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雨曇りサップグリーン。

雨曇りと翡翠(緑)の短章

雀始巣
桜始開

雀が脹らんでた、近所の桜が咲いてた。 
(もう4月や。3月の空気封じて、季節に馳せた心、1年に通じて心萌え成るように。)

3月の暮れ。
某先週の金〜日は雨がふった。月曜日の夜中も、大きく雨が降った。そして、火曜日は曇りの空からパラパラと小雨がふり霧雨も舞った。
所々重いが、さわやかなグレーがかさなる雲、その向こうにはサイダーのような透き通る空色がみえる。
いつかは忘れたが、3月のどこかで、夕方頃、照り雨も降った。
どこかできつねが結婚したかもしれない。
あと2ヶ月もすれば田の時期。
そろそろ山の神さまから田の神けつねも人の街や里へ来てくれる。
きつねの子を生む季節は3月から5月という。
もうずっと前に結婚済みか…。
自然と文化と神話と季節が、毎度話している。
知ればその話し声を、すこしききとれる…かも…。
大阪シティにも神話の鐘が処々なる。
図書館。

3月というのは、桃の節句もあり、桜やサーモンピンク、桃色とおもっていた…。
けれども、天空は温暖と冷寒が入り乱れ、交じりあい、風を起こして、雨を落としている。

大地やアスファルトには緑色の赤ん坊が、少しずつ顔を出したり、先に生えたものは伸びゆく緑に、萌いずるサップグリーンの輝き。
陽射しのきらきらや、雨露や朝露に濡れるときには、美しさの本領を発揮している。
鳥たちは川面を走り、飛び立って…朝からどの用事…どんな生活の支度があるのか。
なにやらのシンパシーを勝手に抱き、自転車走らす
朝方夕方…ここ毎日。

そういう自然を見て、季節の巡りを覚えるが、人間もその一つなので、なにかしら体と心に起こっている。
気象痛という出方もするようだ。
頭だるかったね。気象庁に百人体制でピンポイント速報とかいいね、なんて笑い話にして、いなす。
さて、気象、あなたのおかげか
どうかわかんないけど、
ある日はバファリンありがとう。

科学の本をよんだが、日照がうずらの目から脳に入り、繁殖をうながし、そのような体にするという。
この雨もサップグリーンも夕暮れ夜明けも、空気の一粒も、なにもかも切り離されてはいないのか…。
闇夜の効能は眠りの他なんでしょうね。

さて…この大きな雨の、時間にいつもの川は、茶色く濁った。
雨に打たれて、振動が、水底をかき混ぜ、土や砂泥を踊らせたのだろう。
中にいる魚たちも、暮らしの支度に追われたに違いない。かなり、大変だった?
すべて想像だ。
普段と同じと思う日常も、その箇所も…どこかに違う色が現れる。
見えてるのに見えないという、からくりも日常茶飯事である。
脳が情報や色彩から身を守る事、多々あり。

心の世界は不思議で、リフレインを繰り返すこと、枯れても土に帰らない思い出も知る…
いや…けど、季節とともに少しは変わったり、新しくなったり…進むのだろう。
同じ日は二度とない。
二度とはない。

3月は桃色だけではなく、サイダーのようなクリアブルーが加わった。
そのように。
二度と無い。
変わる…かもしれないね。

茶色い川面を、鴨がいつもように泳いでいる。

いつか、あなたは北へ帰るのだろうか?


今年は、季節の中に新しい色彩を見つけてみよう。そして、しばらくは、サップグリーンと、クリアブルーにであいたい。
二度と無い日の色彩は、心の眼、
心の足跡に。

4月は人間としての暮らしにはアイボリーのような穏やかさと、スカイブルーの希望、地熱が唸って熱風のように駆ける赤も祈る。(たぶん精神力)
祈りや心の色彩をつくれるように。

心の砂泥、きらきら、文字に変え処す。
グレーの重なり
重なり合うところ、淡く光漏れ、
雲漏れ陽射し

魂、赦し

道中、学生のブレザー姿にサップグリーン
目を細めきらきら食らう
きらきらついでに、自転車で白線追い越す

あ・
ほぅ

雨は天より来たり、深く底ついて
天帰る

地上の を土産に。

雲のグレー、

グレー

自らに思う。

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