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アンフォールドザワールド 4

 なにが起こったのか理解できず、私は部屋のドアの前に立ち尽くしていた。
「うわっ?」
 玄関から父の声がする。我に返り、自分の部屋を出る。母も父の声を聞いたのか、リビングから廊下に出てくる。
「おかえりなさい、あなた。どうしたの?」
「今、足元をなにかがすり抜けていったぞ。動物みたいな……」
「やだ。きずな、捨て猫でも拾ってきたんじゃないでしょうね」
「ひ、拾ってきてないよ!」
「ネズミかなあ。それにしてはかなりでかかったけど」
 私は父の横をすり抜け、マンションの共用廊下を見渡す。夜の空はしんと静まり返っていた。

 残業から帰宅した父が、キッチンで夕食をとっている。私は少しだけ父と話をして、それから自分の部屋に戻り、机の上のノートを確認する。
「あれ……?」
 ノートはなんともなっていなかった。少なくとも外見上は変化がないように見えた。それなのに。
「なんだこれ」
 強い筆圧で書かれた文字を、知らない町内の回覧板でも見るような気分で眺める。これはなんだろう。水をあやつる魔術? 永遠の命?
 さっきまであんなに興奮して書いていた物語は、魂を失ったかのように、つまらないただの落書きに成り下がってしまった。私は確かにこれを書いた。だけどこれは一体なんなのだろう。最高に面白い話だったはずなのに、書いてある文字はさっきまでと寸分変わらないはずなのに。
「こんなもの、一生懸命書いてたのか私」
 ぼやけた青空みたいな色のノートをゴミ箱に放り込もうとして、思い留まる。少し考えて、私はそのノートを鞄の中に入れた。

 今日の放送当番は私じゃなかったけれど、私は弁当箱と水筒を持って放送室に移動する。
「というわけなんだけど、ちかこ、これを読んでどう思う?」
「まだ読んでいません。この音楽が終わるまで待ってください」
 放送室の中央には長机が二つとパイプ椅子が六つ置かれていて、ちょっとしたミーティングならここでできるようになっている。私は真ん中の席に座り、ちかこの背中を見ながら弁当を食べている。放送機器に向かうちかこは、まるでプロの放送技術者みたいに見える。
 ちかこは私のノートに目を落としたまま、器用にデッキのCDを入れ替える。校内放送の曲が変わる。

「ふむう。なるほど」
「どうだ? ちかこ」
「設定としてはありきたりですが、構成も登場人物も悪くないと思われます」
「じゃあ、面白い?」
「いいえ、絶望的に」
 予想通りの言葉に、私はがっくりとうなだれる。
「やっぱりかー。おかしいなあ。昨日書いた時には最高傑作に思えたんだけど」
「そのようなことはしばしばありえますね。深夜に勢いで書き綴り、朝読み返してみると大したことはなかったと」
「いや、そんなレベルじゃないんだって! だって、この話のどこがつまらないんだよ。おかしいじゃないか」
「言われてみればそうですね。悪いところはないはずなのに、全く興味が持てない」
「しいていうなら?」
「魂が宿っていない」
 そうつぶやいて、ちかこは自嘲するように口元を少し歪める。物語に魂が宿るなんて言葉は、あんまりちかこらしくない。

 昼の校内放送が終わり、ちかこは私の向かいに座り、たまごサンドイッチのパッケージを開ける。
「そういえば、昨日動物園で撮影したムービーなのですが」
「あっ、そういやアレ見てなかったな。ほのかも呼ぶ?」
「そうですね。ほのか先輩も当事者ですし」
 私は放送室に弁当箱を置いたまま自分の教室に戻り、ほのかの姿を探す。二年一組の教室に、ほのかの姿はなかった。
「工藤さん、ほのか見なかった?」
「仲谷さん? さっきまで自分の席でなんか食べてたのに。いつの間にいなくなったんだろ」
「あ、ほんとだ」
 窓際の机の上に、一口二口、かじっただけのシュークリームが無造作に置かれていた。窓は開いていて、生ぬるい風が吹き込んでくる。
「おかしくないですか。なんだか」
「わあっ、ちかこいつの間に。てゆうかなんでカメラ構えてるんだ」
「ほのか先輩がスイーツを残したまま席を外すなんて」
「そういやそうだな。ぼんやりして窓から落ちたかー?」
 冗談を言いつつ、窓から顔を出す。三階の教室から下を見ると、植え込みの一部がなにかを落としたように不自然にくぼんでいる。
「ちょ、まじかよ……!」
 嫌な予感に、私は慌てて教室を飛び出した。

5につづく

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