心から欲しいと思っていないものを、欲しいと思わされていないか
20代中盤に差し掛かったあたりから、いわゆる「30歳記念ジュエリー」とか「30歳記念バッグ」的な物を買おうかと色々調べていたけど、結局買わないことにした。
◆正直、今あるもので充分だった
実際見に行くと、ジュエリーってキラキラしていてすごくいいなぁと思うけど、
値段を見たら「指につけるだけで○十万円…?」て思っちゃうんですよね。
それでも、どうしてもどうしても欲しい!!!
とはならなかった。あくまで、私は。
そもそも手元に何かついてるのが苦手で結婚指輪すら毎日つけていないし、「高価なものを身につけることで、自分に自信が持てる」というタイプではない。
今の手持ちのジュエリーやバッグは、そんなに高いものではないけれど、自分なりに「自分の顔や雰囲気にしっくり来るもの」を選んでいるので、そんなに不満がない。壊れたり失くさないなら一生使いたい。
◆SNSなどで人がやってるのを見て、「欲しい」と思わされてる気がする
一番の違和感は、これかなぁ。
SNSをやってると「30歳記念にこのジュエリーを買いました!」みたい投稿が流れてくる。
noteでも「演歌バッグ買いました」の記事って本当に想いが詰まってて素敵だな〜と思いながら読んでいて。
ジュエリーや細かいディティールに拘られたバッグ自体とても美しく、人生の節目に何か買うという行為自体がすごく素敵で、「憧れ」としてやってみたかった。
でも私はもともとジュエリーやバッグがすごく好きとか、ジュエリー自体に魅力を感じているか、と言われるとそういうわけではない。
私の場合は完全に他人の影響を受けている。SNSがなかったら、「記念にジュエリーを買う」という発想すらなかっただろう。
なんというか、「心から欲しいと思っていないものを、欲しいと思わされている」自分に気づいた。
まぁジュエリーとか大きなものじゃなくても、今の時代そういうのってあると思う。
スタバがすごく好きなわけじゃないけど、皆がこぞって飲んでるのを見ると、ちょっと飲んでみたくなったりとか。
でもそういうのって自分軸じゃないなぁと気づいて、やっぱり買うのをやめた。
◆じゃあ何が心から踊るのか
正直なところ、キラキラの30万のジュエリーを見て一番に思ったのは
「この30万円があったら30回推しのライブに行けるな……」
だった。悲しいオタクの性よ。笑
価値観って本当に人によるけど、私はとことん形に残る物より「幸せな気持ちになれる経験」を欲している。
好きな人のライブに行って、その後しっかり余韻に浸る時間を作り、その幸せな気分を忘れないようにこういう風に書き留めたりあれこれと思い返す時間が一番幸せ。
自分の20代、仕事の事なども含めて何があったか真面目に振り返ってたはずなのに、
「あぁ○歳のときに言ったあのライブのこれが本当に良かったなぁ……」という思い出ばかり振り返っていた。(※自分のことは全然覚えていないのに、推しのことになると途端に記憶力が上がるオタク)
結局何が本当に好きか?心踊るか?は人によって全然違うから、やっぱりそれに従って生きるのが一番だ。
お金も無限にあるわけじゃないから、本当に自分が心踊るものに使っていきたい。
というわけで、30歳記念として30回ライブに行くつもりで(そもそも30回もライブがない気がするけど)がんばります。
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