今年の漢字

 私の能力の一つである「新書的な書き方」(これは昔ミステリー小説を書いていたからかもしれない)、「しゃべるように書く」ということを活かせる場所が見つかったかもしれない。今後、「入院」すると、この書き方ではよろしくないらしいので、今しか書けない文章になるだろう。これはある種「デジタルタトゥー」になりえるので、黒歴史にならないように努めたいと思う(校正はしないので、その瞬間その瞬間の言葉が字に起こされていると思って読んでいただければと思う)。まあ、よく言えば「生きた言葉」がここにはあるとでも言えようか・・・

 「私という人間について」となぜnoteを始めるに至ったかは、また稿を改める(というか、気が向けばやる・・・)。

 さて、本題に戻ると、私にとって2023年を表す漢字は「脈」である。今年は様々な「脈」でフル稼働の1年だった(←先生に「「フル稼働」は口語的ですねー」と言われる笑)。

 「脈」には2つの意味がかかっている。人脈の「脈」とミャクミャクの「脈」である。2023年という年は、主にこの2つでもって、私の活動は成り立っていた。

 2023年のスタートは初耳学の出演から始まった。よく「なんで出演に至るまでになったの?」と聞かれるが、正直自分でもよく覚えていない。とんとん拍子で事が運んで、森岡毅さんから話をいただくことになった。面白いのは、この後で、取材から約1年後となる先月、株式会社刀の方と会う機会があり、なんと森岡さんとつながることが出来たのである。当初はスタジオで直接対談の予定だったのだが、二転三転で結局、キャンパスでの取材になったので、森岡さんには直接会うことが出来ていなかった。非常に有り難い言葉を頂戴したので、いつか御礼をしたいと思っていたら、その機会は突然やってきた。ちょうどジャングリアのプレスリリースの1週間前のことであったから、まだしっかりと話は出来ていないのだが、いつか対等に語り合えるようになったら、次の機会はやってくるだろう。

 今年は計4回、2週間以上大阪に行っていたのだが、その始まりは2月だった。奨学金を使って、万博記念公園と鶴見緑地公園、さらに2025年大阪・関西万博の会場である夢洲をメインに見てきた。博覧会を扱う人間にとっては非常に「アツい」時間だった。初めての一人運転デビューが雪降る大阪で、しかもレンタカー屋さんが気を利かせて、車種をグレードアップして、セダンにしてくれたので、冷や冷やしたが、なんてことはなかった笑。夢洲はまだ工事事務所程度しか建っていなかったが、面白くて車で何周もしてしまった。工事風景はその時しかないので、写真を撮っていたら、どうやら撮影NGらしく、警備のおっちゃんに写真を消すように言われてしまった・・・。おっちゃんも上から言われていることだろうから、ごちゃごちゃ言ってもしょうがないと思って、言われた通りにしたが、内心「研究目的なんだからいいじゃない」という気持ちも多少はある。
 
 それから約1か月後、私は再び大阪にいた。それもまた南港エリアである。目的はインテックス大阪で開催された日本観光ショーケースにおいて行われた万博と観光にまつわるセッションに参加することだった。運営側の万博の捉え方を聞くことが出来たので、とても勉強になった。残念ながら万博公式キャラクターのミャクミャクには会えなかったが、博覧会協会の方とつながることが出来た。その方とはその後、様々なやり取りがあり、大学での講演会や大学の「TEAM EXPO 2025」への参画など話をしたが、いずれも実現には至らなかった。講演会はPRメインという先方の意思から大学としては乗り気になってもらえず、「TEAM EXPO 2025」への参画も賛否渦巻く今回の万博なので、慎重になった結果、流れた。大学に関係しないところでは、万博公式の観光情報なども含めた総合案内ポータルサイトへの技術提供に関して、協会とある企業とのビジネスマッチング的なことをさせてもらったが、これもお金の関係や既に協会が取引先を決めてしまったとのことで、10月に話を聞きに行った際には、あまり上手くいかなかったとのことである。ただ、今後もアプローチを続けていくらしいから、今後の展開に期待したい(企業に話を持ち掛けた張本人であるから、何とか何かしらの形で成果がないとバツが悪い・・・)。

 日本観光ショーケースでは実に様々な人と会うことが出来た。ウェルネスツーリズムに興味があるという医療サービスを提供する企業の常務の方とは3月以降も不定期ではあるが、観光については全く知識がないということなので、アカデミックな視点から見た観光についての知識を恐縮ながら、提供させていただいている。他にも『地球の歩き方』で有名なワン・パブリッシングという会社がコロナ禍に出して、話題になった『ムー旅』について、オカルト×観光(地方創生)という視点で『ムー』の編集長も呼び、大学でぜひ話したいというので、学校に持ち込んだが、先生その後どうなっていますか~?(笑)

 思い返すと、3月は「人に挟まれた」月だった。4月に行われる学内のイベントの実行委員の一人だったのだが、学校側のスタッフと実行委員のメンバーの意見が対立し、私はどちらにも関係性があったため、どちらにもつけず、両者に挟まれる形になってしまった。3月から仲介役として立ち回り、まあまあ色々大変だった・・・。まあ、なんとか無事にイベントは開催出来たのでひと安心。細かく話すと長くなるので、ここまでにしておくが、人の間に挟まれるのはしばらくお休みしたい。
 
 長くなってきたので、ここからは少し駆け足で・・・。

 7月には大阪・関西万博関連で知り合った大手旅行会社の方に取り計らっていただき、ゼミの同期と大阪・関西万博についてのインタビューを実現することが出来た。

 8月には今取り組んでいる研究のフィールドで資料を提供してもらったり、研究に関わる人を紹介してもらったりした。結果、卒論では処理しきれそうになくなったので、大学院進学を決めるに至った。今月の頭にとてもお世話になった現地の方が東京に来るということで会った折に忘年会に誘ってもらった。余談だが、忘年会の場で私が憧れる細野晴臣さんと一緒に仕事をしていたという方に会い、細野さんの裏話を聞くことが出来た。

 話が冗長になってきたのでそろそろ切り上げようかと思う。8月以降のことはなんとなく、これまで書いてきたことの繰り返しというか似たものばかりである。イベントに行って、名刺交換して、話をして、関係性が生まれる感じである。忘れていたが、10月についにミャクミャクと会えたことは記しておく。

 先日、おぎやはぎの矢作兼さんが「人脈人脈言ってるやつにろくなやついないよ」と言っていて、ハッとさせられた。確かに、今年は全然意識することはなかったが、一昨年までは矢作さんと同じことを思っていた。今年は100人以上の方と知り合って、これはこれで収穫だと思うが、少し気をつけながら、人脈と向き合っていかないといけないなと思った。人脈を持っていることが悪いのではなくて、それをどう使うか、決して自己顕示欲のために振りかざしてはいけないということだと自分なりに理解している。

 これはもう一つの「脈」も同じである。研究しているがゆえに常に中立的な立場でいなければならない。今年は良くも悪くも開催者側に寄ってしまった。それを時々、先生が軌道修正してくれたという感じであった。

 なんとなく公私で言うと「公」に近い話が中心になった気がしているが、「私」の面(言い換えれば超プライベート面?)においても脈の広がりを感じることが出来た1年だった。新しい家族も増えた。ただ、女性関係はと言うと様々なことはありつつ、あまり良くなかったかも・・・。これは私の性格が影響してしまっている。でも、直そうと思ってもなかなか難しいんだなー、これが笑。(3人へ:恋愛トークはこの間N.Y君の話でお腹いっぱいになったと思ったから、話さずに終わっちゃったのよ笑)

 さて、本来はやらなければならないことを後回しにしてしまっているので、そちらに戻ろう。1月4日には報告書原稿の提出、続いて奨学金の面接対策(何をしたらいいのかわからん)をしないといけない。それから、来年は私の文章が本に載ることになっているので、その原稿もぼちぼち材料集めから始めないといけない。

 学術論文ではないので、文章がめちゃくちゃなのはご容赦願いたい(まして見直しもしてないし笑)。

 ここまで読んでくれた方に感謝申し上げる。よいお年を・・・


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