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読むと書く

あなたが「書かなければならない」のなら、書くことを中心にして自らの生活を打ち立てよー

若松先生が紹介していて、昨日買ったリルケの本の言葉が、朝起きた時ふと頭にあった。
やっていられないような日々、やりたいのかよくわからないような生活の中で、書くことを私の生活の中心としたならば。

夫は歌うことを、誰のためにという次元と全く関係のないところで、自らの生そのもののように続けている。評価を求めることなく、途切れることなく、一人で何年も、自分で歌を歌い聴き続けている。
そのようなものがあったなら、生きることはただそれだけのためでもいいはずだ。それが世の中で何に繋がらなくとも、それ自体が自らの生の意味と深く関わっているから。

私にとって書くことがそのようなものになり得るだろうか。なり得るとしたらどうだろうか。
書くことには自分一人の部屋が必要だという。それは本当だ。でも例えばバスの中でもこの文章は書くことができる。
書くためには時間が必要だ。しかし今働いている生活がなければ、書ける文章などあるだろうか。

読むことで私は書く。
書くことで、私にとっての「ほんとう」の家ができていく予感を感じる。
なんのために生きているのか、張り合いがないと思うとき、読むことと書くことのために私は生きている、それさえあれば生きていけると思おう。
そうであれば、生活の中に無駄や退屈など本当はなく、全てが書くための豊かな土壌であることがわかる。

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