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「心臓を捧げよ!!!」 2年 林暖

平素よりお世話になっております。今回部員ブログを担当する経済学部2年の林暖です。

今年は「首脳学年を迎える決意」というテーマをいただいたので、このサッカー部に入部してからこれまでのことを振り返りながら「決意」について書いていけたらなと思っています。昨年から変わらず上手な文章ではありませんが、途中でブラウザバックされるのはとても悲しいのでぜひ最後まで読んでいただけたら幸いです。

まず昨年のことから振り返ると、入部してからすぐに怪我をしてしまい、やっと復帰したと思ったら1か月経ったくらいでまた怪我をしてしまい、その後復帰したと思ったら2週間も経たないうちに練習中に同期の某お調子者からのスライディングを、怪我の繰り返しで緩みまくっている右足首に食らってしまいそのままシーズンを終えました。結局、三度の怪我によって1年次は合計して2か月半しかプレーできませんでした。怪我している期間の、ただ見学してサポートをする日々は正直めちゃくちゃしんどかったです。


年明けの活動始動日にはなんとかギリギリで間に合い復帰することができましたが、ブランクが長いこともあり、数ヶ月間体力面でもボールタッチも自信のあったロングフィードもなにも思い通りにいかず、復帰してからもなかなかしんどい日々が続きました。


その後復帰から4か月くらい経って、Aチームに入れてもらうことが2,3回くらいありました。しかし自分は実力が認められたわけではなく、Aチームに混ざって活動するチャンスをいただいたような、まるでオーディションのような状況でした。このとき、自分がAチームに食らいついていくには今がラストチャンスだと思い、日々必死にプレーしましたが、Aチームに定着することができませんでした。そして骨折してしまい、最後に復帰はできましたがそのままシーズンを終えることになってしまいました。昨年とは違いちゃんとプレーをできたと考えれば良いシーズンではあったと思いますが、たくさんの悔しさが残るシーズンでもありました。


ここで少し話は変わります。先日、ついにアニメも完結して話題の「進撃の巨人」の話です。僕は最近栗田次期主将にわざわざ全34巻すべて持ってきてもらって読破しました。ドはまりしすぎて今の僕のYouTubeのおすすめは進撃の巨人関連の動画であふれているし、我ながらウザいことは自覚していますが、ことあるごとに日常会話の中で進撃の巨人のセリフをはさんだりしています。


その中で特に好きなシーンがあります。それはシガンシナ区での決戦において、調査兵団団長のエルヴィン・スミスが、目の前の敵に対して兵士を引き連れて特攻を行うしか手段がなくなった際、どうせ死ぬなら何をしても意味がないと諦めている兵士たちにこう語った場面です。「人はいずれ死ぬ。ならば人生に意味はないのか?ならば死んだ兵士たちも無意味だったのか?いや違う。死んだ兵士に意味を与えるのは生者である我々だ。」と。(結構セリフを端折っています。)


このシーンを最初に読んだときにはとても胸が熱くなって、自分も特攻に混ざりたいなだなんて思ったりもしました。そんなことはさておき、このセリフは僕個人にも当てはまるような気がしていて、というのも先ほどのセリフの「死んだ兵士」を「過去の自分」として捉えると、こういう風に考えることもできると思っています。


これまでの何も成し遂げられなかった自分を意味のあるものにできるのは、今を生きている自分だけだと。あのとき取り返しつかないミスしてしまった自分や、あのとき怪我でしんどい日々を過ごした自分、チャンスをもらったのにAチームに定着できなかった自分など、そんな過去の無意味な自分に意味を与えられるのは今の自分、そしてこれからの自分だけなのです。上手くいくいかないにかかわらず、すべてはこれからの自分次第なのです。


ただ入部してからすでに約2年が経ってしまい、入部してから今日までの時間の流れるスピードを考えるとだらだらしている時間はもうありません。


ガキンチョだったぼくらもとうとう3年生になってしまいます。首脳学年になり、組織運営や上級生としての立ち居振る舞いなどすべきことは今よりも確実に増えます。


僕はこれらのことを偉大な先輩達がしてきてくれたようにやり遂げたい。そしてさらに僕は過去の無意味な自分に意味を与えたい。これらすべてを成し遂げるには今まで以上に部活を自分の中心において生きていかなければいけないと思います。だからこそ、首脳学年となるこの1年、僕は横国サッカー部に心臓を捧げて努力し続けたいと思います。



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