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旅を楽しむためのスキル

 1996年。大学1年の夏休み、私の初めての海外旅行先はカナダでした。2週間のホームステイの後、地球の歩き方を片手に、初めて一人旅を経験しました。バンクーバーからグレイハウンドのバスに乗り、バンフ、ジャスパー、カルガリーなどを巡る2週間ほどの旅をしました。バックパックを背負って歩くこと、ドミトリーに宿泊すること、ヒッチハイクで移動すること、何もかもが初めての体験でした。
 その時から私は一人旅の魅力に取りつかれたのです。と言いたいところなのですが、実際はその逆でした。毎日毎日、日本に帰ることばかり考えていました。その頃は、自分なりの旅の仕方や進め方も確立できていませんでした。異国の地で、一人でいることが寂しく、どうすれば楽しく旅ができるのかも分からず、つらかった記憶ばかりが思い起こされます。
 その2年後、懲りもせず今度は50ccのカブに寝袋をくくり付け、地元の奈良から九州最南端の佐多岬を目指す旅に出ました。結果は案の定、寝床探しに苦労して、泣きそうになりながら夜遅くまで走る毎日でした。
 当時を振り返って思うことは、一人旅を楽しむためには、それなりのスキルが必要だったのだということです。山口・須永・鈴木(2021)も、観光を、人間が行う他の文化的活動(音楽や絵画、スポーツや語学など)と同じように、学び習うことで身につく経験的で多様な技能が必要なものとしています。

観光者としての知識や技能

 布施・難波・小平・久木山(2005)は、旅行を円滑に進めたり、積極的に楽しんだり、印象の良いものにするための技能としてトラベル・スキルという概念を提唱しました。トラベル・スキルには、(1)目的の明確化、(2)情報収集、(3)計画性、(4)荷物整理・管理、(5)行動力、(6)不測の事態への対応、(7)現地での交流、(8)肯定的解釈、(9)同行者・関係維持、(10)健康管理という10の下位尺度が設定されています。そして、各尺度と、旅行に対する好感度、旅行に対する積極性との関連について分析を行った結果、好感度や積極性とスキルとの間には関連が認められることを報告しています。他には、Tsaur, Yen & Chen(2010)が、現地環境への適応や観光地での買い物の仕方に関わる「旅先での能力」、旅程の立て方や宿泊施設の予約に関わる「旅行前の準備」、旅先でのトラブル対処に関する「非常時の対応」という観光者の知識とスキルの3次元を見出しました。
 人が旅行経験を積むことによって、観光者としてのスキルを向上させることを示した研究もあります。林・岡本(2022)は、観光者のスキルを測定する尺度を既述の研究を参考に作成しました。林・岡本(2022)の尺度は次の5因子で構成されています。

①評価基準の確立・・・訪れた観光地を相対的な視点で自分なりに評価ができる
肯定的解釈・・・旅先でのネガティブな経験や出来事も前向きに捉えることができる
トラブル対処・・・旅先で起こったトラブルに柔軟に対処することができる
円滑な移動・・・現地の交通機関を利用して目的地に到達することができる
荷物の最少化・・・旅先で必要な物を判断し、迅速にパッキングができる

林・岡本(2022)

 質問紙で測定された5つの尺度の得点は、その個人がこれまで観光旅行で宿泊した都道府県の数と関連があることが認められています。このことから、これらのスキルは、旅行経験を積みながら獲得されていくことが推察できるのです。

 「評価基準の確立」とは、これまで旅先で見聞したもの、体験したことに対する評価や印象の蓄積によって、個人の判断の枠組みが形作られるということです。独自の評価基準が確立されることで、自律的に観光を楽しむことが出来るようになると考えられます。
 「肯定的解釈」とは、思い通りに旅が進まなかったり、事前の期待と実際のそれが見合わなかったりしても、旅全体の印象をわるいものとしないということです。数多く旅行を経験する中で、ネガティブな出来事をも受け容れるような態度が形成されていくのだと考えられます。
 「トラブル対処」、「円滑な移動」、「荷物の最少化」という3つは、自分自身が直接経験することに加えて、紀行文学やガイドブックを読むような間接経験によっても、これらの知識が獲得されていくのだと考えられます。

実際にできるか否かよりも大切なこと

 質問紙で観光者としてのスキルを測定する方法は、あくまで回答者本人が自分自身を顧みながら「できる」と認識している程度を測定するものに過ぎません。つまり、実際にどの程度できているのか、本当にできるのかは問題としていません。実際に〇〇ができるという事実よりも、「自分はできるだろう」「大丈夫だろう」という自負が大事なのです。そのことが旅先での自分にゆとりをもたらし、旅を楽しむことができるようになるのでしょう。



引用文献

山口誠・須永和博・鈴木涼太郎 (2021) 観光のレッスン ―ツーリズム・リテラシー入門―   新曜社

布施光代・難波久美子・小平英志・久木山健一(2005)トラベル・スキルとトラベル・キャリアとの関連 観光研究, 17(1), 1-8.

Tsaur, S-H., Yen, C-H., & Chen, C-L.(2010)Independent tourist knowledge and skills. Annals of Tourism Research, 37(4), 1035-1054.

林幸史・岡本卓也(2022)観光者の知識と技能からみた「よい旅」の条件 国際研究論叢(大阪国際大学・大阪国際大学短期大学部紀要),36(1), 69-84.