通に生きていて定義をベースに話をする、なんて意識をしない限り早々ないはずです。

え、定義をベースにいつも話をしている?だから誰と話しても齟齬が起きない?適当に買ったおやつがとっても美味しいおまじないをかけておきます、なのでいますぐこのページを閉じてコンビニに行ってください。確実にnot for youな話がこのあと繰り広げられます。

「定義はググればわかる」と言われたことがあります。ふむ、本当かしら。ググってわかる定義なんて定義三角あぶらあげくらいだし、あれのおいしさは食べてみないとわからないよね、ていうかそもそも定義なんて皆ググらないで雰囲気で会話してるじゃないの、なんて軽口はこのくらいにして。
例えば「ブランド」という言葉を見てみましょう。
例えばアメリカマーケティング協会のブランドの定義。

A brand is any distinctive feature like a name, term, design, or symbol that identifies goods or services.

American Marketing Association

つまりブランドとは、「商品やサービスを識別する名前、用語、デザイン、シンボルなどの競合と差別化するための特異性」みたいな感じですね。この定義が古いとか新しいとかそういう議論が別途あるのは承知の上で、マーケティングで出てくる「ブランド」は差別化のためのものなのだわ!という意図が強いです。マーケティングとブランディングの棲み分け、なんて話に発展することも多いでしょう。

一方でデザインの文脈だと「ブランドとは「らしさ」である」と言われることが多いように感じます。その後にくるブランドデザインだったりブランディングを想定するためのものという考え方が強いので、これだ!という定義があんまりなかったのですが、「価値」を伝えるためのものであるという記載が多いです。アメリカマーケティング協会のブランド定義を見て、それはそうなんだけど、うーん?となる感じ。

これで何が起きるかというと、
「この商品はこんなものです!ブランドとしては他とは違ってこういう媒体で出しているところが差別化ポイントです!これを前提にブランドデザインをしていきたいです!」
「それは価値なのか……?そしてそれでデザインって一体……?ついでにこの場合のブランドデザインって何を指してるの……?」
みたいな状態が起こることがあります。
ここで健全に話し合いを行えたり、これってこういうこと?ができればあんまりことは拗れないのですが、そうもいかなかった場合、大体このあとはパン粉多めのおさかなハンバーグが生焼けで出来上がることが多いです。半熟おさかなハンバーグとかいっておいしそうに見せかけられることもありますが、実際あんまり美味しくないとおもいます。

アジフライを押し付けるな!

「ステークホルダーと対等にしてれば腹を割って話せる!議論はちゃんとできる!」
いや、あるべき姿なんだけどさ。
対等にならない状態としてはクライアントとしてお金を払っているのに!みたいなパターンもありますし、自分の仕事にとてもプライドがあるからそれができない人は自分よりなんとなく下に見てたり、年次が低そうに見えるから侮ってもいいと思っていたり。
例えるならば私は最高の揚げ物を作りたいからコロッケを作りたいのに、「コロッケなんて美味しくないじゃん!アジフライだよアジフライ!わかってないね!」って言われる、なんてこともありました。
こういうことを見たり体験したりしていると、これって基本しっかりと腹の底から相手をリスペクトしていないとできないのではないか、そして関係性を作っていくしかないのではないかという点でなかなか難しいのでは……というふうに半ば諦めの境地もあるにはあります。
(一応、Goodpatch Anywhereのお仕事はかなりこれができてるので相互リスペクト最高〜!て画面の前でニコニコしていることが多くあります。)

じゃあどうするの。もともとこれ結構どうしようもないと思っていましたが、どうしようもない、わけではなさそうだなあとここ数年で思うようになりました。

コロッケのためにアジフライを作る

私のキャリア、煎じ詰めるとこれです。
つまり、社会人をやりながら専門学校に行き、履修証明プログラムをこなし、資格をとり、また履修証明プログラムに行く、みたいに「いろんな領域を片っ端から勉強して、その領域の目にみえる資格を片っ端から回収する」。
余暇の多くと生活を仕事と勉強に捧げ、私はコロッケが作りたいんですと声高らかに主張しつつ、コロッケだけではなくアジフライやカキフライ作りを学ぶ。コロッケ職人にはなれないし、アジフライ職人にもカキフライ職人にもなれない、なんだか揚げ物がただ他の人よりちょっと上手な人になる道。
(余談ですが私は経済とプログラミング(Java/SQL/html/JS近辺)とUIUXとワークショップデザインとマーケティングを学んでいる人になりましたが、他の人にこれ薦めるかって言われるとあんまりにもうーん……なので一旦忘れてください。こういう人間もいる。)
これでやろうと思えば、場合によっては、相手のアジフライを否定して、コロッケを作れるようになりました。なぜなら私はアジフライの作り方もコロッケの作り方も知っていて、アジフライの良さもコロッケの良さもある程度理解をしているから。そして、相手方にも「こいつはアジフライのことを知っているんだな、なぜならアジフライを揚げる資格をとってるから」みたいな認識があるからです。
でもこれ、相手の納得感は薄いし、自分もやってやった!みたいな仄暗い方向の愉悦を覚えるだけだし何なら別にアジフライも美味しいとは思ってるんだよなあみたいな感じになるので全然やらないです。意味ないし。

そして、デザイナーの皆様なら良くあるべきであろう、ポートフォリオや自己制作をやって「自分はコロッケ職人たる人間です」「ほぅらこんなに綺麗なきつねいろ!とっても美味しいんですよ!」みたいなものを作るのとは少し反したものとなるとも思っています。上記したように、これって揚げ物が全般的に上手くなるための活動なので。

コロッケの良さ、アジフライの良さ

いやそこまでせんでも。コロッケもいいしアジフライもいいじゃん、その時々でいい方を選べればいい、何ならミックスフライでいいじゃん。その選択肢を取れればいいし、それをもし対立するようであれば相手とちゃんと喧嘩して最後合意できればいい。
あるいは、自分はコロッケ職人になりたいのであって、揚げ物が上手くなりたいわけじゃない、アジフライ揚げる資格を持っていた方がきっとアジフライの人たちとは話せるけど、でもそれは本質じゃないと思う。
私もそう思います。
だから「本を読もう」、これに尽きる気がします。

本を読むことで何が得られるか。
普段読む本はきっと、自分の範囲の本を読むことが多いと思います。例えばUXをやる人だったら「UX原論」「はじめてのUXデザイン図鑑」とかは大体本棚にあるような気がしますし、ユーザーリサーチや人によってはリーンUXとかもあるのではないでしょうか。
それから少し外側に、さらに外側にと広げていけば、自分の領域として話せることがどんどん増えていきます。デザインの人が周辺の探索のため読書するのもそうですし、ビジネスやテクノロジー領域の人がデザインの領域の本を読むのもそうです。
もし全然わかんないなあってところがあったらそのキーワードで調べたっていいし、そこの部分のもっと簡単な本を読んだっていいし、これはもっとやっていこう!って思ったのであればそれこそ学びに行くという選択肢が出てくるのではないでしょうか。
(余談ですが田川欣也さんの本で「イノベーション・スキルセット」という本があるのですが、めちゃくちゃ要約するとバランスはさまざまだけどBusiness, Technology, Creativeの知見があるBTC人材になろうぜ、越境しようぜという本なので興味があれば読んでください。私はこの考え方が大好きです。)

本がいいなあと思うのは、いろんな人が本を書いていて、いろんな切り口があり、いろんな意見や論があってということを改めて知ることができますし、同じ領域でも相容れない意見を摂取できるのが大事です。
絶対この思想は無理だわ、と思ったものが相手の軸だったりすることは往々にしてありますし、それ自体はそういうものだよね、と腹落ちさせることができるようになるのが読書の偉いところだと思います。

人に話を聞くのもいいですね!セミナーとか勉強会も素敵です。
デザインやテック系の勉強会の多さやカンファレンスの多さ、ビジネス系のセミナーの多さって各領域独特で面白いなあと思いますし、それぞれ生の声が聞けたり最新の素敵なものが学べるのは大きな利点です。
でも、今生きている人にしか聞けないし、というか今の考えしか聞けないし、というところで敢えて本を推しています。
亡くなった人の意見、数十年前の最新の知識、これからはこれがはやる!と言われていたものの数々。そんなものは本でないとわからないことが多いのです。

何を揚げようか?

読書をして、あるいは勉強をして、コロッケとアジフライについて知ったところで、結局どうすればいいのか。相手と自分の間にどうやら隙間があり、でもそれは相手がわかっているのか定かではない。
結論「コロッケ定食を作りましょう!中身の材料じゃがいもと挽肉でいいですか?」とか「ミックスフライ定食やっちゃいましょう!コロッケとアジフライと」って初手で言ってしまうのがどうやら一番いいみたいです。要は、「こういうふうなところがスコープだと思うんですけどこういう手法/順番で進めてく感じであってますか?」です。これは営業側でも、エンジニア側でも、デザイン側でもキックの仕方が同じだと思っています。
みんなとりあえず揚げ物をあげようとしているところは定かなので、まずは「コロッケ定食です!」「ミックスフライ定食です!」と言ってしまうと、相手からは「え、アジフライじゃないんですか」と返ってくるか、「メンチカツもいいですねえ、一緒にカキフライも載せたいです」と返ってくるか、はたまた「単品のカツがいいんですけど何を揚げるかは実は決めてないんです」と返ってくるか。

絶対相手がわかってるとかはまずないから、まず初手で我々はこう思っています!これが我々の視点です!降りるか上がるか並行移動か次元が違うか、それとも実はほぼ一緒なのか教えてください!ということをオープンにしたいよね、というお話です。

最後に

一緒にミックスフライ定食を作ってくれるメンバーを募集しています!

ちなみに。
ここまでフライだと揚げ物だとかの話を喩えとして書いてきましたが、私小麦アレルギーなので出てきた揚げ物食べられません。小麦使ったコロッケとかアジフライ、レシピ知ってるし似たようなもの食べたことあるからさぞ美味しいんだろうなあと思って書いてます。食べ物部分だけはレシピ本とかの知識だけで書いた記事です。
さて、「食べられるあなた」と「食べられない私」、視点はあっていたでしょうか。


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