Eさん 手記 移動手段を失った話

 6月に入り、何度か取材を受けました。ここのところ、5年前のことを考える時間がありました。

写真は、私の車です。
ここにいるよと主張するように、後ろがパカっと開いていました。ちょっと恥ずかしかったのを覚えています。この車は廃車になりました。

7月7日。
ボートに乗せてもらう順番を待ちながら、一番最初に覚悟したのは、車を新しく買う事でした。

数日後、どうしたら避難させてもらった場所から車を動かせるのだろうかと考えていたら、車のディーラーから連絡が入り、車のある場所から移動させてくれました。直後に車の保険会社からも連絡がありました。素早い対応でした。心強かったことを覚えています。

暑い時期、電気と水と電波が無くて、車も無くて、過酷な暮らしを続けました。

私は、移動手段を失いました。
車は、知人から使っていない車を貸して下さると言う申し出があったり、カーシェアリング 協会からお借りしたりしながら、自分で車を買うまでは何とか綱渡りをしていました。

何台も色々お借りしたので国産車、ほとんど会社の車に乗りました。ホンダ、ミツビシ、ニッサン、スズキ、トヨタ、スバル、マツダ・・・。

どの車が良かったかとよく聞かれましたが、年式もグレードも同じではないのでわかりません。覚えている事は、サイドブレーキの位置などが違っても何とか乗れるものだなぁと思った事です。お借りした車で、行政の手続きをしたり、支援物資を貰いに行ったり、お手伝いに来てくださった方に冷たいものを買ってきたり、お弁当を買ってきたりしました。

連絡を下さる方に、欲しいものは何かとよくきかれました。その返事には困りました。何が必要なのかということを考える暇などないほど過酷で忙しいのです。必要なものはたくさんあったと思います。そのことを冷静に考えられるような精神状態ではありません。
失ったものが多過ぎて思い付かないのです。目の前にあるもので何とかしようという思考になります。

人にその事を例えるとき、ある日突然、言葉の通じない外国に連れてこられたくらい混乱していたと伝えていました。あのゴーストタウン。明かりの灯らない廃墟の様子。押しつぶされたように呼吸をすることも苦しい感覚でした。

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