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自己満足だと思っていたことが、誰かの感謝に繋がるかもしれない

こんにちは。むーみんです。

今回の記事のテーマは、自分の飽くなき好奇心が、どこかの誰かに感動を届けるかもしれないと思った、です。


私は好奇心が旺盛で、行きたい!と思った場所に出かけ、いいな、と思ったものは写真に残す趣味があります。

年始に山に登った時、初日の出と眼下に広がる景色が綺麗だったので、いつものように写真を撮っていたところ、同行者にこんなことを言われました。

「なんで写真撮るの?」

その時、私は

「後で見返した時に、その時の感情や感動を思い出すためです。」

と答えました。

景色を見て、綺麗だな、と思うのは、心が綺麗だから。とよく言われますが、綺麗なものを見て、綺麗だ、と感じる心の余裕があることはとても大切だと思っています。

高校生の頃ですが、私は一時期世界のあらゆる景色が灰色に見えていた時期がありました。
その時期が、春だったか、夏だったか、秋だったか、冬だったか、今となっては覚えていません。

でも、本当は綺麗な快晴のはずなのに、空を見上げてもいつも灰色に見えていたことは覚えています。

その経験があるからこそ、景色を見た時に、「綺麗だ」と感じるかどうかは、自分の精神状態を推し量る一つの判断材料でもあるのです。

そして、綺麗だと感じる判断基準は、年齢を重ねても変わらないと思っています。

だからこそ、過去に自分が撮影した写真を見て、「綺麗な写真だな」と感じられることも、自分にとってはいい精神状態であることが分かる指標です。

そのため、写真は私にとって自分のための趣味です。

人の写真を眺めることも好きで、独特な世界観に惹かれて映画監督の蜷川実花さんのインスタグラムのアカウントをフォローしているのですが、先日蜷川さんがこんな投稿をされていました。


蜷川さんは、美しい花の写真の投稿が多く、見ているだけで気持ちが晴れやかになります。

フォロワーさんも同じように感じられている方が多いようで、投稿のコメントを眺めていたところ、こんなコメントが目に止まりました。

あちこち行きたいのに、なかなか行けずにいますが、実花さんに色々な場所の一瞬へ、一緒に連れて行ってもらっています✨✨✨

このコメントを読んだ時、「写真」の在り方が変わりました。

それまでは、言わば自分のためであった写真が、その場所に行くこと、見ることが難しい人たちに届けるツールになり得ると思ったのです。

自分の旺盛な好奇心が赴くままに訪れた旅先で撮影した写真を通じて、その土地の風を届けることができるかもしれない。

少なくとも、私の中で「写真を撮る」という行為に対して新しい意味づけが生まれた瞬間でした。


今後は、少し活動の幅を広げて、写真にも精を出したいな、と思っています。


それでは、また次の記事でお会いしましょう!



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