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#40 これからのお坊さんに必要なもの

「ポッドキャストにゲスト出演してもらえませんか?」
と知り合いから依頼をいただきました。
「いや、私何も喋れないです・・・」とモゴモゴ言っていたのですが、
せっかくのチャンスをお受けすることにしました。

現役子育て世代のお父さん・お母さん向けに発信されていて、
教育のスペシャリスト石田勝紀先生と
毎回のゲストが対談する番組です。

お寺業界でしかお坊さん活動をしていない私にとって、
一般の方と仏教の話をするのは新しい挑戦でした。
想定していた以上に学びが多く、
これからの時代のお坊さんに必要だよなと
感じたことをまとめてみます。

まずは打席に立つ

いざ、収録に臨んだわけですが、とにかく言葉が出てこない。
当たり前に知っているはずのことが話せない。
「知っている」と「話せる・伝わる」は違うのだと痛感しました。

せっかく良いボールを投げてもらってるのに情けない・・・
自己反省会が止まりません。
でも、とにかく打席に立って、いっぱい失敗する。
失敗を積み重ねた先に少しずつ出来上がっていくはず。

保守的に快適な場所(コンフォートゾーン)にいるのではなくて、
ちょっとずつ背伸びしてストレッチゾーンに挑戦していきたいです。

異業界の人と交流して世間の価値観を知る

私が日常的に交流する人はお寺関係者が多く、
一般には使われない言葉を使っていたり、
独特の世界観で見ているのだと気づきました。

例えば、「法要」とか「極楽」とか「往生」とか。
いざ意味を聞かれると説明できず。
一般社会とはかけ離れた専門用語を日常使っているのです。
「命終わった後は、阿弥陀如来がおいでになる極楽浄土へ」
といった世界観は、私の半径100mの話なんだと気づかされました。

自分の見ている世界って他人には見えてない。
当たり前のことを改めて痛感しました。

こんなに仏教が一般的に知られてないという現状を
身をもって知ることができた。
それだけで大きな収穫です。

伝え方を磨く

浄土真宗ではとくに「聴聞(ちょうもん)」
(一般的なイメージでいう講演会)と言って、
割と大勢でお坊さんの説法を聞くことが多いです。
ただ、このやり方は今の時代には即していないと以前から感じています。
というのも、聞く人の仏教的素地が様々であるために
大勢に向けた話は伝わらない気がするのです。

三世代が同居して各家庭で日々仏教に触れていた時代は、
仏教への親しみが強く、教育が行き届いています。
毎朝仏壇に向かうおじいちゃん・おばあちゃんの姿。
それを見るだけで、仏さまの大きな存在は心の中に入ってくるものです。

しかし、核家族化が広まった現代では、
子や孫に仏教を伝える機会が激減しました。

その結果、人によって
仏教の捉え方・関心レベル・仏教との接点が全然違う。
同じ内容でも「響く人」と「響かない人」がいる。
これからの時代、個々人にカスタマイズした伝え方が良いんじゃないかと。

お釈迦様は対機説法(相手によって異なる仏法を説く)によって
仏教を広められました。
今こそ、それが求められているんじゃないかと。
人によって仏教との接点は様々です。

・大好きなおばあちゃんが亡くなったとき、
大きな喪失感と人間の命の終わりを意識した体験。

・やっと成功を手に入れたと思ったら重い病気にかかり、
絶望と無力感を覚えたこと。

・小さい頃、お寺で聞いたお経の声やお香の匂い。

「誰でも人生のどこかで仏教とつながる原体験を持っている」
と私は考えています。
そこへアプローチすることで、もっと仏教が身近になると良いな。

いかがだったでしょうか。
ポッドキャストへ出演した経験から、
井の中の蛙、大海へ出ていきたい!
という思いを書きました。
貴重な経験を今日からの一歩に繋げていきたいです。

お恥ずかしい限りですが、よろしければお聞きください。


最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。


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