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なぜ英文法は100年以上変わっていないか

現在、日本などで教えている学校英文法(冠詞とか代名詞とか不定詞とか五文型といった文法の説明の仕方)は、100年以上前にイギリス人が原案をつくり、多少変更されながら今日まで使われているものである。

私は、英語の習得がここまで苦しいものになる一因は、古くさい英文法にあると考えている。

英文法に変化がないもっとも根本的な理由は、言語学が表面的な形態論や、言語とはお門違いの脳生理学や認知論に足をとられて、内実のある規範の体系に到達しないからだが、それだけではない。

英文法が変わらないは、大学教育、教科書検定、高校の多忙化など、社会制度的な理由にもよる。

たとえば、高校の化学の内容も古いままであるが、その理由について、数理化学者の細矢治夫氏(元御茶ノ水女子大学)の講演がある。

http://www.takeda-foundation.jp/cafe/cafe_RepView.html?pmt=cafe_201201_pmt.html

高校の化学の教科書の筆頭執筆者でもある細矢氏は、化学のなかの古い垣根を高校レベルでなくすことの難しさを、こう述べている。

「本当は、その[有機化学と無機化学の]垣根を壊したいのですが、壊そうとすると、理科の先生や化学の先生がものすごく抵抗するわけです.
高校の化学は無機化学から始まりますね.皆さんのコメントの中にも、受験に関係ないから有機化学は教えてくれなかったと書いてありましたが、それが実情です.
そういうことで、これから私がお話するような理論的なことなどが書いてある教科書はありません.
自分が書いた教科書にも書けないのです.
書いたら、先ず、検定でやられる.それが通ったら、現場の先生がどんどん反対して、改訂する度に、そこが萎(しぼ)んでいって無くなる(笑).
そういうことはいっぱいあります.」

高校レベルだけでなく研究者レベルでも、化学には古い垣根が厳然として残っている。

「世界中の大学の化学教室へ行くと、有機化学の先生と無機化学の先生は厳然と分かれています.私としては、そのような古臭い状態を直さなければいけないと思っています.
物理の教室では、その人の専門が熱力学であろうと光学であろうと量子力学であろうと、大学の教養クラスの授業はできなければ、物理学科のスタッフにはなれません.
しかし、[物理とちがって]世界中の大学の化学教室では、「私は無機しかできません」とか「私は有機しかできません」と言って、堂々としていられるわけですね(笑).
もしも有機化学の先生に、無機化学の授業をやれと言ったら、無機化学の先生は猛反対するでしょう.自分たちのテリトリーを荒らされては大変だと(笑).そこが化学の古いところなのです.だから、皆さんは、有機、無機の区別は無くしてください.」

高校の教師は、大学で自分が受けた講義が、教科書が、入試が、有機と無機に別れていることを根拠にし、大学の研究者は自分が受けた入試も指導者も講義も論文も有機と無機に別れていることを根拠にして、古い垣根を大事にしつづける。

いまの大学の英語教育は英会話学校化しているが、学校英文法はその「英会話」の前提として疑われていない。言語として英語を研究している大学人もいるが、彼らも英語を教えるときは学校英文法をつかうので、彼らに教えてもらった人たちも学校英文法を疑うことはない。

自家栽培・自家消費でぐるぐる回る教育・研究の仕組みによって、高校の数学も物理も歴史も英語も体育も美術も、古い教育内容のままになる。

国語に至っては、はじめから無方針である。

この閉塞状況が改革される見込みは小さい。



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