東大

博士号も大事ですが・・・

日本は他の主要国に比べて高位の学位の取得者数が少なく、しかも最近とみに減少傾向にあることが問題視されています。

確かに、国際会議で会う各国の代表らはPh.D保有者が非常に多いし、中身はともかく、まずは名刺の「看板」で負けている感じもします。

また、スキルや処遇、今後の国の発展余力などを考えたとき、高位の学位が望ましい、とは一応は言えると思います。

ただし、日本の職場と大学の高位学位をめぐるミスマッチはかなり大きく、単純に言えない難しさもあると思います。

というより、もっと教育制度、特に高等教育の抜本的な見直しがなされないと、いくら修士や博士を量産しても本当の解決にはならないと思います。20年ほどまえ、文科省は大学院生の大量生産を推し進めましたが、成功したとは言えません。

では、根本問題とはなにか?

高等教育の時間が短すぎるのです。現在の6・3・3・4制ははすでに80年近く経っています。この間、人間の寿命も定年も大きく伸びた。ざっくり寿命は20年、定年は10年延びている。

しかも、学ぶべき学問領域は、80年前よりもはるかに深くかつ広くなっている。現行の学制で本当の高等教育が可能なのか。

少なくとも、高校レベルは4年間に、大学学部は6年間にすべきです。とくに大学は前半2年をリベラルアーツ集中、後半4年で専門分野を深めればよい(昨今の学部は、就活のおかげ!?で、専門教育は実質1年半くらいです。3年生の夏から卒業までは、ほとんど平時の勉強はしていない!)そして前半2年だけ終了した人には学士を、後半4年修了者には修士号を授与すればいかがでしょう。

さらに、博士も論文博士の自由度を増して、働きながら2年程度で取得できるようにすればよい。

そして、真に学位に叶う実力をつけさせて、報酬に反映させる。

とにかく、6・3・3・4制を見直さないで、やれ入試改革だ、それ専門職大学だ、ほれ博士号だ、と議論してもあまり実があるとは思えないのですが。

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