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ゲンロン大森望SF創作講座第四期:最終課題実作感想③

 僕、遠野よあけはゲンロン大森望SF創作講座という小説スクールに通っていまして、つい先日、最終課題実作(120枚程度)の作品を提出しました。
 この記事では、そこで提出された作品への感想をつらつらと書いていきます。詳しい情報は下記サイトにて。

「ゲンロン大森望SF創作講座」
https://school.genron.co.jp/sf/

「最終課題提出作品一覧」
テーマなどの指定はなし
(各作品は50~120枚程度)
https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/subjects/11/


以下、この記事では4作品について感想を書いています。
感想の順番は適当です。
感想冒頭で、作品の簡単なあらすじを書いておきます。
また、感想ではネタバレにもふれていますのでご注意ください。

19「受戒」今野あきひろ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/akihiro1/4176/

 ――中国貴州から来た女が話す。太極図の人形劇。「わたしたちはいま、ここにいる」「わたしたちはいま、ここにいるぜ」「わたしはいま、ここにいる」わたしが思い出さなければわたしたちの物語にならない。時が入った四本の棒をわたしたちが回し始める。時はぐるぐると回り出す。そしてもうじきわたしたちの体は燃え始めるだろう。

 8000文字くらいメモとりつつ再読して、さあこの人形劇の物語の感想を書こうと思ったけれど、ネットを検索していたら、個人的に大体しっくり来る感想が13年前にすでに書かれていたので、それを引用して感想としたいと思います。その前にふたつだけ僕の言葉も挟んでおくと、まず今野さんの書く家族の物語はもっと読んでみたいな、ということと、それから最後の一行があそこに入る必然性は作中から見つけられなくて、〈年表〉〈紀行文〉〈火〉という並びから勝手に僕のなかで腑に落としちゃいました。

以下、引用。

 Rock。これこそまさにロックなんじゃないの。僕らがここにいて、ここでこうしてて生きている事、それをただただ叫ぶ事。存在証明。「どすーん」と会場が僕らのジャンプで揺れ、俺達はここにいるんだぞと、生きてんだぞと、クソッタレな日常に向かって叫ぶ。そこに嘘偽りのないRockの魂を感じた。今、こんなメッセージを真正面から伝えられるグループがどれだけいるんだろう。すげぇよね。どれだけ伝わってるかわからないけど、本当にこれって凄いメッセージだと思うんだよ。愛でも恋でも友情でもない、「私たちは今、ここにいる」という、シンプルで軽やかな主張。曲中のコール&レスポンスで全ては解け合いはじめ、「みんなロンリーBoys&Girls」なんだと、みんなが「声を揃えて」腕を振り上げて叫ぶ。「ここにいる」という、ただそれだけの連帯。その中心にはモーニング娘。がいて、その真ん中には吉澤ひとみが、いた。それだけでいいし、それが答えだよ。

(引用元:「それにはあまり意味がない」)
http://lovelyallnighters.hatenablog.com/entry/2007/07/28/000000


20「国桜」宇露倫

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/master2core/4162/

 ――過去に妻を亡くした上国は、たったひとりの娘であるサクラコを愛していた。遺伝子変異疾患のために身体が弱く死すら近づいている娘を救うために、上国はヒューマノイドのトレバーとともに、ある計画を立てる……

 宇露さんらしい作品であり、かつ一筋縄ではいかない人の思いの交差が描かれていて面白かったです。誠実に生きて行動したからといって、すべてが丸くおさまるわけではないのはなかなか大変なことですよね。
 宇露さんは、倫理的な問いを主軸に置いた物語や、未来の技術によって支えられた社会の様子を作品内に構築するのが上手くて、宇露さんの武器なのだなと思います。他方で、僕はこの小説を書ききった宇露さんには、「倫理的な問い」や「やさしさ」を徹底的に封印したお話も書いてみてほしい気がしています。未来の技術社会におけるスラップスティックとか、そういうのですね。「SUN-X」とか近いイメージですけど、オチはやさしい感じなので、まったくべつの感じのオチのある話とか、そういうのです。や、まあ、単に僕がそう思ったというだけなので、そういう読者もいる、くらいに思って頂ければ!


21「サノさんとウノちゃん」安斉樹

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/recolored/4200/

 ――小野寺マキは水泳部の練習中に、頭を打つ怪我をしてしまう。二ヵ月の練習禁止を言い渡されてしまったマキだったが、怪我以来、左脳と右脳がオジサンと女の子の姿で目の前に現れるようになり……

 内的人格との対話ではなく、身体との対話を脳の擬人化で描くというアイデアは面白いなと思いました(対話、だと個人的には思うので、独り言って表現はしない方がよかった気もします)。もう一つくらい物語に要素を足したりもできると思いますけど、この長さならこれでいいのかもですね。
 あと単純に、自分もこんな感じで身体と対話したいと思いました(笑)。身体とか脳とか、無口過ぎるので何を求めているのかマジわからないですからね……フィジカルとメンタルの管理について、「とりあえず筋トレしろ!」と言われるときつけど、オジサンと女の子とコミュニケーションできるとやれそうな気がします!(笑)


22「わが東京ドームは永久に不滅です」式宮志貴

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iioio/4117/

 ――1988年3月17日、東京ドーム竣工式。その日、巨人軍は国会議事堂を襲撃、占拠。そして「東京ドーム帝国」の独立が宣言された。世界中が巨人軍の野球によって駆逐されていく。一方、魔球と秘打をもつ双子の兄弟、晴虎と明虎のふたりによって、甲子園球場は守られていたが……

 先が読めない展開などおもしろかったです。『逆境ナイン』とか『アストロ球団』を思い出しました。
 この方向の作品はカクヨムとかの連載で受けそうな印象があります(詳しくないですけど)。でもデビュー作にするなら、もっとすごいものにしたほうがよい気もしました。書き手は野球にも独立にもSF設定にもあまり関心がなさそうな読み味になっていて、いずれかのモチーフはもっともっと深堀りしたほうがよかった気がしました。
 余談ですけど、相撲SFのときに講師から「まずはふつうの相撲から話を始めないといけない」という評は今回は反映させなかったんですね。それをやったほうがいいという話ではないんですけど、そういう部分でモチーフについて一般よりも真剣な関心をもって書いている、と読者に思わせると、読む側としても作品への信頼感が上がるような気がします。現状は、原稿用紙100枚分ほど連続していく大喜利を読んでいる読み心地ですが、個人的にはもう少し作品の芯というか、一貫性みたいなものがあったほうが好きです。


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