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もう一人の私

シュタイナーの教育学の本を、若松先生のモクレン文庫で購入して夏頃に読んでいた。
シュタイナーの教育論というのは、人間の見方や歴史の見方自体を独自の視点から教えてくれるもので、ものすごく興味深い。
人間をどのように見ることから教育をどのようなものと捉えるのか、を問うのが教育哲学だが、ここまで独自の世界を一人で確立しているのはぶっ飛びすぎてて、笑える。
教育学は人間観から始まるとは本当なのだ。
ここまで独特の人間観から生まれる教育は、ものすごく大らかで宗教的な穏やかな歓喜に満ちたものだが、それ故に今のシステム化された教育の世界ではスタンダードにはなり得ない。まず教育者がいない。そんなことができる人間は今の社会では育たない、とまで言えるかもしれない。

その本の中で、どういう文脈だったか、意識魂の持ち主である教師は、もう一人の自分ということを強く意識し存在させることが必要だとあった。
自分がこれまでの人生でやりたかったけどやらなかったこと、あったかもしれない自分の姿ということを強く意識する。意識魂とは、無意識の世界にも広がる自分の意志を大切にし実現していく魂であるので、もう一人の自分を描くとは、無意識の世界の自分と強く繋がるためということか。

うまく眠れない夜、何か愉快な考えはないかと思い、もう一人の私は何をしているかと考えてみた。朝起きた時ふと、もう一人の私は書店員になっている、と思った。私は書店を経営している。夢に見たのだろうか、そのビジョンがあまりにもしっくりと心にあった。

私は本を愛しているから、自分が素晴らしいと思う本、好きな本を並べた書店を経営している。都内の一角に一人で住んで、仕事を愛し、自分の好きなものを大切にして暮らしている。書店には児童書のコーナーを作ろう、私に本のよさを教えてくれたものだ。カフェに出すようなものは作れないかもしれないが、来る人が居心地良く過ごせるような場所を作り、イベントをしたりしたい。

そんな夢物語を、もう一人の私が、生きていたらいいな。
そんな思いを自分の中で少しあたためてみようかと思う。


マルジナリア書店さんの、あずき茶とシュトーレン

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