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伊達笑兵衛

「伊達笑兵衛生家 100m先右折」

あれは12年前の夏、四万十でのキャンプを終え、愛南町の自宅へあと少しという道中の出来事だった。


* * * * * * *
「伊達何兵衛? こんなとこにこんな看板あったか? 聞いたこともない名前やなぁ。奏太、社会で習ったか? いや、郷土史の時間とかか?」

「歴史好きやから真面目に授業聞きよるけど、ぜんぜん聞いたことないなぁ」

「それにしても伊達家か、ここらへんも宇和島藩やったな……御荘平城というと、昔で言うと平城村か。そうだ、奏太」

信号待ちでバックミラーに映る奏太と目を合わせる。

「自由研究もう終わったんか? 郷土の名士か何か知らんけど、ちょっと覗いてみて面白そうだったら社会科の自由研究の題材にしたらいいんやない、なあ」

そういって助手席の妻をチラッと見ると、深く頷いている。

「そうよ。28日ごろになって『やばい、どうしよ、お母さん』って慌てるんが目に見えとんやけん。つまんなそうやったらすぐ帰りましょ。ね」

「じゃ、Uターンするぞ〜」


* * * * * * *

到着してみると、立派な古民家である。
しかしまあ、何と言うか……展示用に文化財として保存しているというよりは、ところどころ金具などで補修しているのがチグハグな印象を与えていて、うまく言えないのだが……そう、生活臭があるのだ。


「伊達笑兵衛生家 見学はご自由にどうぞ」


少々立て付けの悪い引き戸を開けると土間があり、上がり框(かまち)には、待っていましたといわんばかりにスリッパが並んでいる。そこからまっすぐ、伝統的な和風建築といった雰囲気の、見事な畳の間が続いている。外観から受けた違和感は、見事に拭われた。

「スリッパは用意しとんのに電気は点いてないんか〜い! 」
奏太の鋭いツッコミに妻と顔を見合わせて笑いながらスリッパを履いたのだが、

「畳の上をスリッパで歩くって、おかしいよねぇ…… 」

という妻の一言で、スリッパは遠慮することにした。

それにしても、誰々の生家、というからには何かしらのパンフレットなり展示物なりがあるものだと思うのだが、この家には何もない。そもそもこの伊達笑兵衛翁が何者なのかすら全く知らないのだから、自分が一体全体何を見せられているのか、全く謎なのだ。

「で、結局この伊達笑兵衛というのは何者なんやろね。な〜〜んも分からん」
「そうね。展示物もないし、帰りましょう。暑いし。奏太、どこ? 帰るよ」

「はーい、あとこの部屋で最後だから、全部の部屋みたら戻るけん」

「そうだな、せっかく来たんだから部屋は全部覗いてみるか。伊達ナニガシはともかく、こんな本格的な古民家、なかなか見れんぞ」

「お母さーん、こっち来て! お父さん、こっちこっち! 」

奏太の呼ぶ声のする部屋に入ると、なんとこの部屋には電気が点いている。いや、電気どころかエアコンがガンガン動いていて、とても涼しい。

「しかもLEDやん……」

天井の電器を見上げて思わずポツリと呟いた私を見て笑う妻。


「あらあら、すみませんねぇ。せっかくおいでとったのにお構いもせんで。よう来られましたなーし、うふふふ」

振り返ると、腰の丸まった小柄なお婆さん。自分の母親よりも少し上の年代、80代あたりと思われるが、素敵な笑顔と柔らかい声が印象的だ。まさに「The 可愛いお婆ちゃん」といった感じである。

「歳を取ると耳が遠くてすみませんねぇ、入ってこられたのが分からなんで、うふふふふ。今うちの人も来ますけん、こちらに座って少しお待ちくださいね」
と言って座布団をこちらに三枚、あちらに一枚。


「どうしよ、ちょっと座っていくか。奏太も、ほら、座りなさい」

もう帰るモードになっていたのだが、お婆さんのあまりの可愛らしい雰囲気に引き止められたのは妻も同じであったようだ。


* * * * * * *
「おお……よく来られたなーし」

お婆さんに手を引かれながら、こちらも背中を丸めおぼつかない足取りで現れたのはこれまた可愛い雰囲気の小柄なお爺さん。

「今日の客人は……二人かい、婆さんや」
「いえいえ、逞しそうな男の子とご両親、三人で見えられてますよ、お爺さん」

お爺さん、どうやら目が見えないらしい。

「そうか三人かい……」

そう言った途端、パッと目を見開いて

「なんっつってのぉ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ、よう来られたなーし、さあさあ、お座りなさい、ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

なんとお爺さん、こう言うとスッと背筋を伸ばし、スタスタ歩いて座布団にドーンと腰を下ろした。何だこれ、下手したら48歳の私より元気なんじゃないか?

「すみませんねぇ、うちの人、いつもこの調子で。冗談ばっかりなもんで、嫌じゃなけりゃあお付き合いくださいね、うふふふ。」


「ほんとうによう来たなーし、それがしは当主の伊達笑兵衛(わらべえ)と申すものですじゃ、よろしくなーし。こちらは女房のイネじゃ。」

呆気に取られポカーンとしている我々にお構いなく、お爺さんは続ける。

「生まれは元禄六年、近頃の言い方だと一千七百何年とか言うんかいのぉ。齢(よわい)は……知らん。二百より先は数えとらんわい、ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

「あ、あの、えと、あの 」

とりあえず事態が全く飲み込めない。
元禄生まれの伊達笑兵衛本人が目の前にいる?そんなはずないやんか。
何が本当で何が嘘なのか、全部が嘘、いや「冗談」なのか?

「あ、あの、伊達笑兵衛さん……さま、大変、あの大変失礼かと存じますがお尋ねしてよろしいでしょうか」

「いや、無理じゃけん。なんてな、ふぉっふぉっふぉっふぉっ。あいや、何でも聞いてくだされ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

自分の真剣さが逆に滑稽だ。

「えと、その、元禄というとよく分かりませんが随分と昔のような気がしてまして、たいそう長生きをされておられるのか、それとも霊魂のたぐい……いやいや気を悪くされないで下さいね、それにしても何百年も生きておられるというのは、どうにも、こう、理解がですね」

「若者よ、ええ質問じゃ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ。いかにも、ワシは享保十七年に没しておる。四十の時じゃったかの、あの時はな、がいな飢饉でな。女房も一緒にな、コロッと。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

「あ、ボク習ったよ、享保の大飢饉ってやつでしょ、あれは確か千七百さんじゅう……ん年! ってことはお爺ちゃんもお婆ちゃんも幽霊なん? 」

「ふぉっふぉっふぉっふぉっ、いかにも。どうしても腹一杯メシを食いたくての、この時期になるとどうしてもこの世に来てしまうんじゃ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ。婆さんはもう止めなさいと言うんじゃがな、ふぉっふぉっふぉっふぉっ。ま、悪さはせんから怖がらんでくれ」

なんだろう、普段の自分なら信じるはずがないのに、自分も妻も奏太も、自然とこの……冗談好き爺さんの法螺であろう話を、事実として受け入れそうになる。信じられるわけじゃないが、「ま、そんなこともあるんかもしれんなあ」、という感覚にさせる何かがあって……いつの間にやら私たち三人は、目の前の老夫婦は今はこの世に存在しない二人なんだ、ということを半ば受け入れていた。今思い出しても不思議な感覚なのだが、とにかくそんな状態になっていた。


「って! んなわけあるかい!! ふぉっふぉっふぉっふぉっ。さすがに幽霊が居間に座って冗談いうて笑うとるなんちゅうことがありますかいな、ふぉっふぉっふぉっふぉっ。あんたがた、ノリがええなぁ、ふぉっふぉっふぉっ」


そうだった、一瞬忘れていた。冗談だ。法螺話だ。それなのに何故だろう、先ほどの一瞬だけ、ちょっと信じてしまっていた。ノリがいいわけじゃない、完全にアホだった。家族総出でアホだった。そりゃ、不気味さも怖さもないはずだ、目の前にいるのはただのお爺さんお婆さんなんだから。

「実際のところはな、ご先祖の伊達笑兵衛とその妻イネは飢饉の折に四十で没したというのは本当なんじゃ。じゃけどな、よう考えてみ。ワシらが幽霊なら、女房もワシも、四十の姿じゃなけりゃおかしかろが? ふぉっふぉっふぉっ。」

確かに、その通りだ。しかしあいにく幽霊との遭遇については経験不足のため咄嗟にそこまで思慮が及ばない。

「しかも、あの飢饉は本当に辛くてなぁ」

お爺さんは不意に辛い表情を浮かべた。つられて自分も少し胸がキュッと締まった。

「来る日も来る日も雨が続いての。日がちーとも照らんもんで、コメが育たんのじゃ。この平城村でもな、昨日は隣の乳飲み子が、今日は向かいの旦那が、次々と倒れていくんじゃ。でもな、誰も哀しむことすらできんのよ、飢餓ってのはな、そんな感情を奪うほど、皆んな極限状態じゃけん」

まるで自分が体験してきたかのように話すお爺さんに、先ほどのことも忘れ、なんだか本当の笑兵衛翁と話している気持ちになってしまう。さっきまで笑っていた妻も神妙な顔をしている。奏太はといえば……涙を必死にこらえている。

「なんてな、ふぉっふぉっふぉっ。ボクちゃんは優しいんじゃのお、ええ子じゃ、ええ子じゃ」

なんという話術だろう、話しに引き込まれ、本当に笑兵衛翁と話していると錯覚している時間と、「ふぉっふぉっふぉっ」という笑い声で現実に戻るのとを目まぐるしく繰り返しているような、不思議な時間。

爺さんはいろんな話しをしてくれた。

伊達笑兵衛といっても宇和島藩主の伊達家とは何の関係もなく、勝手に名乗った(それも、藩に察知されぬ程度にこっそりと)だけであり、そもそも苗字などなかったこと。

笑兵衛という名も本名は違うようで、ただ飢饉に苦しむ中で少しでも苦しさを紛らわす為に笑い話をし続けた人物ということで、少し後の世になってから誰ともなくこの名前で呼び始めたこと。本人はたいそう気に入っているらしいこと。

笑兵衛は村でも有名な語り部で、中でも笑い話にかけては天下一品。藩中いたるところから話しを聞きに、毎日のように多くの人々がこの家を訪ねて来たこと。この時は、お婆さんが「あの頃は毎日大変でしたよ、お爺さん」とニコニコしながら言っていた。お婆さんも大した役者だこと。

自分は笑兵衛のひひひひひ孫(何回「ひ」を繰り返せばよいかは知らぬ)であること。

たまに暇つぶしにあの看板を出しておいて、引っかかってやって来た人を持ち前の話術で楽しませるのを趣味としていること。

それにしても、このお爺さん、巧みな話術というか何というか……随所に笑兵衛本人が話しているかのような内容、話し方を混ぜてくるのだ。それが余りにも自然で、本当に笑兵衛と話していると錯覚する瞬間が多々あった。
いやお爺さんだけじゃない、お婆さんだって、時折見せる表情や相槌は、本物のイネさんだと思わせるような……そう、演技では不可能なほどの言葉や仕草を見せるのだ。


気がつくともう日が傾いてきていた。随分と話し込んだようだが、本当にあっという間に過ぎた楽しい時間だった。

「お爺ちゃん、最後にみんなで写真撮ろうよ」

奏太が言うと、

「ん? しゃ・・・なに言うた? 」

「写真だよ、スマホで撮るから」

「しゃしん、うんうん、取るんじゃな、ええぞええぞ。ふぉっふぉっふぉっ。ほいで、何を取るんじゃ?」

「もうお爺ちゃんったら冗談ばっかり! ほら、ここに並んで。お父さん撮ってよ。お爺ちゃんとお婆ちゃん、ほら、真ん中に並んで! お母さんはこっちね、僕がこっちで」

「ベタやけど、チーズで撮るけんね。はい、チーーーズ」

パシャ!

二枚ほど撮影して、お互いにお礼を言い合い、この家を後にした。


* * * * * * *
門を出て駐車場の広場までの100mほど、傍にある民家の庭を手入れしている若い女性が目についた。

「あ、ありがとうございます。ごめんなさい、本当に何もないところで……」

私たち家族に気づき、申し訳なさそうな顔で言った。見た所20代後半か30代かといった年頃。あのお爺さんのお孫さんだろうか?

「いえいえ、何も無いだなんてとんでもないですよ、すっかり長居してしまいまして。本当に時間を忘れるぐらい楽しいお話を聞かせていただきましたよ。あなたは……お孫さんですか?」

「あ、はい……私は嫁に来た者なのですが……え、えーと、」
その女性は少し戸惑った顔で、何か言葉を選ぼうとしているようだった。

「あの、お話……を……して来たんですね? あの……80代……ぐらいの夫婦でした?」

ん? 身内じゃないのか? 赤の他人?

「この人たちです」

奏太がスマホで先ほど撮った写真を見せた。

「あ……」

何か変な雰囲気だ。何か言いにくいことがあるような……。

「どうしましたか? このご夫婦はお身内ではないんですね?」

「いえ、身内……といえば、身内ですが……」

「何か言いにくいことがあるんですか?別に物を取られたとかもありませんし……大丈夫ですから言っていただければ……」

「あの……信じなくても大丈夫なので、冗談だと思って聞いて下さいね……」

それからこの女性が言ったことを要約するとこういうことだ。

その古民家には今は誰も住んでいないし、エアコンが設置してあるのは確かだが、そもそも電気が通っていない。
写真に写っているのは紛れもなく笑兵衛とイネだと思われる。毎年お盆あたりになると現れるらしく……道路にある看板は、法則は分からないが稀にそれが見える人がいる、というものらしい。
看板が見えて古民家まで行っても、二人の霊が出てくるとは限らないこと。
彼女いわく「お話が弾みそうな方だな、と、選ばれたんですね」ということでウチの家族には看板が見え、ご夫婦も出て来たらしい。
特に悪さをするわけではない(被害者と言える人は出ていない)ため、何か特別な供養やお祓いをするということは考えていないとのこと。


「すみません、ご先祖様のこととはいえ、このような経験をさせてしまいまして……」

何はともあれ謝罪する彼女だが、なんだろう、まだちょっと頭が混乱している。

「じゃ、やっぱりお化けやったってこと?全然恐くなかったね!また会いたいぐらい! 」
と奏太。

「そっか、現代人が笑兵衛さんを演じてたんじゃなくて、笑兵衛さんが現代人を演じようとしてたのね。そう考えると、話し方とか内容とか、合点がいくわね」
と妻。

「そういえば、最後に写真を撮る時、本当に写真が何か分かってなかったみたいな反応だったよな。いや、本当に怖いとか不気味とか一切ないのが不思議なくらいやね。伊達笑兵衛、この名前は忘れられんな」



こうして、我が家の不思議な体験は幕を閉じた。

おかげで我が家では幽霊は怖い存在として語られることはなくて、夫婦のどちらが先に天に召されても、どうぞいつでも出て来てね、とお互い言い合っているし、東京で仕事を頑張っている息子も、父さんも母さんも死んだら東京にも遊びに来てよ、なんて言っている。

「伊達笑兵衛」

少なくとも我が家では超有名な偉人である。


おわり


エピローグ

奏太です。

伊達笑兵衛のあの一件から12年、今は東京でサラリーマンをやってます。
結局あの一件を自由研究の対象にすることはありませんでしたが、帰省して両親と話をする時に必ず話題にのぼります。また行ったら会えるのかな、なんて話をしていますが、残念ながらあれから一度も看板を見かけないんです。
一期一会、まさにそういうことなんでしょう。

このお盆もそんな話になって、「伊達笑兵衛」でちょっとググってみたんです。そしたらなんと、5ちゃんねるの地域板にスレが立っていたじゃないですか!!

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【愛南町】伊達笑兵衛の子孫だが質問ある?【無名?有名?】


あいなん名無し@愛南町 2018/05/15(火) 17:09:37   ID:qv8+EIFHa
地元には今は兄貴夫婦が住んでる。
知ってるヤツいるかどうか分からんが何でも聞け。

あいなん名無し 2018/05/15(火) 20:11:30  ID:enymb56g0
誰だそれ知らんぞ

あいなん名無し 2018/05/16(水) 10:19:44  ID:kCmKbsJy0
俺も近所だ。でも聞いたことある程度。つまり知らね。

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なんだか無性に嬉しくて、1レスも逃すまいと読み進めるが、やはり知っている人がほとんどいないためか、過疎スレになっている。


それでも読み進めていると、ちょっと、いやかなり気になる書き込みが……

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674 あいなん名無し@愛南町 2019/08/22(木) 12:04:31   ID:qv8+EIFHa
スレ主だが一応言っておく。
大ボラ吹きで有名だったらしい伊達笑兵衛だが、今住んでる爺ちゃんもたいがいホラ吹きやからなwww
ちな、それをさらに上回る超大ホラ吹きは兄貴の嫁さんなので気を付けるべし!

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ん? まさか?? つまり……そ、そういうこと!?


おしまい




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