自分の中にある決して変わらない(と思っていた)部分が 
少しずつ形を変えていってしまっていることにも気づけないまま
4月になってしまいそうです

ずっと変わらないというのは難しいのに
変わって欲しい部分は変わらずに
それは例えば私でいうと
切羽詰まったり悩んだり焦ったりするときに
右手の親指の横の皮を
同じく右手の人差し指の爪で血が出るまでめくってしまうこと
小さな小さな自傷行為だけれど
この行為がないと気持ちを押し殺せないのは
物心ついた時から変わらない

今日もボロボロになった右手の親指を見て
ああ、この癖治らないかなと考えている

一度舞台を降りた身からすると
この文章も、SNSに何か投稿をすることも
ある種自意識の表れなのかもしれない
誰のためでもない、私自身のためと建前を吐くけれど
結局その本質は自意識
これもまた、私の嫌いな変わって欲しい私だ。

歌詞を書かなくなって
文章を書かなくなって
私の日々積み重なっていく機微は
どこに向ければいいのだろうととても不安になった
文章を書けばこの気持ちは晴れるのだろうか?
そう思い今、こうして文章を書いている。

10代の頃に追いかけていた
「自分は何者で、どうして生きていくのか」
というテーマは有耶無耶になったまま
なんとなくこんな感じだろうというイメージだけを持って
私は毎日を過ごしている

これでいいんだろうか?と僅かに残った10代の頃の気持ちが
私自身にまっすぐ問いかけてきても
私は何も答えられない
よくわからない、というのが今出せる答えだから

確実に言えることとすれば
去年の私はこういう考えではなかったし
ヤマシタカホという人格の上では
少し残念な変化、なのかもしれない

2022.03.25
深夜1時56分

ヤマシタカホ

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