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日本人の記憶から消えた「ファンシー絵みやげ」の謎 <Cakes連載の再録①>

バブル期の日本には「ファンシー」があふれていた……。当時観光地やスキー場などで大量に販売されていた、ある種の独特なお土産たち。それらを「ファンシー絵みやげ」と命名して保護活動に勤しむ山下メロが、アイテム群の魅力と文化的意義を解説。きっとあなたも持っていたはず!

「ファンシー絵みやげ」とは何か?

みなさまは、お土産といえば何を思い浮かべますでしょうか。 おまんじゅう、こけし、木彫りの熊、ご当地キティ、ご当地妖怪ウォッチ……。

お土産は時代を映す鏡といっていいほど、さまざまに変化してきました。 この連載では、時代の寵児であったにも関わらず歴史の闇に葬り去られた「ファンシー絵みやげ」を取り上げたいと思います。

ファンシー絵みやげとは、1980年代を中心とした時期に日本中の観光地に溢れていた雑貨の商品です。最近ではお土産といえば食品が主流ですが、当時は土産店でキーホルダーや湯呑みを買って帰ることが多くありました。

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ファンシー絵みやげの定番アイテムであるキーホルダー。こちらは我が家のコレクションで、都道府県別に分類されています。現在4000個を超える種類を保護していますが、なかなかダブらないことから、まだまだ全種類の1割も保護できていないと推測されます。

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ファンシー絵が印刷された湯呑み。左は日光の三猿で、湯呑み自体が白一色ではなく、砂目の模様が入っています。右は混浴のイラストで、オーロラに輝くパール加工。湯呑み自体も、今では珍しい仕様であることにも注目してください。

中でも、ファンシーショップで売られていたキャラクターグッズのようにかわいいイラストを印刷し、多種多様な商品展開をしていたものがファンシー絵みやげです。

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当時は原宿・竹下通りや観光地にタレントショップがありました。そこで売られていたタレントグッズもまた、ファンシーイラストが定番でした。左はとんねるず・バレンタインハウスのバッジ。右は非正規の、仮面ノリダーに似ているバッジ。

ファンシー絵みやげは1980年代前半から1990年代前半あたりまで、10年以上もの長きにわたり日本中の観光地で主役であり続けたにも関わらず、ジャンルの名称がなかったため話題にしづらく、人々の記憶から消えていってしまいました。


ファンシー絵みやげ・3つの特徴

まず一番の特徴は、イラストが印刷されていることです。ステンシル調やクレヨンタッチの線に、目の位置が低く眉毛の位置が高い顔の書き方で、二頭身であることなど、イラストにも独特な傾向があります。

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富士山の裾野で保護した「NAKAYOSHI」暖簾。クレヨンタッチで描かれており、点目で眉毛が離れています。「ふじこ」と「ふじお」というネーミングはもちろん富士山からとっているのだろうけれど、藤子不二雄ともかかっているのかも?

また、ローマ字日本語や英文、英字新聞柄などアルファベットを多用することも特徴です。地名はもちろん、長い日本語の文章でさえローマ字で書かれています。

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静岡県・伊豆半島の南にある下田白浜の暖簾。左下に「SHIMODA SHIRAHAMA」とローマ字表記。右下ではローマ字で「金曜日には大きな波がやってくるってフレッド爺さんは俺たちによく話してくれた」と日本語の文章が書かれています。

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福島県・会津若松の白虎隊タペストリー。白虎隊がバイクに乗ってたり、ボクシンググローブを装着してるのもおかしいですが、バックが無意味に英字新聞柄なことにも注目。よく見ると薙刀の白抜きがあるのだが、英字新聞柄のせいで見づらく、何らかのミスのように見えます。

最後に、現代ではあまり見かけない派手な色使いが多いという特徴も見逃せません。黒地に蛍光色、黒地に金や銀、七色に光るオーロラカラー、ラメ入りの樹脂などが定番です。

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黒地に蛍光色のキーホルダーたち。どれもネオンサインのようで派手です。中央の「清盛くんin宮島」に書かれているの秒数ごとの評価は、裏側の迷路をクリアした時間に応じたもの。ピースサインをするポーズにも時代が表れています。

このような特徴を共通して持つ商品が、各地で、同時代に、たくさんの会社から発売され続けていたのです。


ファンシー絵みやげの勃興、衰退と現状

ファンシー絵みやげの始まりは、札幌の会社がキタキツネをキャラクター化したもので、北海道の土産業界の方からは通称“泣きギツネ”と呼ばれているものが最初なのではないかと言われています。“泣きギツネ”のキーホルダーのチェーンには古い形のものが使われていたりすることからも、これはかなり有力な説だと踏んでおります。

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ファンシー絵みやげより少し前のキーチェーン。これこそが懐かしいキーホルダーのリングの形状という方も多いのでは? 個人的に、右のものを「ヘビのおもちゃ」、真ん中を「くさりかたびら」、左は「ネジ」と呼んでいます。

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ファンシー絵みやげで主流なキーチェーン。よく誤解されますが、80年代には前の画像のキーチェーンより、こちらの「リングが螺旋状に二重になっていて、チェーン部分が360度まわるタイプ」が主流でした。私の見た限り、90%近いファンシー絵みやげキーホルダーがこのタイプです。

北海道・阿寒湖温泉の土産店で聞いたところによると、1979年頃、キャラクター商品が少なかったところへ“泣きギツネ”が登場し、大変人気を博したとのことです。

その後、通称“ラブちゃん”と呼ばれている2匹のキタキツネが並んでいる「Lovely North Fox」というキャラクターが登場し、やはりこちらも人気を博し、色々な会社が同じようなキャラクターを作り始め、だんだん洗練されていき、全国に広まったのではないかと考えております。

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“泣きギツネ”のキーホルダーたち。英文が描かれていて、かわいい動物イラストなのに、なぜかキーチェーンの形が「くさりかたびら」や「ヘビのおもちゃ」という古い時代のものだったため、私は不思議に思って見ていました。

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“泣きギツネ”の次世代と言われる“ラブちゃん”こと「Lovely North Fox」。現代でも空港などで売られているバター飴の巾着に使われています。このように、当時のイラストがそのまま食品のパッケージに転用されて生き残っているものを、生ける化石のファンシーということで「ファンシーラカンス」と呼んでいます。

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その後、北海道だけでも数えきれないくらいのキタキツネキャラクターが生み出されました。先人の影響を受けながらも、だんだんとイラストは洗練されていき、本格的にファンシー絵みやげの時代がやってきました。

ファンシー絵みやげが衰退してしまったのは、1990年代前半のバブル崩壊により国内旅行客が減少し、それにともない新商品が作られなくなってきたことが最大の原因と考えられます。その後、携帯電話の時代となり、キーホルダーよりストラップが主流になった影響も大きいでしょう。

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かつてキーホルダーがかけられていたフックは、そのままご当地キャラクターやゆるキャラのストラップを
かける場所になっています。居場所がなくなったキーホルダーは処分される例も多く見受けられます。

素材も金属から樹脂製品へと変わり、ファンシー絵みやげは段々その売り場を明け渡していきました。この頃にはお土産品に食品が占める割合が増え、雑貨の取り扱い数もかなり減少していたと考えられます。

現在においては、観光地に赴いてもファンシー絵みやげにお目にかかることは非常に稀です。運よくいくつかの商品が売られていたとしても、多種多様な商品群を毎年発売していた最盛期の状況と比べると、ほんのわずかな量でしかありません。

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鹿児島では、西郷隆盛をファンシーキャラクターにしたタペストリーが
今も色褪せたままディスプレイされていました。
商品があった頃には見本として飾られていたものですが、今や在庫は1点もなし。
「これがなくなると壁が寂しいので吊るしてある」とのことで、決して売ってはくれませんでした。


「ファンシー絵みやげ」命名の瞬間

2010年頃、私はフリーマーケットに足繁く通い、1980年代のサンリオやタレントグッズを集めていました。そんなある日、フリマでファンシー絵みやげのキーホルダーを見つけたのです。私は20数年ぶりの突然の再会に、ハッとしました。これは忘れていました。

私は小学校の頃、ファンシー絵みやげを買っていました。当時は子供向けのお土産品があまりなく、ファンシー絵みやげを買うしかない状況です。集めていたわけではありませんが、人からもらうなどして何個かキーホルダーなどを持っていました。しかしいつしかキャラクター物への興味を失い捨ててしまい、それからずっと思い出すこともありませんでした。

ファンシー絵みやげに再会した当初は呑気に懐かしがり「これをバッグに付けたら新しい!」なんて思ってウキウキしていましたが、だんだん怖くなってきました。1980年代にアンテナを張り、1980年代のカルチャー本を隅々まで読み、インターネットでも情報収集していた私が一度も思い出さなかったということは、そうでない一般の方々の記憶からはどれだけ忘れ去られているのか。

私は改めてインターネットなどで情報を探しましたが、やはり情報はありませんでした。というよりも、ここで「いったいどんなキーワードで検索したら良いのかわからない」という問題にぶつかりました。なるほど、そういえばジャンルの名前がないのではないか。これでは話題にすることもできない……。これが、私が「ファンシー絵みやげ」というジャンル名を付けるに至った経緯です。

「ファンシー絵みやげ」絶滅の危機を感じた私は、フリマを中心にコツコツ保護活動を始めましたが、それまで足繁く通っていて気づかなかったように、フリマではあまり売られていないのです。

同じ頃、いくつかの観光地に実際に行って、現地にはほとんど残されていないという現実にも直面しました。これは相当失われつつあるのではないかと思い、せめて観光地に生存している個体だけでも保護しようと考え、実際に日本全国の観光地を巡り、土産店を調査し、ファンシー絵みやげの保護活動を行うようになりました。


ファンシー絵みやげ保護活動へのご協力のお願い

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観光地によっては廃業された土産店ばかりのところも。冬季休業など、オフシーズンにはいっせいに閉店するケースもあります。

現在も全国の観光地を回って保護活動を行なっていますが、土産店に売られているのは基本的に売れ残りです。毎年毎年作られた新製品の中で終盤のものが中心で、しかも30年近く店頭に並び続けて、それでも売れなかった不人気商品の場合もあります。本当にみんなが夢中になって買った人気の商品は、もはや店頭になく、実家の押入れや、学習机の引き出しの中のクッキー缶の中に眠っていることも多いのです。

そこでみなさんにお願いがあります。

まずは、探してみてください。 そして、どうか捨てないでください。

ファンシー絵みやげは、現代の感覚では考えられないような配色、現代の常識では考えられないような表現をともなった商品が多くあります。それはバブル経済期という、経済状態が異常な先進国でしか生まれ得ない特異性であり、とても貴重な資料なのです。

もしみなさんがファンシー絵みやげを持っているならば、TwitterやInstagram、Facebookなどで、ハッシュタグ「#ファンシー絵みやげ」を使って投稿をお願いします。また、手元にない方も、ファンシー絵みやげの思い出を投稿してみてください。すべての投稿を見に行きます。

失われつつあるファンシー絵みやげの保護には、みなさんのご協力が必要です。どうぞよろしくお願いいたします。


※こちらは2016年にcakesにて掲載されたものを、サービス終了に伴い転載したものです。

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