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好きな自分になる

こんにちは。むーみんです。

突然ですが、あなたは自分のことが好きですか?

私は、好きな自分と嫌いな自分がいます。

私の嫌いな自分は、飽き性な自分です。
何でもかんでもすぐに面白い!と思い、その時はハマるのですが、誰かに説明できるほど博識になる前に熱量が下がってしまいます。
そのため、ネットで少し調べただけで分かった気になってしまい、いざ人から聞かれた時に大したことを話すことができません。

そのくせ、人より詳しくなりたい、その分野の専門家と言われる人たちと議論がしたい、ということを考えてしまいます。
でも、その議論に混ざることができるほど詳しいわけではないから、あまり知らない人に対してあたかも知っている風に語る

そんなことをずっと繰り返してきたし、そんな自分がずっと嫌でした。

ライティングが変えたモノ

でも、ライティングを始めたことで、嫌な自分から卒業しよう、と思うようになりました。

ライティングが私の人生を変えました、みたいな大層な話をしたい訳ではありません笑

ライティングを始めたこと、そのこと自体が私の気持ちを変えたわけではありません。

では、何が私を変えたのか。

それは

書きたい、から文章を書く自分と

書き続けている自分

がいたからです。

誰に強制されるわけでもなく、書きたい、という欲求にただ突き動かされて書いている、そして一過性の欲求ではなく、継続できている

何かに嵌まった経験が富に少ない自分が、憑りつかれたように文章を書き続けている

そんな自分に出会えたことが単純に嬉しかったんです。

ライティングに向き合う自分が好きだから、今まで目を背けてきた嫌な自分にも向き合って、嫌いな自分に別れを告げよう

実は、そんな気持ちの変化がライティングを始めたことの一番大きな副産物かもしれません笑

自己実現の手段としてのライティング

そんな気持ちの変化を通して、最近あることに気が付きました。

それは、

ライティングは嫌いな自分を極小化する手段の一つである

なんか名言チックでいい感じ。

ということ。

何故かというと、ライティングはモノを知らないと書けないから、です。

私は今サイエンスライターとしての仕事をしています。仕事内容としては、海外のプレスリリースの翻訳ですが、ただ翻訳しただけの記事には価値がありません。翻訳するだけであれば、deepL のような精度の高いAI 翻訳ツールに任せればいいのです。

記事を書く、ということは、その内容を知らない人が読んでも伝わる文章に書き直す、ということです。知らない人が読んでも伝わる文章を書くためには、自分が書きたいモノを知り、読者の視点に立って疑問を持ち、その疑問に答える必要があります。そして、分かりやすく伝えるための方法の一つとして、物事を抽象化して別の概念のモノと繋ぎ合わせ、例え話に昇華して表現する方法があります。ここまでできるようになれば、不意に誰かに聞かれても即座に答えることができるようになります。

ライティングはこの作業の繰り返しだと私は考えています。ライティングを通して、文章を書く行為と物事をとことん調べる行為が必然的に反復され、「知っているつもり」の自分が、「誰かに分かりやすく伝えることができる
ほど理解している」自分になることができます。


自分が好きな自分になる


自分が好きな自分に出会いに行く


そのお供はライティング。


まだ旅路は始まったばかりですが、「書くこと」を仕事にした自分がいつかこの記事を読み返して、この時の葛藤を微笑ましく、懐かしく感じてくれたらいいなと思います。




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