「絵が下手」

ひどいものだ。
いつだっか自認した自身の絵について思い出を巡ってみる。

幼少期から絵に対して強い思いを抱いたことは一度もない。
故にこだわりのない絵だったのは間違いない。

小学校1年生になり、図工という科目がある。

そこで僕の絵は何故か入賞した。
友人が跳び箱を跳んでいるところを僕が眺めている絵だった。

「入賞」という言葉にピンとくるはずもない7歳の少年にはさざ波すら起きない出来事だった。

やはりそれは何かの奇跡だったのだろう。
その後間もなく訪れた絵を描く機会では何も浮かばず、
目の前に座ってる女の子のトレーナーにプリントされた熊を描いた。

そもそも想像力もない、それを具現化する力もない。

そして時は流れ中学3年生。

塾のホワイトボードに絵を描く機会があった。
そこでもやはり下手だった。
しっかりと「絵が下手」だということを認識したのはあの日かもしれない。

大学1年生の入学式。
その日に出会ったばかりの学科の人たちで、1泊2日のオリエンテーションに参加した。

そのレクリエーションで絵を描いた。
ハローキティだった。
猫っぽい、ということは浮かんでいたが、
着ているものはなんなのか。
どんな目なのか。
「そうか、記憶力もなかったのか」

結果キティちゃんにはハを◯で囲ったロンTを着せた。
とても笑われた。

だが、自分が大切だと思っている人には何度か褒められた。

実家の電話の横に置いてある薄汚れたメモ帳に小さなシミがあり、
それを活かして「ステインくん」というキャラクターを生んだ。
母がいたく気に入った。

アパレルの店長時代、館の店長会で隣に座った未来の彼女の横で、おもむろにX JAPANのYOSHIKIを描いた。
とんでもなく似ている高クオリティ。
笑ってはいけない店長会の中で、彼女は必死に笑いを堪えていた。

絵を褒められた、または気に入られた経験はその3回だ。
他に描いた絵は箸にも棒にも引っかからない味気ない絵ばかり。

そして今日。
サングラスを掛けた女性の絵を描いた。

制作もしている会社に勤めているため、
社内に絵が上手い人、または絵にまつわるアプリを使いこなせる人が複数人いる。

その人の絵を真似た。

やはりひどかった。
そもそも女性でもなかった。

今日判明したのは、想像力もなく具現化する画力もなく記憶力もない上に、模倣力もなかった。



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