<「語りえぬ”もの”を語る」(2)-「資本」の意味する”こと”->


当ブログで何度か図2生物的存在と社会的存在の絶対矛盾的自己同一を紹介してきました。経済学者岩井克人さんは著書「資本主義から市民主義へ」の中で人間は遺伝子によって継承される「生きもの的存在」と言語由来の「社会的存在」の二重性を生きる存在だ」と著しています。この二重性は二元論で切り分けることのできない絶対矛盾的自己同一の有り様をしています。詳細は下記ブログに譲り先へ進むことにします。
<生物的存在と社会的存在の二重性>
そこはかといない不安はどこから、?: ともだちの友達はともだちだ! (cocolog-nifty.com)
 著者野矢茂樹さんのこの本の帯には「哲学への誘い」とあります。下山路の道標に刻まれた傘寿の二文字を横目に通り過ぎた身が今さら知力を鍛えても、と思いつつも哲学志望の30代の若者の勧めのままに手元においた一冊です。「老いては若者に従え!」のことわざの通り、有難い一冊になりました。
 著者があとがきに「語ることには4つの層がある」と著していますが、言語由来の社会的存在が人間社会(現世)ですから4階層を下降していく過程(“こと”)が「Why」、「何のために」と人間の社会的存在を形成している言葉、論理を自己否定し続けることになるのでしょう。


 哲学する“こと”と科学する“こと”が対になって問い続け、「⓪「永遠に語りえぬ“こと”」を言葉の力を借りて仮名(けみょう)しつつ「生きもの的存在」の「いのちの活き」さらにはその奥の大自然、宇宙といった「いのちの活き」の始源に思いを馳せ、「生きもの的存在」と「社会的存在」のはざまの絶対矛盾的自己同一という人間が負っている宿命を問い続けることなのかもしれません。
5.資本という言葉のもつ概念を広げると?
書 名 「文化資本の経営」
-これからの時代、企業と経営者が考えなくればならないこと-
著 者 福原義春+文化資本研究会
出版社 ニューズビックス
初 版 2023年12月26日(1999年初出版)

 久々に都心の馴染みの書店の平済みの新刊書を渉猟しました。25年前にも一度手にしたはずの書の復刻版が出版されています。昨秋資生堂中興の祖といわれる福原義春さんが亡くなられた追悼の想いも込められているのでしょうか。当時は読み終えてもピンとこなかったし再読する気にもなれなかった本、タイトルの「文化」と「資本」がつながってこないのです。
 二つの言葉に抱いている己れの概念の狭さゆえだったのでしょう。矢野茂樹著「語りえぬ“もの”を語る」の存在を教えてくれた若い哲学探究者がこの時もう一人の哲学者山本哲士さんの存在を教えてくれていました。なんと「文化資本経営」の著者として記されている「+文化研究会」の理論的基盤の文化研究会の主宰者です。まさに未来は偶然、過去は必然とはこのことでしょうか。
書 名 「甦えれ 資本経済の力」-文化資本と知的資本の力-
著 者 山本哲士
出版社 (株)文化科学高等研究院出版局
初 版 2021年2月28日

山本哲士さんの著書「甦えれ 資本経済の力」にはこう著されています。(P20)「わたしは、すべてが『資本capital』と考えています。」さらに「文化資本」、「社会資本」、「経済資本」、「象徴資本」、「言語資本」、「環境資本」そして「個々人の力能も資本だ」と。
 そういえば「貨幣資本」ともいいますから資本は貨幣固有のものではなさそうです。「資本」をマルクス語、経済学語の概念に囚われていてはまったく見えてこないのです。漢字も表意文字なのでイメージが狭小化されます。四文字の間に「と」を入れて引き離すと漢字二文字の関係性が見えてきます。西欧的二元論ではなく、「即非の論理」として。
 複式簿記の四つの漢字「借方貸方」では借方は「資産」貸方は「資本」です。「資本」とは眼に見える「資産」を成り立たせている眼に見えない「何か」です。そうなんです。「色即是空」ですから「“もの”と“こと”」、“こと”とは「いのちの活き」のことです。貨幣を成り立たせている「いのちの活き」を資本」と仮名(けみよう)したんですね。
 「文化と資本」と、分ければ文化を成り立たせている「何か」です。そして「言語資本」とも著しておられますから、図2の左側、言語由来の「社会的存在」を成り立たせている右側が「いのちの活き」です。
 資本を貨幣の側面からのみとらえて経済成長至上主義、GDP第一主義、個々の企業にあっては売上、利益を目的とすることが資本主義と捉えて「強欲資本主義」、「資本主義の終焉」と揶揄しても何も変わりません。
 資本とは人間社会という“もの”を成り立たせている、変化してやまない“こと”、「いのちの活き」のことだ、と概念化できれば、如何に「いのちを活かせていくか」己れ自身の価値観にかかってきます。人間世界は相対界ですから、「いのちの活き」の奥の奥、根源の大自然、宇宙のいのちの活き」まで思いを馳せ、文化の有り様、自然の有り様へと価値観を広げていけば、生き方、働き方も変わっていくのかもしれません。
 近年、若い人たちの中に現在の仕事を辞め、寿司職人の修行をして海外へ出て日本国内の賃金の二倍、三倍を得ているという話題もあります。日本の寿司文化の資本(いのちの活き」を生かす(活かせる)ことで、己れのいのちをも活かせている、という表現もできます。
 己れの「いのちの活き」を如何に活かせるか?「自己責任」と勝ち組に背中から罵声を浴びせられる前に、漢字四文字のあいだに「の」を挟んで、「自己の責任」それは「己れのいのちは己れで守る」という意味だと、物騒に聞こえるかもしれませんが覚悟を固める時なのかもしれません。<つづく>

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