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時の流れについて

大学時代に使っていた校舎のことをふと思った。
先日行った大学祭で、今はもう使われていない校舎が展覧会の会場になっていた。
そこは私たちが学生の頃は現役で、我々は教室で授業に出たり、テラスで友達と話したりした。そこには我々の日常があった。
建物は今も古びたわけでもなく、そのまま残っている。でも人の行き来する気配のないその場所はもう死んでいて、過去のものになっていた。もう、あの頃は過ぎたのだ。

たった10年前のことがものすごく昔に思える。あの頃の私たちは確かにあったが、もうない。
あの頃にはあの頃の私たちがいて、今はもういない。私たちを取り巻く世界ももう違っている。

昔『モテキ』という映画を観ていてびっくりしたことがある。
そこに出てきたのは2011年頃のTwitterと、j-rockと呼ばれていた当時の音楽だった。私はそれに圧倒的な懐かしさを感じて、そのことに驚いたのだ。
それまで懐かしいとは、子供の頃のことをいうのだと思っていた。
2011年頃、私は大学生で、今の夫と恋愛をしていて、一人で生きていた。大人になってからのことを懐かしいと思ったのは、初めてだった。

大人になってからも時は流れる。世界は変わり、私たちも変わる。
世界が自明のものではない、と震災のとき初めて私は感じたけど、正解はないという感覚は、この10年ほどの世界が直面している感覚だとも言われる。
世界の歴史があり、個人の歴史がある。
それは、当たり前と思っているものもなくなっていくということであり、我々はいつでも未知の未来を迎えうるということである。確かに、我々が生まれた平成初期にこの感覚はなかった。
生きていると見えてくることが多い。大人になるとは興味深いことだ。
歴史をつくっていくこと只それだけが生きることだとも言える。

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