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嬉しくて涙がでた日

歳を重ねるにつれて、あまり泣かなくなった。正確にいえば「人前で」涙を流すことがなくなった。 

いつからか、人前で泣くことは恥ずかしいことだと感じている。
学校や部活動でのトラブル、きょうだいや友達とのケンカ……。悲しくてつらくて、思わず泣いてしまうと先生や親から「そのくらいで泣かないの」「いつまで泣いているの?恥ずかしいよ」と言われた。
素直で純真無垢だった幼少期では、大人のことばはすべて正しいと思っていた。なので「人前で泣くことは恥ずかしいこと」という固定観念が根付いてしまったのだろう。
 
今はというと、他人に対してはそう思わない。泣きたいときは、人前であろうが泣いてもいいと思う。
だが自分に対しては、やはり躊躇するところがある。職場の同僚がやめたり、知人が遠くに引っ越したりなど、他人がいる場面では涙がでない。周りの誰かが泣いていたら、つられて泣いてしまうのではなく、ひどく冷静になる。心の温度がスッと下がってしまうのだ。

周りからは冷たい人間だと思われているかもしれない。しかし実際、わたしはそんな人間だ。サバサバしていて、警戒心が強い。人脈は決して広くなく、狭く深い関係を築いていると思う。

そんなわたしは先日、親しい友人の結婚式に参列した。

新婦は数少ない友達のなかで、最も仲良くしてくれている子だった。晴れの日のために一目惚れしたドレスを買い、新婦ならわかるだろうデザインのご祝儀袋を取り寄せる。準備万端で挑んだ。
 
まず、チャペルで挙式があった。
はじめに入場してきた新郎は、とても緊張していた。一世一代の結婚式、そりゃ緊張するに決まっている。彼をみながら「がんばれ……!」と心のなかで声援を送り続けた。

そして友人である新婦が、父親といっしょに登場する。
真っ白なドレスにつつまれた彼女は、見惚れるほどきれいだった。父親が見守るなか、母親がベールダウンをする。その光景をみて、なぜか目頭が熱くなった。

泣きそうになっている自分にびっくりした。なんで涙がでそうになっているのか、よくわからない。目の前を通る彼女をみて「きれいだな」と思う反面、「なんで泣きそうになっているんだろう」とぐるぐる考えていた。周りに人がいるのに、なんで?
 
ぐるぐる考える時間は、その後の披露宴でも続いた。
家族と写真を撮っている場面や、お色直しで新郎新婦が祖父母と歩いていく姿を見たときはとくにそう。鼻の奥がツンとして、泣きそうになる。何度もぐっと涙をこらえた。(ちなみに新郎新婦は一度も泣かず、笑顔で式を楽しんでいた) 

色、お皿、盛り付け、すべてがオシャレ

それがわかったのは、ふたりの写真が流れるムービーをみているときだった。
ふたりが付き合って半年くらい経ったころ、わたしは友人と知り合った。実は新婦である友人とは同郷でも、同じ学校の同級生でもない。年齢も出身も住んでいるところもちがう、趣味を通じて知り合った関係だ。SNSで毎日連絡をとり、電話をするようになり、次第に旅行をする仲に。その電話のなかで彼氏とどこへ遊びにいったとか、ケンカをしてしまったとか、都度話を聞いていた。
 
新郎とはじめて話したのは約2年前。(正確には3年半前。チラッと会った程度)
そのときから「この人と結婚してくれたらいいな」と思っていた。友人にも「こんな人なかなかいないよ」と言った覚えがある。そのふたりがめでたく結婚してくれて、わたしはすごく嬉しかった。

そう、わたしはふたりが結婚してくれて、涙がでるほど嬉しかったのだ。ふたりのこれまでがつまった思い出のムービーをみて、やっとわかった。胸がいっぱいになり、それは涙へとかわる。この気持ちに気づけたことも嬉しかった。よかったなぁ、ほんとうに。

デザートはバイキング形式!
約4年ぶりに再開した友達と!ずっと話してたなぁ。

式は素晴らしく、とても楽しかった。お色直しのドレスを着た友人は相変わらずきれいで、言葉を覚えたての子どもみたいに「かわいい、かわいい」とひたすら連呼。そのお色直ししたふたりが客間を歩いたとき、新郎がわたしに気づいてファンサ(お手振り)してくれた。それがおもしろくて、何度も動画を見返している。

ちなみにこの文章を書いている今も、結婚式を思い出すと泣きそうになる。そのくらいわたしはふたりの結婚が嬉しい。嬉しくてたまらないのだ。

これから先も夫婦なかよく、笑顔のたえない毎日を送ってほしい。
結婚おめでとう。ふたりに幸あれ。

半年前にふたりへ贈ったサプライズデザート!

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