ヒトは畢竟他人を救えず、「ウタ」は1000年生きる。

 どうも、特定の概念に感度3000倍のオタクです。今更フィルムレッドを見ました。
 数日前から曲は聴きこんでいたのですが、奇跡的に本編のネタバレを一切踏まず(全く関係のないインターネット・妄言は結構見たけど)公開から今日まで過ごしていました。
 曲から想像した「少女・ウタ」と現実のフィルムレッドの答え合わせのような気分で観に行ったのですが、我ながらブッ刺さってしまったのでnoteにまとめてます。このnoteは被弾が多すぎる感度3000倍オタクのダメージボイスを聴くつもりで読んでください。

「ウタ」は誰のための偶像か

 本編開始3分で曲と現状の照合が済んでこれから起きるほぼ全てを予見したので新時代の歌唱が始まったときには既にべしょべしょに号泣していたオタクです。初見の映画の開始3分で号泣することある!?なっとるやろがい。
 元々死・別れ・犠牲・断絶への感受性が高すぎて物語上の暗喩に過敏に反応しがちではあるのですが、ライブ会場のすぐ傍に停泊しているはずの麦わらの一味の周りの風景があまりに荒涼とした荒れ地(水場だけど)だったりおなじみ開幕ナレーションからのオリジナルナレーションと情景が滅びに寄りすぎていたりとか、意味深に挟まるキノコのカットとかで、「ああ、この先には滅びしかない。ウタちゃんは全部救うための生け贄になるつもりで最初から立つ子なんだな」を理解してもうべしょべしょに泣いてました。
 きっと彼女は手段の正しくなさゆえに滅んでいくものなんだなとは思っていたのですが、まさか『新時代』を歌い始めた時点でどんなに上手くいっても自分の死と引き換えに全てを終わらせることが決まっていたとは思っていなかったです。
 想定が甘すぎるオタクは考えていた前提が全てひっくり返って、華奢な少女が救済を願う全てを背負って死地に飛ぶ有様を開幕から見ることになったのでもう号泣してました。
 続く『私は最強』も孤独な少女が不敵に笑って立ち上がるための自分への鼓舞だと思うと味が変わってくる。「背に庇った子供を安心させるためにヒーローが浮かべる笑み」的な曲だと思っていたのですが、違かったんですよ。誰にも救って貰えなかった子供が「自分を救ってくれる空想の英雄」をその身に降ろして自分を鼓舞しながらかつての自分によく似た人を救済するために歌っていたんですね。
 全部引き受けて笑うんですよ、ウタは。思っていたのと違う、ずっと強い子だった。現実のウタはみんなが寝ている所を眺めながら歌っている。静まりかえったステージで事実上の殺人の自覚を持ちながら、死んでいくまで独りで歌い続けることを選べる子だったんですよ。かつての自分によく似たたくさんの誰かの救済のために死ねる子だった。
 きっと一番救って欲しかったのはウタなのに、自分に「かつての自分とよく似た誰か」を救える力があると知れば進むことを選ぶことができてしまう。祝福された通り、みんなを幸せにするために歌える子。
 「ウタ」という偶像はウタが自分と、自分とよく似た人々を救うために演じてるものだと思っています。

ウタの詰みは誰の罪?

 論じる前にまず一つ前提を。トットムジカにはそれそのものの意志があり、トットムジカ出現後の挙動はその全てがウタの意思とは限らないと思っています。
 ウタの手段は間違っていたのかもしれませんが、思想まで間違っていたかどうかはあまり断言できないと思っています。少なくとも賛同者は多く居ました。
 では、何故ウタがあんな終わりを迎えたのか。独りで戦い・独りで全てを守り、背負おうとしていたウタは徹底的に差し伸べられた全てを拒絶して終わりにひた走ります。そうなってしまった原因は、本編に描かれています。
 よく「生きてるだけで致命傷」という言葉を使うオタクなのですが、ウタはまさしくそれだったなと思っています。今回は「生きていること自体が致命傷」ではなく「生きてはいるが既に致命傷を負ってしまっている」の方です。
 ウタの致命傷は「いつ」だったのかですが、私は一度目のトットムジカだと思っています。厳密に言えば一度目のトットムジカの罰を受けられなかったことがウタの致命傷になっていると思っています。生き残り誰もがウタを赦し、罪を被ったことでウタは償えなくなってしまった。歌う意味もなくなってしまった。
 赤髪海賊団の音楽家としては生きられず、真実を知ってしまった後も歌うことだけが役割である彼女は自分が歌う意味を他に求めます。みんなを幸せにする偶像のウタはかつての賛辞を元にその過程で出来たものです。
 賛辞を受けている歌という媒体で自分が多くの人を殺した事実も、きっとウタにとっては耐え難いものだったのではないでしょうか。本編ではウタへの武力行使の過程で傷ついた人に取り乱し、悲しみながら怒っています。また、ウタ自身が逆光~トットムジカで操っているものでも悪人と規定した対象以外に重傷を負わせようとはしていません。自分の歌が誰かを傷つける原因になってしまうことは彼女にとってきっと相当なトラウマになっています。
 だからこそ、ウタがみんなの幸せのために歌うことで自分を犠牲にするところに決着するのはある意味必然だったと言えるでしょう。それは同時に、多くの人を傷つけ殺した罪人であるウタ自身の処刑でもあります。
 ウタはもう救われてはいけなかった。誰よりも救いを求めていた彼女はその強さ故に自分が全部終わらせることを自分自身に課した裁きと責任としていた節があるように思います。作中で差し伸べられた手を全てはねのけたのはそうした心情故だと思っています。
 開幕に述べたとおり、フィルムレッドでのウタは物語に登場した時点でもう止まることができない覚悟と仕込みを済ませてしまった後です。自分自身で用意した処刑台に登るまでの彼女の足取りと心情は描かれていません。
 ウタ自身の物語は、フィルムレッドの時点でとっくにアディショナルタイムに入っていました。もうどうすることもできない、やり直しもできない過去に追い詰められた時点で彼女に選べたのはせめて少しでも救うか諦めたまま終わるかだったのだと思います。
 罪を負わせない優しさと赦しを知ってしまったからこそ、ウタは自分を許せなかったし、自分の罪を裁かれないことに耐えられるほど悪人では無かったのでしょう。善性と優しさがウタに終わりを選ばせたのです。みんなを幸せにすると祝福された通りの子だった、彼女に。

「ウタ」は1000年生きる

 さて、結末に際してウタは死に(諸説ありますが、私はそう思っています)、海賊も海軍も滅びず、天竜人は暴虐を止めず、世界は変わらず悲しいままです。では、ウタのしたこと全てが無意味の無駄死にだったのでしょうか。自分への裁きに全てを巻き込もうとしただけだったのでしょうか。
 私はそうは思いません。彼女の行いは正しくなかったけれど、投じた一石が生じさせた響きはそう簡単に消えるものではありません。作中では世界人口の7割が彼女の歌を知っているのですから。
 『風のゆくえ』で歌われている「あなた」はルフィやシャンクス個人を指しているわけではないはずです。歌詞の中で漕ぎ出しているのは「私」の側ですから、曲を受け取った誰もが「あなた」としてウタのメッセージに想定されているのでしょう。
 1000年の昔に詠まれた「ウタ」が詠んだ者の名とともに伝わり、感性の寄る辺として未だ世界を照らしている。そんな世界に生きている私は「ウタ」がヒトの希望として1000年生きることを知っています。
 「ウタ」が届いたことをきっかけに自分を救えた「あなた」はきっと、あの世界にもいると思います。そして、どこまでも遠く、これからも増えていくのでしょう。ウタは去り、「ウタ」はゆっくりと世界を変えていく。まさしく、目覚めたままの人々を連れて、決して醒めない夢の中に彼女は勝ち逃げしたわけです。

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