ローラーブレードと養子のお話

30年くらい前、私が20代の頃です。

カナダのトロントに住んでいました。その時ローラーブレードにハマったことがあります。正確にはインラインスケートなんだけど。まだあるよね?一列になったやつ。今のスケボーほどじゃないけど、ちょっとはやってた、、よね?(自信ない)

住んでいたシェアアパートの近くにローラーブレードの練習場みたいになっている公園があると友達から聞いて、そりゃ行かねば!とさっそく行ってみました。トロントの夏の初めはとてもいい季節。長くて寒い冬が終わり、行き交う人々もみんなワクワクハッピーな感じの季節。良いお天気の中、もちろんローラーブレードでクイーンズストリートをガーガーと。

何人かローラーブレードをやっている人たちがいて、いろんなすべり方に挑戦している様子。私たちもはりきってバックやら蛇行走行など楽しげに練習してみる!

しばらくすると、休憩している私たちの会話が聞こえたのか、若い男の子が

「にほんじん?」

と日本語で声をかけてきました。

かなりうろ覚えなんだけど、私の中の勝手な記憶では、髪もくるくるしててブルーノ・マーズぽいイメージ。もちろん当時ブルーノ・マーズはまだ子供で世には出てないけど。

「そうだよ。日本語話せるの?」

「少し、べんきょうしてます。」

彼は(ごめん!名前も覚えてない)、

「僕はいつか日本に行きたい」

っていうから、理由を尋ねると、

明るい調子で

「お母さんが日本人なんだ。だから行ってみたい。でも僕を産んでからすぐ日本に帰っちゃった。お父さんのことは知らない。それから僕は養子になったんだ。」

続けて

「両親は二人とも白人。妹は中国人。僕の家族は、親と子、兄と妹も肌の色がみんな違うんだよ。」

とそれはさわやかに話しました。

彼が言っていることは理解できたけど、え?いきなりこんなこと話す?私の理解、あってます?なんだかぽけーっとしてしまいました。

何か言わなきゃと思って、でも中学生レベルでしか話せないし、「お母さんに会いたい?」なんて繊細な質問をストレートにぶつけてしまった。でも彼は特に気にした様子もなくすぐに明るく

Yeah, I want to see her.

うんうん会えるといいよねえみたいなことを言ったような気がするけどよく覚えてない。

3つのことにびっくり。

1つめは

初対面の私たちに、お母さんは自分を生んですぐどっかいって僕は施設に行って養子になった、と、さらっとあいさつの続きで自分の境遇を話す。

2つめ。

お母さんに会いたい、とはっきり他人に言う。それは、純粋にお母さんをみたい、知りたいという印象。「お母さんには会う必要はない、養父母が僕の両親さ」とかじゃないし、会ってなぜなのか理由をききたいとか、どうこうしたいんだとか、そういう感じでもないんだなあ。もちろん実際のところは彼にしかわからないけど。でも、そもそも本当に会えるかどうかもわからないのに、とりあえず自分の今の気持ちを率直に見ず知らずの他人に打ち明ける素直さ。なんか、、、、大人だ。

3つめ。

養育している両親と、こういうことをきちんと話している。もちろん肌の色が違うからわかりやすいのはあると思うけど。でもこれは、なんと言うか、特段変わったことではない、という感じ。きっと今までの彼の人生の中の、いろんな場面で、ごく普通に受け入れられていることなのでしょう。

そして考えちゃいました。

これが日本だったら、どうだったろう?こんなにさらっと初対面の人にあいさつの続きで話せたかな。お母さんに会いたいって言うかな。心で思ってても他人に言うかな。

ああ、カナダはなんて大きくてゆたかな国なのだ、とクイーンズストリートの帰り道、初夏の夕焼けの中、ローラーブレードで走りながらずっとずっと思ったのでした。


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