天邪鬼Club’ @石原元都知事は三流の政治家だったようです

◆ “どうして、科学者たちが安全と言っていることをしないのか”では、ダメ。

 昨日、石原元都知事の豊洲市場に関する記者会見を見ました。
 石原元都知事は、“どうして、科学者たちが安全と言っているのに豊洲に移転しないのか”という主旨のことをさかんに強調しておられましたが、こんな発想こそが失敗の本質
 たとえば、原子力政策も同じ。原子力発電を推進する時も、さまざまな専門委員会とか審議会などでトップレベルの科学者や専門家たちにその是非を検討させたはず。[#専門家]
 政治家にはそちら方面の専門家はいないから、それはそれで仕方がないと思います。専門家に専門的見地から検討してもらうことは、私も、それはそれで大切だと思います。
 でも、少なくとも国策的な案件の最終的な意思決定は、行政トップにある者がすべての責任をもって総合的な見地から行わなければいけません。行政トップには、その責任がある
 まぁ、豊洲市場についての問題は、意思決定が失敗だったとしても原発ほど大きな影響がないのは救いです。後処理にかかる金額は大きくても、お金だけの問題ですから …

◆ 科学者たちの発言は、“自分が知っている範囲での知見”にすぎません。

 大切なのは、“科学者は神様ではないので、何でもかんでも知っているわけではない”という点です。実は、科学者も知らないことの方が多いのです。[#科学者の知見]
 原発政策の意思決定にしても、結果的に失敗だったのは福島原発事故を見れば明らか。安全どころか、未だに近くにも行けない有様。満足な事故処理さえもできません。
 私はしばしば“コレステロール”を例に出して指摘しますが、一昔前までは、“コレステロールは体に悪い”というのが、医学方面の科学者たちの定説でした。
 ところが、今は、“悪玉コレステロールは体に良くないが、善玉コレステロールは体に必要なもの”というのが定説。これさえも、もっと研究が進めばどうひっくり返るかわかりません

◆ だから、多くの人々の生活に関する重要な意思決定には“政治決断”が必要なのです。

 場合によっては、科学者たちの意見を無視することも必要。要するに、政治決断も必要な時があるのだと思います。そんな時には、政治家は覚悟を決めて、“エイ、ヤッ”と決めればいい。
 科学者たちはあくまでも科学的見地から意見を言いますが、世の中は、科学的に解決できることばかりではありません。倫理的な見地を重視したり、歴史的な見地からの考察を重視したりすることも必要なのです。
 一流の科学者たちは、哲学的な方面の勉強もするようになるものです。それは、彼らは、科学にも限界があることを知っているからです。[#科学の限界]
 逆説的に言えば、いろいろな方面のことを哲学的に考えてみる習慣がない人は、一流の科学者にも一流の政治家にもなれません。
 やはり、石原元都知事は、本質を突きつめる一流の人ではなく三流の政治家だったのですね。私は彼の小説は読んだことがありませんが、小説家としては一流だったのですかね?


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