映画「夕方のおともだち」を観て

 大好きな廣木隆一監督が帰って来た! 私の好きな廣木作品は「東京ゴミ女」(2000年)、「不貞の季節」(2000年)、「理髪店主のかなしみ」(2002年)などのもう20年前の作品群ですが、あの頃の廣木作品のフィーリングが、「夕方のおともだち」からは、もうビリビリ発せられておりました。

 廣木作品で好きなフィーリングといえば“虚しさ”です。登場人物は何かにのめり込んでも、どこか満たされない空虚な穴を抱えている。それでも、喪失感から反転し、希望、何かを失っても“それでも生きていく”という覚悟を清々しく提示するカタルシスが何とも言えない魅力です。個人的に20年前から取り憑かれたままです。 
 廣木作品は「ヴァイブレータ」(2003年)がヒットした後、メジャーな作品へ活躍の場へ移り、分かりやすいストーリーと安心安全な結末の作品が増え、魅力的だった割り切れない曖昧さが影を潜めることが多くなっておりました。

 まず「夕方のおともだち」は、主演の村上淳が最高。宮崎吐夢が演じる市長候補の、街の浄化を訴える街頭演説を聞いている時のムラジュンの引き笑いの表情、声は笑ってても顔は笑ってない。さらに縄で縛られ吊るされている時も、無表情。あれほど虚しさを感じさせるショットは、なかなか無いかと。あ、そうそう、この作品はR18+。18禁です。SM映画です。いや、SM映画ぽいけど、それを期待して観るとたぶん違う。
 何か声に出せないものを抱えて、普通と普通じゃない所をゆらゆらしている。SMのシーンだけじゃない、日常シーンの普通を主張している脇役もみんな揺らいでいる。

 最初に「夕方のおともだち」は監督の原点回帰的な様に書いたが、もちろん、これまでのキャリアの積み重ねが当然、織り込まれている。ムラジュンは廣木組の常連ですが、他にも廣木監督と縁のある田口トモロヲの出演や、音楽を大友良英、主題歌を橋本トリオ等々が固めている。以前に「東京ゴミ女」で曲を使っていたwyolicaのazumiが役者として出ているのも面白い。azumiは個性的なボーカルが人気ですが、その声がこの作品でポイントとして使われているのも面白い。監督はazumiの眼の力が良いとインタビューで答えているけど、確かに最初は違う人かと思うほど目がちょっと怖かった。

 そして景色もそう。廣木作品は街の景色がいつも魅力的。その場所、その時間じゃないと成立しないんじゃないかと思うほど、舞台であるロケ現場の抜け具合や光の角度。すべてが作品のテーマが進む方向を向いている。
 クレジットに出ているのは、いわき市。監督の出身である福島県。監督は震災後のフクシマに関する作品をいくつか撮っているし、ハッキリと示さずとも、その影はこの作品にもさりげなく伸びている。でも、よくある被害を写したものではなく、人が暮らす日常の風景だ。出てくる飲み屋街なんか、一度行ってみたい。

 つらつらと駄文を書いてきましたが、最後に、ムラジュンの相手の菜葉菜さん(SMの女王様役)のお尻がスゲーきれい! これだけでも、観る価値はあるかと。




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