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エンジニアになろうと思ったキッカケ

なぜエンジニアになろうと思ったのかというキッカケについて語りたいと思います。
※キャリア転換の節目でもあるので自己分析的な意味合いも兼ねて

根源的な部分の中でも核心に近いところにあたるエンジニアになろうと思ったキッカケを簡単に申し上げると次の3点に尽きます。

  • エンジニアとして生きる父の背中を見た

  • 16歳のときに独学でC言語を学習してHello,Worldを画面に出力した

  • 情報工学なら仕事にできると確信できた

ざっくりしすぎるので順番に説明致します。

エンジニアとして生きる父の背中を見た

これは読んで字のごとくなのですが、実は両親の職業はエンジニアで某大手SIerで社内結婚しています。
当時は夜遅くに帰宅した父からIT業界の話を聞いたりするのがとても好きでした。何を言っているかわからないこともありましたが、そのときはちゃんと質問するか自分なりに理解するように努めていました。
※母には遅いから寝ろと散々言われていた気がします。

16歳のときに独学でC言語を学習してHello,Worldを画面に出力した

家にはWindows 95/98/XPのPCがありました。私が家にパーソナルコンピューターの存在があることを知ったのは中学生の時でしたが、実際に触り始めたのは高校1年生のときでした。当時はPCの搭載メモリが1GBという世界でした。それだけでなく現在みたいに初心者向けのプログラミング学習サービスおよび学習書籍などもほとんど存在しませんでした。

そんな中で数少ないC言語入門の書籍を片手に独学で仮想LinuxソフトであるCygwin をインストールしてWindowsのメモ帳でC言語を書き、gcc コンパイルをしてHello,World を出力するところまでを挫折することなくやりきりました。

当時は環境構築からプログラムの作成までを自力でやりとげられたことに感動を覚え、「もっといろんなことをやってみたい!もっと勉強しよう!」と思い、日中は全日制普通科の高校生として勉強して帰宅したらプログラムを書くということを繰り返す毎日でした。休み時間にはC言語辞典を読み漁り、紙にコードを書くということもやっていましたが、「コイツ、何やってんだ」と友達にドン引きされていました。

情報工学なら仕事にできると確信できた

高校卒業後は情報学部のある大学に行こうと考え、4年制の大学で情報学部情報工学科に通いました。この時ですが、兄には「お前にエンジニアは無理だ」的なことを言われて腹が立ったことを覚えています。

大学2年になった頃、兄の友人でかつ自分の先輩にあたる人が兄に対して「曲者ぞろいの教授陣の中、しっかりと成績を収めて大学2年までやっていける奴は見込みがあると思う」と発言したことをキッカケに兄の認識も変わり、個人的にはそれがエンジニアとしてやっていける確信につながりました。
※地味に兄からの応援もありました。

以上3つがエンジニアになろうと思ったキッカケです。

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