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『相手の立場に立つ』とは、『相手の状況や立場に立ったときに、自分だったらどうする?を考える』ことではない。

『相手の立場に立つ』とは、『相手の状況や立場に立ったときに、自分だったらどうする?を考える』ことではない。

たとえば、何かひどく落ち込んでいるときに『自分だったら、こういうときに、一緒に食事とか連れて行って欲しい』と思って、良かれと思って、落ち込んでいる人を誘ったら、その人は、『一人の時間が欲しい』と思っていて、却ってエネルギーを消耗させてしまうかも知れない。

 その逆もある。何かひどく落ち込んでいるときに『自分だったら、こういうときは、そっとしておいて欲しいから、そっとしておこう』と思って、良かれと思って、しばらく声をかけないでいたら、本人は『こんなに落ち込んでいるのに誰も助けてくれなかった』と孤立を余計に感じるかもしれない。

 逆に、『自分があの人の立場だったら、部下にもっと丁寧に教えてあげるのが普通だと思うのに、なんて不親切なんだろう』と腹が立ったりすることがあるかもしれない。しかし、そんな姿を、逆の立場からみた人が、『自分だったら、部下に、あんなに干渉せず自主性に任せるほうが普通なのに。』と思われてることだってあるだろう。

つまり、『私が、相手の立場だったら、こうするだろう・こうしてほしい』というのは、単に「私」が思っているだけであって、人々はみんな同じように感じて、同じように行動するとは限らないと言うこと。

むしろ、『普通はこうするだろう』『普通はこう思うでしょ』と思うときほど、意外と、その普通は、単に『自分のタイプにおける自然な行動』というだけで、全員に当てはまるものではなかったりする。


『相手の立場に立つ』とは、これほどに難しい。

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