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ラテン語の修辞テクニックは英文ライティングに活きている その1

ラテン語が西欧言語の母体のような位置にあることはよく知られているが、逸身喜一郎『ラテン語のはなし 通読できるラテン語文法』(大修館書店、2000年)に、こう書いてある。

「私が常々思っていることであるが、ラテン語が残した最大の遺産は、政治や教会や学問その他、どの分野の基礎をつくったことにもまして、込み入った複雑な内容を、論理構成のしっかりした、曖昧さの少ない文章で書き表すという姿勢そのものであり、かつそれを表現しうる言語体系である。」v- vi頁

言葉をつかう「姿勢」。

この「姿勢」はラテン語の「言語体系」にもとづくものだが、「それをうんと簡略にすると、つまるところ文法となってしまう」ので、まず文法から学ぶのだと。vi頁。

そして、ヨーロッパの言語たとえば「英語の文体そのものが、常にラテン語を手本にして鍛えられてきた」のだという。9頁。

本書から例をあげてみると、次はイギリスの貴族で政治家ロバート・セシル(1864-1958)の文章である。

Our national pride has been fed by histories of the glorious deeds of our fathers, when single-handed they defied the conqueror to whom every other European nation had been compelled to humble itself.

著者によると、「この文章は内容のみならず文体までもまさしくキケロ(前106-43)そのもの」だという。276頁。

今も英語にCiceronian(キケロ風)という表現があるが、この種の息の長い文体の「姿勢」はいかにも貴族的で、特殊のようにもみえる。

しかし、じつはこの「姿勢」は、現代英語の背骨をつくっている。

(つづく)

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