見出し画像

ゲンロン大森望SF創作講座第四期:第3回実作感想①

僕、遠野よあけはゲンロン大森望SF創作講座という小説スクールに通っていまして、そこでは毎月50枚程度の作品を提出することになっています。この記事では、そこで提出された作品への感想をつらつらと書いていきます。詳しい情報は下記サイトにて。

「ゲンロン大森望SF創作講座」
https://school.genron.co.jp/sf/

「第3回提出課題一覧」
課題:強く正しいヒーロー、あるいはヒロインの物語を書いてください
https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/subjects/3/

 僕も下記作品を提出しています。読んで頂けるとうれしいです。

00「カンベイ未来事件」遠野よあけ
https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/yoakero/3484/
  端的にどういう小説なのか、とても説明し難いのですが、前作、前々作の十倍くらいがんばって書きました。読んで頂けるとうれしいです。原稿用紙40枚程。

 今回、感想ではかなりダメ出しなどもしているのですが、真剣に読んだうえでの感想なので、ご容赦頂ければ幸いです。また、ダメだしするうえでは、批判がブーメラン的に自分へ返ってくることは全く考慮せずに書いています。そうじゃないと感想なんて書けない。

 以下、各作品の感想です。21作品(自作含む)あるので、記事は二つにわけています。

01「歴史学者・楓と、アレクサンドロスの末裔」渡邉清文

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kiyo/3420/

 歴史書を改変する技術が存在する近未来。歴史研究者であり改変事件を調査する研究者のお話。(だと思う)
 おもしろい。でも現実パートとドラマパートの区別がつかなくなって読むのが難しかった。。いまだによくわかっていない。。しかしこのわからなさも作品内容とリンクしていて、そこがまたおもしろい。。
 一読した今の時点で、「現実」と「ドラマ」の世界や技術の違いがわかっていない。u-inkとかは現実の話なんだっけ?それはドラマ?現実のアレクサンドル少年が歴史を歪めたのはフェイクニュースを使っていただけ?というと現実世界では、作品外の現実(つまり僕らの現実)とあまり技術力はかわらない?
 あと、ナレーションとAIの台詞が同じ表記法なのもわかりにくかった。あの表記はドラマ世界?とすると普通の地の文などはすべて現実世界?いや、そうではないんだよね。。?
 とかとても混乱していて、リアルに「あれ、ユーゴスラヴィアってあったっけ?」的戸惑いを覚えるところが面白かったんですが、普通に考えるとそれは「よみにくかった」という感想と紙一重であり難しい。でも好きです。
 技術や世界観も好きです。
 前回実作の「テルミドール」と比べて、最も大きな点は、アレクサンドル少年の語る「あいつ」かな、と思いました。「テルミドール」も「プロフェッサー楓」も、世界観と語り部はいるのですが、その世界だからこそ起こる物語という点での魅力が弱かったと思います。つまり、主人公が「物語をもった登場人物」ではないためかなと。でも今回は、アレクサンドル少年が「この世界だからこそ起こる物語」を持っている感じがして、たぶんそれは実作を書いていくなかで渡邉さんが発見したのかなと思っていて、だからラストが梗概とだいぶ変わったのかと感じました。(でも本編で語ったフェイクニュース問題と、ラストの関連性はよくわからなかった)(あと「あいつ」が何なのかも実はよくわかってないです。。)(かなり読めてなくてすみません。。)

 あとこれは長編にしても面白いと思いました。ドラマが現実を改変することは、フェイクニュースとはどう違うのか?みたいなところでもう一ひねりいけるような気もしました。
 余談ですが、ダールグレンラジオで言われていた「正しい歴史とは?問題」も非常に興味深かった。これは面白くて且つ現代的なモチーフであり、さらに政治的に扱うのが難しいんですけど、それを物語化しやすくなる設定で、つきつめていくとかなり堀がいのある世界観だと思いました。

02「オール・ワールド・イズ・ヒーロー」黒田渚

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kurodanagisa/3431/

 設定や世界観は面白いけれど、小説として形にすることに失敗している。惜しい作品。
 以下、感じたことを書きます。けっこう強い感じで不躾なことを書いていますが、真剣に読んだ結果として感じたことなので、ご容赦頂ければ幸いです。

 書くべきことを書き切れていないという問題よりも、書くべきことを把握していないことが深刻な問題と感じました。
 設定や世界観、それからオチがとても魅力的になりそうなポテンシャルを持っているのですが、それを読者に説得的に伝えるために何を書くべきなのか、それを把握していないという問題です。
 これは想像ですが、黒田さんは自分の書いた梗概を客観的に深く読めていないのではないかと感じました。僕から見ると、書くべきことはほぼすべて梗概から読み取れるので。
 これもまた想像で恐縮ですが、今回の黒田さんの梗概は、これまで黒田さんが書いてきた小説や、書くことを得意としている作風、あるいは黒田さんが好きな小説とは違った作風を求める梗概だったのかなと思いました(ほぼ妄想に近い話ですが)。もちろん、梗概の設定や世界観を、黒田さんが得意とする作風に近づけることは技術的に可能だと思いますが、実際にはこうして実作はうまくいっていないので、それは少なからず無理のある書き方だったのではないかと。
 講義では、設定が『グラン・ヴァカンス』と似ているという話がありましたが、多くの読者は別に設定を楽しむために小説を読むわけではないので、設定が似ているくらいは些細な問題だと思いますし、黒田さんの梗概の設定から展開可能な物語は『グラン・ヴァカンス』とは全く異なると思います。それでいいのではないでしょうか。
 結論としては、自分と意図せずに書いてしまった文章でも、それを客観的に深く読めたほうが何かと良いかと思います。

 あと、細部などについて。
 全体的に文章が粗いのが気になりました。ふと思って過去作の「リトル・ヴィシュヌ」もさらっと目を通したのですが、あっちは今回ほど粗くなかったので、今回は時間ない&上記の書くべきことが把握できてない、あたりが文章の粗さにつながったのかな、と想像しました(妄想です)。
 具体的な部分としては、
・冒頭のCAST説明。「テピスのご主人デイヴィッド」は、「レプトンのご主人デイヴィッド」ですよね。。?書き出しでの誤字はあまりに勿体ない。。
・「演者AI」「俳優AI」「役者AI」と用語が一貫していない。
・台詞のカッコの使い方に一貫性がない
・「フレーム値が揺れた」というのは印象深い位置に置いてある文章なのに、フレーム値の視覚的情報を書いていないので、読者には「フレーム値が揺れた」「フレーム値は小刻みに揺れていた」などの文章がイメージできない。数字が小刻みに揺れるというのはどういうことでしょうか?増えたり減ったりすること?と、読者に要らぬ疑問や不安を与えてしまうのでよくない。
・「ぼくはふと、放送の最後にフレーム値が揺れたのを思い出した」とあるけど、該当の場面と思われる箇所には、その記述がない。この一文を印象的にするなら、該当場面に伏線として実際にフレーム値が揺れている記述を書いたほうがいい
・「それが本当の死だ」「ぼくはまだ、この世界にいる」この二つは繋がっているべき文章なのに、語彙の選び方の問題でうまく読者の頭のなかでつながらない。また、語彙が曖昧すぎるのでイメージしにくいです(AIの死とは?この世界にいる、ということはこの世界以外があるのか?現実世界にAIはいけないから、ミューズの世界、現実世界、以外にいける世界があるのか?順当に考えると死の世界ということ?と、読者の思考に要らぬ負荷をかけていると思います)
・「それはミューズが連絡してきた時間より0.1s早かった」この一文で読者はミューズの言葉への信頼感がゼロになるのですが(直前で「こちらの計算に間違いはない」と書いているので余計に)、これは伏線にも使える描写なので一概に悪いとは思わないですが、現状は活きてないし、読んだ印象としては筆が滑って書いてしまったように感じました。
 ……など、ざっと読み返してもいろいろ粗い箇所がみつかるので、このへんは丁寧に書いてほしいし、また、曖昧な文章を書いてしまうのは、梗概が深く読めてない問題とパラレルだと思います。一文一文の機能やつながりなどに対して、意識が行き届いていないように思えるので、それらを意識して深く読み書きをしてほしいな、と感じました。それができたら、黒田さんはもっとすごくなるので、応援しています。
 次回以降も応援しています。

 あ、あと「フレーム値」は超重要用語なので、ここはかっこいい造語を作るべきだと思いました!w

03「FLIX!!」東京ニトロ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/tokyonitro/3430/

 おもしろい。でも物足りない。つまり、僕の脳内にいる理想ニトロ(僕が勝手に東京ニトロというかっこよくてつよいPNから想像しているさいきょうの東京ニトロ。すごい小説をかく)に比べると物足りない。。僕は何を言っているんだ。。
 真面目にはなすと、例えば「AIライツウォッチ」の方が面白かったということで、もうこういう話から始める時点で僕の東京ニトロさんへの期待度が変に高いのがアレなのですが、でもこないだ、いしまさんに会った時、彼も「東京ニトロは、すごいっすよ……」と期待を煽ってきたので僕のなかで東京ニトロ株が爆増中です。あと「AIライツウォッチ」の続編楽しみにしています!文フリ福岡の新刊には載っていなかったのは残念ですが講座ありますものね。。
 さらに真面目にはなすと、物語も固有名も設定も面白かったです(僕は84年生まれなので作中の固有名大体わかるし、進学塾は日能研では?とか考えるし、「外銀河連合は滅んだよ」と言われた時は、「な、なんだと……!?」って顔になったし、WAになって踊ろうはリアルタイムでマジで憎悪していたし、などなど……)。でも、この物語って、別に舞台が98年でなくても成立するのでは?と思うと、作品の魅力は落ちてしまうのがとてももったいないです。その一点だけとても惜しいと感じました。例えば98年に開催された公共のイベントとか、感染型無形生命体が地球に飛来したタイミングが98年であることに必然性があるとか、そういうのがあって、それがあるからこそ作品が成立する、みたいな感じであればかなり理想ニトロだったのですが……(この辺書かれてたら読み落としました。すみません)――はい!ここまで書いてから、もしかして……と思ってアピール文読み返したら、時代背景が90年代であることの意味が書いてありました!一月前に読んだけど忘れていました!すみません!……でも、アピール文に書いてあることが小説に書かれているかというと、僕にはちょっとよくわからなかったです。作品の背景にそういう着想があるというのは、なるほど納得できるしだからこういう作品なのかと思いましたが、でも例えば感染型無形生命体の設定とかは、90年代よりも、冷戦時代っぽさがあり(『MONSTER』のヨハンとかが近いと言えば近い気がします)、あ、でも『MONSTER』は90年代だから冷戦以降の悪ということではこれでいいのか。なるほど。でも実作だけでは読み取れないと思いました。あと灘くんの人格は好きですが、灘くんのもつ正しさと、アピール文でかいてある時代背景とのリンクもいまいちわかりませんでした。
 例えば「90年代小説特集」みたいな企画の一篇とかならこれで正解だと思います。でもそのような枠組みでない場合は、やはり「なぜ90年代?90年代でないと書けない作品なのか?」という問いは残ってしまうと思います。
 という感じです。次作も楽しみにしています。

04「女の子から空が降ってくる」稲田一声

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/17plus1/3425/

 いい感じでした!若干ラストが駆け足のような気がしました。というか、こういうラストの余韻なら、本文自体をもっと圧縮して短くしてもよいのでは、という気もしました。
 五人の柱の娘に順番に「空や海の果てはどうなっている?」と質問をしに行く場面が好きです。ただ一方で、たぶん四番目の娘がまったく描写されていない?のと、五番目の娘が「私にはわからない」といい感じの答えを意味深に言っているのに伏線として機能していないように思えることは、ちょっと気になりました。
 測量は、僕こういう記述を読むのが不得意でいい感じか悪い感じかわからないのですが、作品のリアリティの担保として必要なのはわかります。一方で、他の場面は、もっと寓話的に文章を削っていって、絵本や寓話のような端的な文章を続ける感じの文体でも、この話にはあっているような気がしました(ラストの余韻があれでいくなら、という意味です)。
 あと、この世界には大陸以外に島はない?読み落としてるかもしれないですが、もしそうだとした場合、その世界の人は「大陸」という言葉を使うのでしょうか?世界に島が一つしかなかったら、それは「島」なのでは?とか思いました。
 ともあれ稲田さんの作品、前回同様に楽しく読ませていただきました。


05「おまえたちは、犬のように吠えたのか?」今野あきひろ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/akihiro1/3390/

 ううん。前回や前々回のほうが面白かったような。。今野さんの作風は、評価も難しく楽しむのも敷居が高い作品なので、軽々に判断を下せないのですが、でもやっぱり前回までのほうが面白かったような。。その理由はなんとなく思いつくのですが、でもそれは根本的な話ではない気が強くするのでここでは書かないです。とりあえず言えることは、読んでいる間の快楽が、前作のほうが大きかった気がするということです。ほわんとした感想ですみません。

06「ダブル・クリスマス」藤琉

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/aphelion/3428/

 これは、罪深い長さ。。
 読み心地としてはなかなか面白かったです。贈与のない第二日本の生活が、丁寧に描かれていて、すこしだけずれた異世界の雰囲気が感じられました。入れ替わるというオチは、少し作り込みが弱いですが(というかこの舞台設定なら、主人公が贈与を行うことが物語の鍵になるべきなのでは?)、でも読後感はよくかったです。
 しかし、面白いのですが、でも規定字数のほぼ二倍の長さというのは、僕はあまり評価できないです。。特に、この物語内容であれば、文体を変えて、重要度の低い文章をがりがり削れば全然二万文字に収まるはずなので。頑張れば10~20枚の掌編くらいにもできる気がします。
 決して、不必要に長いとか、とても冗長、というわけではないんですが。仮に仕事として二万文字を依頼された場合に、四万文字を出したらダメなわけで。。(まあ、文芸誌は文字数超過しても全然掲載されるという話も聞いたことありますが。。)
 部屋のディテールや、ボランティア活動の描写、シャワー上がりのセットの描写など、あのあたりは削るか、半分以下の文字数で必要最低限の描写はできるはず。あと物語の始まりも、地震の日から始めるのではなく、いきなり第二日本にやって来たところから始めちゃっていいと思います。短編なので。地震の日や、日本の描写は、ドラマツルギー的に重要度が薄く、削れると思います。あと、日本にいるときの描写が、日本と第二日本の関係を深めるのに役立っていないのも気になりました。物語なので、似ているものが二つでてくるときは、対比か相似か連続性など、二者の関係が物語を深めるような書き方をすべきだと思いますが、地震の日の描写、職場の描写、家族の描写などは、第二日本で起こる物語にとってそんなに重要ではないと感じました。家族の描写は、第二日本に着いたあとで回想で短く入れるくらいでもいける気がします。
 できれば次回はもっとコンパクトな文体で二万文字の短編を読みたいと思いました。

07「贄とオロチと」式

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iioio/3395/

 二人の少女の関係性はとても面白いのですが、もっとその関係性に焦点をあてた書き方をして、二人の感情のやりとりを深堀りしてほしかった気持ちがあります。この世界がどうなっているかとか、地理がどうとか、ほとんど書かなくてもいいのではないかと思います。この物語にとっては二人の少女の関係だけが重要なので。世界を救う話でもないし、迫害を受けたマイノリティの話でもないと思いますので。
 あと読んでいて、藤原ここあの漫画とかを思い出しました。背景世界をほとんど説明せずに、キャラクター同士の感情の交感だけを描く技術はとても上手いので。
 式さんのこれまでの作品を読んできても、ノイズとなっている情報が多く、もっと作品全体をシュッとさせることができるのではないかと感じることが多いです。

08「QUESTREAMER」岩森応

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iwamori/3470/

 論文形式も興味深いし、書こうと試みている内容も個人的に好きです。
 ただ、いろいろと惜しくて、大きく二つ勿体ないと感じる部分があります。
 一つは論文形式が活かされていないことです。冒頭のグラフとかで「これは社会的な話で、社会実験なんですよ」というのを伝えるのはいいと思います(ちょっと長いかもだけど)。でも本編がほぼ小説の文体なので、これはもう開き直って四部構成にして、
一部:論文の冒頭部抜粋(論文パート)
二部:現実の莉奈に起きた出来事の三人称(小説パート)
三部:論文の末尾(論文パート)
四部:二十歳の莉奈の一人称(小説パート)
 とかのほうがよかったかと思いました。
 あと、論文形式で始めているのに、手紙の年号がずれていたり、数字が半角や全角入り混じっていたり、三点リーダの表記がブレていたり、「ぜんぜん」という論文ではまず使うことのない語彙があったりと、せっかくの論文形式のかっこよさを損なわせています。単純に勿体ないです。
 2037年1月27日の章で、2036年10月26日や2036年11月6日の出来事を書くのは、今までの描写のスタイルと異なっていて、そういう書き方がありなら章構成は「2037年」とか大枠でよかったのでは、と思いました。これもかっちりとした形式が求められる論文形式の良さを損なっていると感じます(図書館から神社に行くまで二ヵ月かかってたり、時間の経過のイメージもつかみにくい)。
 論文に小説的文体が入ること自体は問題ないのですが、うまくやらないと失敗しているように見えやすいと思います。

 もう一つは、リーダビリティが低いことです。
 論文形式で始まること自体はフックになるかと思います。でも、すごく普通の感想で申し訳ないのですが、読者である僕は大人で、作中の主要人物は小学生で、作中で書かれているミッションは小学生向けで、このミッションを丁寧に描かれると大人の僕には退屈です。。子供向けのミッションを大人の読者に読ませる工夫がほしかったです。社会学的な論文形式で始まっているので、想定読者は大人だと思いますので、余計にそう感じました。
 例えば、最後の二十歳莉奈の文章は、作品冒頭でもいいと思います。物語の最初に結末を提示する手法ですね。その場合、物語内容で、その結末に至る過程あるいは予兆を書く必要がありますが、最初に結末を提示すると「一体どうしてこんな結末になったのだろう?」というフックが生まれるので、リーダビリティは増すと思います。

 思うに、この作品にとって大事なことは、この作品が書いていることを読者に他人事に思わせないことなのではないかと思います。基本的には、瑕疵をなくして、リーダビリティを上げて、読者の共感を生み出す工夫をもっと入れると、すごくよくなるテーマだと思いました。

 あと描写もいろいろ気になったのですが、二点だけ。
>「いい天気だな~。でもさ、だからなんなのだろう。」莉奈は怪訝な顔で黒い空を見上げる。
 台詞の発言者と、改行なしで続く文の主語の人物が一致していないのは読んでいて落ち着かないです。。空を見上げる描写は、この台詞の直後の「・・・」の後ろにつなげるべきだと思います。
>「ここだよね?」と言ってアラベルは変なポーズをする。莉奈は笑ってうなずく。
 ここは「変なポーズ」を具体的に描写しないと、読者が莉奈に共感する余地がなくて置いてけぼりにされてしまいます。

09「ゲームマスタ」武見倉森

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kateiumashi24/3455/

 面白く読みました。この後何が起こるかわからない展開好きです。あと、世界が虚構であるというモチーフは、僕のやつと被ってるので俄然真剣に読む気持ちになりました!笑 でも、オチはよくわからなかった。。
 ショットの台詞なども、意味深なのですがふわふわとしていて、実際のところこの作品に満ちている謎に答えなど用意されていないのでは?という気持ちを抱いてしまいます(作者の内面は読者にはわからないので、謎の答えを予感させる文章がなければ、読者はただ不安になるので)。
 ラストの展開についてちょっと考えてみました。自分で自分を撃つと、現在のゲームマスタが死ぬ?ということなら、ショットに一泡吹かせてやったことになる?のかな?主人公はゲームマスタになる?だとしたら、なぜ一度目はショットがゲームマスタになったのか?うーん。やっぱりわからない。
 アピール文を再読してみました。こういう感じの、作者の実感を作品化する場合は、読者がその実感に共感したり納得したりする仕掛けがないと、作品として成立しずらく、その仕掛けが作中にないように思いました。
 あと細かいこととして、冒頭二行目に誤字があるのが勿体ないこととか、地の文と台詞で意味が重複している箇所があったり(意味の重複は避けたほうが文章がスマートになります)するのが気になりました。
 描写のレベルとしては、「低解像度/主人公(キャラクタ=プレイヤ)/高解像度」の三つの在り方はきちんと具体的に書いた方が、読者が作品世界のリアリティを読み取りやすいと思います。
「キャラクタ=プレイヤ」「脱出」などの概念もできれば詳しく説明してほしいと思いました。アピール文にある書きたいこととバッティングするのかもしれませんが、たぶんここを説明してもアピール文にある意図は表現できるかと思います。

 あとすごくどうでもいいことですが、ゲームマスタとかプレイヤとか、「ー」を省くカタカナ語は森博嗣を思い出しました。「ウルトラマンのカラータイマみたいな」とかの比喩も森博嗣っぽい。
 僕も一時期は森博嗣っぽいカタカナ語使っていたので、個人的に印象的でしたw

10「遺された角」村木言

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kimkim1970/3446/

 面白かったです。好みで言えば、前回の空海みたいな外連味が大好きなのですが、これも楽しく読みました。描写が丁寧ですね。
 そして村木さんは今回も深読みできそうな感じの複雑な話を書いていますね。「許し」がテーマなわけですけど、同時に「疑似家族」の問題が並走している。深山の里は、血のつながりのない女性だけの集落で、みながみな家族のように暮らしている。そしてそこにマウリという男性性を奪われた男がやってくるわけですが、彼はエーネから母を奪った=共同体を毀損した存在なわけで、当然許せない。しかしエーネは、マウリと母親の間に生まれた赤ん坊を見て、マウリとその赤ん坊を許すことにする。重要なのは、この物語で赤ん坊だけが「親の血を引いている」ことで、異質な存在なのですね。そしてその存在が「許し」のきっかけとなる。ちょっとうまく整理できてないのですが、つまり、エーネは「疑似家族」を壊した「血統的家族」を「許す」わけですが、僕はこれは共同体の拡張のように感じました。東さんの「憐み」に近い印象。
>もしマウリに復讐してしまったら…この子はどうなるのだろう?例えこの子が助かったとしても、この子がこれから歩む人生には愛してくれる母も父もいなくなってしまうのではないか…。
 この、「この子がこれから歩む人生」に意識が向いたことが、この小説での「憐み」なのかと思いました。「疑似家族」と「血統的家族」のあいだを、「憐み」がつないだのだとすると、かなり美しい話だと思えます。(ふたつの家族ともに、権力に抑圧されているわけですが、権力に反抗するのではない形でよりよく生きていこうとするのも、現代的な気がします)
 母親を待ち続けたけれど、男性性を失った男がやってきたというのも、なんか強い印象を与える筋書きですね。
 ただ実はこういうファンタジーは個人的に読むのが苦手というのがあって、瑕疵を見つけるのも苦手です。僕はレベルの高いファンタジーをあまり読んできていないのかもしれない。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?