環境外のデッキを握るということ

 あらかじめ断っておくが、環境外のデッキを握ることを否定しているわけではない。むしろ、なぜ他人が握るデッキに対して口を出すだろうか。今回の内容はあくまでも自分自身の気持ちの整理もかねて、改めての所感をつらつらと書かせてもらう。

 最近の私事である。ポケモンカードの新商品「151」が発売された。ゲームボーイで発売されたポケットモンスター赤・緑で登場する、151匹のポケモンすべてがカード化されて収録されている。赤・緑といえばポケモンの起源だ。世代であれば寄せる思いもあるだろう。私もその1人である。さらに好きなポケモン「フシギバナ」が「exポケモン」として収録される。それは惹かれる。ここ半年、ポケカから足が遠のいていた。他タイトルに夢中になっていただけではない。ポケモンカードの環境についていけなかったのだ。なぜ離れたのか。自分なりに内省すると「勝てなかった」からだろう。公認大会に出ても身内で遊んでもゲームの理解度が足りないとひしひしと感じた。テキストやデッキのギミック、採用圏内のカードプールの把握など理解が甘い。なんとかしがみつこうとするが、できなかった。それ以外の「何か」の理解の足りなさを痛感した。「何か」とは何か。それを理解していたのならまだ腰を入れてプレイしていたのだろう。これがわからないのだ。ただ現役プレイヤーの友人と遊ぶと、その「何か」による溝は顕著になる。私はその溝を埋めるよりも、別タイトルで遊ぶことを選んでしまったのだ。それは逃げか、それとも新天地を目指した開拓か。

 そんな自分でも、好きなポケモンがメインのギミックになって収録されれば気になる。ということで約半年ぶりにポケカを再開する。しかし問題に直面する。正直勝てない。環境デッキにコテンパンにされる。上記のような見解にいたるまでもなく敗北する。正直言えばゲームとして成立させるのも難しい。ポケモンカードならではのギミック、「2進化」がかなり厳しい。「2進化」とはフシキダネ→フシギソウ→フシギバナとゲームでも進化して姿を変えるポケモンをカードゲームに落とし込んだものである。ただカードゲームに落とし込んだ際、ルール調整の難しさによって厳しい立ち位置にいる。場に出したポケモンはそのターン進化できない、進化したポケモンはそのターンさらに進化できない。こう書けば別タイトルのプレイヤーでも、その遅さをうっすら感じるだろう。でも他のデッキ群だってそれぐらいのスピードなんでしょ?と思われる人もいるだろう。環境デッキが環境デッキである所以はそのスピードから一抜けしているところだ。「ふしぎなアメ」というカードがある。フシギダネ→フシギバナと中間を飛ばして進化できるカードがある。それでも厳しい。特定のカードを手札に揃えないと場にポケモンを出すというスタートラインにすら立てない。実のところ、環境デッキの中に2進化を活用するデッキは存在する。しかしそれは有力な1進化ポケモンないし、2進化ポケモンを成立させやすくするカードが存在するからだ。残念ながら「フシギバナex」のデッキには「キルリア」「カイ」になりうるカードは存在しない。それだけ苦労して出すポケモンなんだから、立った時のリターンがでかいんだろう、と想像する人もいるかもしれない。確かにほとんどのタイトルであれば、召喚する・場に出すことが難しいが一度出せれば強力な効果を持っているというのがお決まりだ。しかしこの「フシギバナex」には出したとたんゲームエンドまでもっていく性能はおろか、相手の場に干渉するような能力もない。さらに言えば更なる壁が存在する。戦うための「エネルギー」問題だ。ポケモンカードはポケモンにエネルギーと呼ばれるカードをつけ、わざを使うために必要なエネルギー枚数条件を満たして戦う。エネルギーは通常1ターンに1枚のみつけられる。「フシギバナex 」の要求エネルギーは3枚つまり3ターンかかるのである。ここまで書くと勘のいい人はお気づきだろう、環境デッキの多くはこの「エネルギー」の問題をパスしていく。いわゆる「エネ加速」のギミックもしくは必要エネルギー自体の軽さで戦うことができる。「フシギバナex 」と環境デッキには明確かつ容赦ない壁が存在するのである。草タイプならではの「エネ加速」も存在するが…。この3点リーダーから察していただきたい。

 反論がある人はぜひ「フシギバナex」のレシピとともに送ってきてほしい。むしろ懇願する。ここまで「フシギバナex 」がいかに厳しいかを述べさせてもらった。正直言えばまだある程度ゲームと成立していればこんな愚痴めいた記事を書かなかっただろう。ここでやっとこの記事の本題である。「環境外デッキを握り、環境デッキにボロ負けする場合、どこにモチベーションの照準を合わせることができるのか」という考察である。自身の体験例をあげながら考えていく。

①    カードゲームができること自体の喜び
まさしく体験談である。私は引っ越しと結婚を期に一度カードゲームから離れた。その時もっていたカードはすべて売り、手元には何もなかった。しかし1年ほど経ち禁断症状が出てしまった。我慢できずに再開する。その時は予算の関係もあり、環境デッキでしっかり遊ぶ、というより好きなデッキで遊びたかった。好きなポケモンで戦うのもポケカの醍醐味のはず。デッキを組み公認大会に出た。知識不足経験不足もありこてんぱんにされたが、久しぶりのカードゲーム自体に目がしらが熱くなった。人とカードゲームすることが楽しかった。

②    知識や経験をつむこと
対人戦をするとおのずと対面のデッキへの理解は大なり小なり上がる。ホビーアニメの無邪気な主人公のように「へ~!そんな動きをするんだ!すっげぇ~!」とわくわくしていたことも覚えている。だんだんと対面するデッキタイプの動きを理解するものの、死角外から飛んでくるカードに「し、知らね~!」と頭を抱えることすら楽しかった。

③    カードへの愛
愛着のあるカードや思い出のキャラクターが存在する場合、そのカードでどう戦い抜くことができるかと試行錯誤することに楽しみを見出す。しかしそこにも苦悩が存在する。ワタルさんがTwitterやpixivで展開している「カードゲームうさぎ」のパン田さんの心情描写が生々しく胸にささる。ぜひチェックしてほしい。

④    オリジナルデッキで遊びたい
環境デッキは多くの人が練りに練った「最適解」である。自身のカードゲームにまだ見ぬ金脈が眠っているのかもしれないと試行錯誤していく楽しさがある。

 他にも環境外のデッキを握る楽しみがあるだろうし、いくつかの要素が組み合わさって相乗的になっているところもあるだろう。
 しかしここの薄さからでもおわかりのとおり、私はなかなか環境外のデッキで楽しみを見出すのが苦手なのかもしれない。試行錯誤の時間と手間で返ってくるのは一体何のか。そもそも自分がたどり着く答えが金脈であればそれはとうに他プレイヤーだって発見しているはず。多くのプレイヤーから切り捨てられた選択肢ということはそういうことである。キャラクターへの愛であれば如何様にも楽しむことができる。最近のイラストはとてもよく飾りがいもある。公式からもフレームが出ておりいかにも映えそうである。お気に入りのキャラクターデッキで公認大会に出て環境デッキに出て、ボロ負けする。あまりのギミック・カードゲームのシステム的な強さにいじけたような気分にもなる。お角違いな環境カード群への憎しみ・それをデザインした公式への怒りにも似た感情を意識しだすともう手遅れである。そんなみっともないことになるぐらいであればおとなしく環境デッキを握るか、やめるべきだ。やはり勝ち負けが伴う遊び、勝利という成功体験を味わいたい。カードゲームで遊ぶ場合、やはり最前線に楽しみがつまっている。以前の記事でも書いたが環境デッキを握ることの楽しみがあるのだ。

 私の場合、公認大会に出る場合、環境外のデッキを握るべきではないだろうと思った。一方的なゲーム展開でも「カード自体できて楽しい!」「好きなポケモンを出せた!」と喜ぶことができない。もちろん構築やプレイの欠陥がないとは言い切れないし、そこによる敗北はあるだろう。むしろ、そこが反省できるほうがまだモチベーションを保てるはずだ。プレイ&エラーの余地があるからだ。その土俵にさえに立てない場合はどうするのか。それが今私の中の鬱屈とした気持ちの根っこなのかもしれない。選択の余地がある。選択に迫られているだけまだゲームが楽しい。どうしようもない、立つ瀬がなく盤面と手札を見比べることが継続のモチベーションになるだろうか。
 ただし身内で遊ぶ場合や、プレイがまだふわふわしている私の妻の甥っ子と遊ぶ時なんかは「フシギバナex」がちょうどいいのかもしれない。もし、「フシギバナex」が環境の一角になる、もしくは私なんかではたどり着かなかった最適解を有識者が導いたのであれば私はわかりやすく手のひらを反すだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?