制限や規制改定の話と望ましい環境とは

 カードゲームは定期的に新弾が出て、ゲーム内容や環境がアップデートしていく。基本的には、過去のカードより強いテキストを持つカードがデザインされていく。過去のカードと比べ同様もしくは弱ければ既存のカード・デッキで構わない。つまり、新しく発売されたカードを買わなくてよい。それでは商売が成り立たず、各タイトルは魅力的な商品、つまりプレイヤーの購買欲を掻き立てるようなデザインをしなければならない。必然的にカードゲームのパワーインフレは避けようがない。もちろん、それ以外の方法でも魅力的な商品を作り出すことができるらしい。しかし、より強いカードを刷る方が効果的に見えてしまう。少しずつ投入される劇薬の中、あまりにも環境に影響を与えすぎたカードは制限・規制されてしまう。デッキでの採用枚数の制限やとあるカードとの同時採用を禁止するなど手法はタイトルによってさまざま。共通していることは発表されれば、プレイヤーたちは一種のお祭り騒ぎのようになる。制限改定によって今まで幅を利かせていたデッキ群は力を失い、2番手に甘んじていたデッキが次の覇権は俺たちだと鼻息を荒くする。新しいカードプールは増えていないが、そのタイトルでまた新たな極地が垣間見られるのはやはり面白い。環境が移り行く様はまさに栄枯盛衰驕れるものも久しからず。
 そもそもカードゲームにおいて、望ましい環境とは何か。これは議論が飛び交う議題であろう。プレイヤーのゲームとの関わり方で答えは変わってくるのかもしれない。私は以前まで、多くのデッキ群が活躍できる環境こそが望ましい環境だと信じて疑わなかった。群雄割拠した環境こそゲームの奥行きを深くするものだと思っていた。また、多くのデッキやカードが価値あるものとして存在することは一ファンとしても喜ばしい限りだ。そう信じていたもとい思い込んでいた中、友人とのやり取りで、別の意見にも合点がいったのだ。環境デッキが2~4とある程度絞られている環境も面白いと言うのだ。環境が絞られているとおのずと対策やメタカードの採用がしやすくなるとともに、デッキ相性というよりも構築・プレイングが問われていく。相手もこちらのデッキ群のことを熟知しているし、あちらも熟知している。こちらがやりたいこと、あちらがやられたくないことなど手の内はほぼほぼ公開されていると言っていい。どこで差がつくのか。それこそがプレイヤーの技量であろう。腕が試される環境こそ望ましいのではないか、という主張だった。なるほど、確かにそれはそうだ。もちろん、多くのデッキが活躍する環境がプレイヤースキルを問われないとは思っていない。ただどうしても相性が存在するカードゲームで、仮想敵が多ければ多いほどケアしきれないデッキ群があり、仕方なしに切り捨てる傾向がある。そうすると、大会当日のマッチによっては厳しいゲームが続くこともある。そこは環境を読む力が問われているのかもしれない。それはそれでデッキ選択という分岐点で技量が推し量られているのだろう。それでも避けられないこともある。そういったタイトルでは比較的個人戦よりもチーム戦が好まれている印象がある。もしくは3ゲームのマッチ戦など試合形式に一工夫されたものもある。
 群雄割拠の環境でも選りすぐりの環境でも、問われているプレイヤースキルの種類はほぼ変わらないのかもしれない。ただ求められている能力のパラメーターが異なるように私は思う。どこの部分でゲーム性を見出していくのか、まさしくそれは人の好みだろう。
 私自身どの環境でも楽しめる図太さを持ちたいものだと思う。制限改定によって自身が愛用していたデッキが没落してしまうことだってあるだろう。それでもふてくされずに、代替するカードはないか、そもそもゲームプランが変わるのならどう見直していくかとポジティブにとらえたい。または複数のデッキを持っているのであれば、愛馬の鞍替えだって視野にいれていい。
 強カードによる極端になる環境も、制限改定によって浮き沈みするデッキも、その都度そのタイトルの面白さ・ゲームの奥深さを再発見できる機会だとポジティブに楽しめる度量を持ちたいものだ。
 今更ながら前提として、制限・規制はその商品の欠陥を認め、是正するための手段であることを改めて述べたい。そもそも欠陥がないことに越したことはない。各タイトルにはぜひ強いカードをデザインし、それを制限し、また強いカードを刷ると極端なインフレに頼らないことを切に願う。

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