「問いのデザイン」を読んでいる (その1)
今年に入ってから顕著に仕事をしている自分に停滞感を感じるようになった。
その理由について考えてみると、物事を考える時や人に問いを投げかけるときの自分の思考の偏りというか、要するに同じような事しか言えねぇ (できねぇ) な自分。みたいに感じる瞬間がとても多かったことに原因がありそうだなと思った。
というわけで、それを改善するにあたって、自分の普段の思考だと全く考慮しないようなことを強制的に考えさせられる体験したいなーとなり、 THE COACH でコーチングされてみたり、タイトルにもある「問いのデザイン」を読んでみたりしてみた。
コーチングされてみた感想は以下のような感じで、お試しで時間が短かったこともありアウトプットじたいはちょっと微妙だったんだけど概ねやってみたいことはやれた。
最初に書いてしまうと、「問いのデザイン」にある内容も上記のようにアウトプットのフォーマットに制約をかけることもテクニックとして紹介しており、結構コーチングする際に使われるテクニックやメンタリズムと通ずる内容が書かれていそうだなぁと読んでいて感じた。
この記事ではそんな「問いのデザイン」についてまとめる。
この書籍は、世の中に存在しているさまざまな問題や課題は、それに関わる人々の「認識や関係性の固定化」からきていると考え、それを「対話」によって解決の道筋を示そうとしている。
ここでいう「認識や関係性の固定化」はわりとそのままの意味で、「認識」はその人が持つ先入観やそのもととなる知識で、関係性はその課題を抱えている人々同士の例えば肩書きや個性などによるコミュニケーション方法や期待値の固定化が挙げられている。
また、上で挙げた「対話」とは、あるテーマに対してお互いにそれぞれの「意味づけ」を共有しながらそのテーマへの理解を深めたり、相手が持っているそのテーマに関わる背景や自分が持っている暗黙の前提 (要するに思い込み) に気付く事を通してそのテーマに関する新たな意味を発見していく事を目的としている。
正しい方がどちらかを決める「討論」や合意形成された答えを出す「議論」とは別のものである。
なぜ「対話」が重要なのかというと、社会構成主義という認識論では「現実だ」と当事者たちが思っていることはその人たちが対話を通して関係性の中で作られたものにすぎない。と捉えており、それに倣えば問題だと当事者たちが感じていることも当事者たちの間でそういう合意があっただけにすぎず、であれば当事者たちで対話を通してその現実を解決可能な形に再構成する必要がある。というわけである。
要するに現在「問題」だと思っているものが対話を通してあーそれってすなわちこういうことだったんだじゃあなんとか出来るねと気付く事ができたら万々歳というイメージ。
が、「対話」をするにしても全く何もない状態から始めると各々が好き勝手なレイヤーで好き勝手なコンテキストで始めてしまうため、良い取っ掛かりが必要となる。
ここで必要となるのが質の良い「問い」となる。
意外と導入部だけで長くなってしまったのでいったんここで終了。次回から具体的な問いについての話を進めていく予定。
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